錬金術師達が力の源とする魔素が、生活の利便性を上げてきたハンシルポでは、科学の進歩が遅れている。
彼らにスマートフォンやゲームの話をしても、気の触れた人間でも見る目を向けられるだろう。
その実、彼らが自在に姿を変え能力を扱う様は、スマートフォン向けアプリによくあるアバターシステムを想起する。
生前、私のいた高校にも、熱心に着せ替えで遊ぶ生徒達がいた。
当時の私には、バーチャル上の衣装や武器のために課金までする彼らが理解し難かったが、ハンシルポに暮らして二十八年、一度くらい、奇跡の体験も悪くないと思うようになった。
本来、人が他人を称賛する理由として、地位や名誉、知識、品性、人柄などが挙げられる。だが蓋を開ければ、結局は見た目だ。容姿さえ合格基準を満たせば、多少の落ち度は目を瞑られるし、影響力も桁が違う。
教師の頃は、まだ良かった。免許取得に採用試験、実力主義のそれさえこなせば、スタート地点には立てた。
ただし、生徒らによる品定めの結果が悪ければ、授業も聞かれなくなる。それも大人の世界になるともっと顕著で、誰が冴えない相手の話に、まともに耳を傾けるだろう。
私が電車に撥ねられた夜も、誰かの心ない言葉が発端だった。私は動揺したまま帰路を急いで、信号も見ないで踏切を渡り、前の世界を去った。
ハンシルポで目覚めた私は、生まれた家さえ裕福なら、まずは及第点の付くくらいの姿かたちにしてもらっていたはずだ。
だのに、現実は厳しい。そこが流行りの創作ジャンル、異世界転生との大差だ。
前国王が晩年まで愛した祖母は、彼の崩御で、修道院に送られた。彼女のなけなしの財産を切り崩して暮らしていた母親に、どこの男の遺伝子を得たかも分からない娘のために、絵描きと錬金術師を雇うほどの甲斐性はなかった。案の定、ありのままの姿でこの世に生み落とされた私は、生活苦で心を壊した母が精神病院に隔離されるまで、就職先も見付からなかった。
容姿が劣っているだけで、手の届かない権利がある。住む家くらい欲しくても、まとまった家賃も蓄えられない。ハンシルポ国民が金を出す価値を認めるのは、優れた容姿の人間だ。
そして、今また私は自分の無力を痛感している。
大業を成すつもりはない。特別な存在になりたいわけでも。
ただ、生きて何をしているか。私は何を得られるか。
ともすれば私は、何も得られないばかりか、他人に何かを与えることも出来ないのではないか。
例えば、安全圏で立ち尽くしているしかない今でさえ、救助が来るのもこの足場が崩れるのも、私の意思では選べない。
悲しいほど、何もない。
「ぐぁっ!!」
レイモンを庇った兵士の盾を、魔獣の尻尾が叩き落とした。厚い皮膚と肉の凶器が、小柄な彼を吹き飛ばす。
魔素の回復が間に合わないのだ。
デューブの武器は、使い続けると一時的に効果が薄れる。
実際、今しがたの兵士の他にも、数名が焦燥した顔で武器を見ている。
「くそっ……衛兵はまだか!」
「王室が派遣するかよ……やつらにとっちゃ、こんな薄汚い下町……」
近隣住民達からも、余裕がなくなっている。
その時、私はさっきまで眠っていた寝台の脇のチェストに、見覚えのない──…少なくともこの二十八年間は馴染みのなかった、鉄の板があるのを見た。
それは、ハンシルポにはあり得ない、タブレット型情報端末だ。
* * * * * *
生徒達に歴史を教えていた私は、必要な資料をタブレットに保存していた。そこには、ニュースを見るためにチャンネルアプリを取っていた以外、不要なものは一切ダウンロードしていなかった。
突如として現れたタブレットが私のものと分かったのは、チャームだ。前世の私は、ストラップのための通し穴に、うさぎのチャームを引っかけていた。黒とピンクの地雷系と呼ばれるデザインのうさぎは、派手なものを好まなかった私が、どうしてか気に入っていた。
前世の私の愛用品は、手に馴染んだ。今までどこに消えていたか、バッテリーも充電されている。基本操作も覚えている。
ただ、一つ不可解な点がある。
タブレットのホーム画面に、可愛らしいドレスとお菓子の絵が描かれたアイコンが並んでいたのだ。
長押ししてバツ印を押そうと思った。だのに久し振りに電子機器を触った私は、うっかり問題のアイコンを開いてしまう。
「っ、しまっ……」
ゲームやSNSに費やしている時間があるなら、勉強や読書に充てたい。
それが私の生前だった。
だが、手遅れだ。
もとより今の私は教師でもなければ、いくら知識を蓄えても、どうせこの容姿のせいで、家庭教師も志せない。
それなら少しくらい遊んで、経験値を上げておいても悪くない。
開き直って、私は浮かれたオープニングを鑑賞した。そして、いよいよゲームのルール説明に目を通す。
チュートリアルが始まらなかったところからして、誰かがこのタブレットを使って、既に少し遊んだあとかも知れない。