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魔獣の脅威


 私達のいた宿の真下で、この世のものならざる怪物が暴れていた。


 ドラゴンを連想する尻尾はひと振りで戦士達の発砲をあしらって、首から繋がる二つの頭が青い炎を吹いている。甲冑の兵士達の防火も間に合わず、炎は営業前の店々に大穴を空けて、熱風が砂埃を巻き上げる。怪物が地面を踏む度に、白い石畳が砕けていく。


 二つの頭は、鬼の形相だ。実際、それらは湾曲の角を二本ずつ生やしている。


 鬼という、このハンシルポ王国には存在しない異形の怪物が頭に浮かんだ私は、転生前の自身の記憶を確信する。


 身体を売ってその日暮らしをしているサエほどではないにしても、死を経験する前、私も悲惨な生活苦だった。


 教師という職業柄、本を読む機会はあった。生徒達の間で流行っていたライトノベルの傾向も、当時の私は把握していた。


 異世界転生。死に戻り。憑依。……


 ただし、多感な彼らの興味を刺激していたのは、当然ながら自身の最期も知らない作家達の生み出した、創作物だ。


 現実に、あんなご都合主義はない。

 転生先でも、私は金に困っている。容姿にも恵まれなかった。


 よくある悪役令嬢や勇敢な戦士にはなれず、記憶も不安定だ。

 サエとして生まれる以前を思い出すほど、現世の記憶が抜け落ちる。そのうちどちらともつかない人間になるのではないかと懸念しながら、今の生活に支障が出ない程度の常識や、ハンシルポの言語は身についている。それに記憶が不完全だからこそ、去ってきた世界での死に際もうろ覚えだ。事故死だったが、致死の苦痛はフラッシュバックしないで済んでいる。



「グォォォォオオオ……!!」



 ババババンッ!バンッ!


 キュイーーーーン……!



 咆哮を上げて屋根を掴んだ怪物の手に警備隊の銃が風穴を空けて、腹部を光の剣が貫く。


 警備隊や兵士達の武器は、デューブだ。


 デューブ、それは、裕福層の人間なら生まれる前から慣れ親しむ、錬金術由来の装備だ。国民の容姿レベルが高い理由も、そこにある。


 そのデューブをまとうにも、絵描きと錬金術師に対価を払えるだけの財力がいる。今まさに怪物と戦っている男達の衣装や武器も、彼らの手がけた代物だ。



 町に怪物が出現するようになったのは、最近だ。それらは魔獣と呼ばれている。一説によると、邪悪な影が人間に憑依することで、明確な存在になるらしい。

 影と人間の結合条件は、明かされていない。

 そのため、人々は魔獣の脅威以上に憑依に怯えて暮らしているが、絵描きと錬金術師達は、既に影を回避するデューブも練装に成功して、王族や僧侶、貴族達に、高額で提供しているという。


 ただし、他国からは高い評価を得ているデューブでも、万能ではない。


 実際、今も兵士達は苦戦している。部屋にいた時は軟派な男でしかなかったレイモンも、惨状を見て現場に降りたが、一人前に戦士の顔つきになった彼の攻撃も、さっきからまともに通じていない。標的に触れると炎になる矢、そして盾。対人戦なら用いるのも憚られるだろう威力を備えた彼の武器も、敵が魔獣なら別だ。むしろ炎を吐く怪物に、同属性の攻撃は、同化するだけだ。



「くそぉ……タァアアッ!!」


「ぐっ……はっ……ゥオリャァァ!!」



 レイモンと、彼と同じ王室付き兵士の制服姿の青年が、揃って攻撃を繰り出した。


 象牙の矢が赤々と燃えて、標的にまとわりつく疾風が、火を煽る。



 ズドォォォ……ズドォォォォオン……



 二体の鬼の苦悶の姿が兵士達の士気を上げたのか、消耗していた彼らも再び腰を上げて、武器を構える。


 だが、レイモン達の攻撃は、魔獣の理性まで燃やした。咆哮を上げたそれは箍の外れた獣のように、手当たり次第に町を壊す。



「止まれ!」


「くっ……グァ!!」



 虫の群れを散らすようにして、魔獣の腕のひと振りが、兵士達を吹き飛ばす。町が炎の大海原に変わっていく。



「…………!!」



 私は窓から身を乗り出していた。


 宿にも火の粉が飛び散っていた。階下は地獄のようにどよめいて、消火器を運搬してきたヘリコプターが警報を響かせている。



「避難がまだのお客様は、お急ぎ下さい!」



 宿の女将の切迫した声に耳を打たれて、私は恐怖が後悔に近付くのを自覚した。


 重傷を負った兵士達が散らばる中で、辛うじて立っていられているのは、レイモンと、彼と共闘している貴族らしい身なりの兵士、それから数人の男達だけだ。


 私を誹謗中傷したツケが、回ってきただけ。


 良い気味だと鼻で笑ってやりたいのに、呼吸を整えるのもやっとのレイモン達をただ見物している状況に、やきもきしている。赤の他人の彼らがいくら負傷しようと、私には何の関係もない。だのに、前にも私はどこかで似た状況に陥って、戦えなかった自分を責めた。



「レ……」



 …──レイモン!!



 彼の名前を叫んだ瞬間、目が覚めたような心地がした。


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