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階級混合サロン


 宿でチェックアウトを済ませて、私達は洋装店に立ち寄った。そこで、雨や血で汚れた制服から目立ちにくい衣装に着替えたレイモンに連れられて、彼の友人の屋敷へ向かった。


 覚えていたところで特に今後の人生には役立たないだろう雑談で、徒歩の暇をまぎらわせながら目的地に着くと、私達は門番に主人への取り次ぎを願った。



 ややあって、少女が飛び出してきた。


 活発な愛らしさが印象的な彼女は、今朝の薄桃色の髪の少女とは違う。癖毛の金髪を揺らして、長いドレスの裾を持ち上げた彼女が、私の隣にいた男の脛を蹴った。



「性懲りもなくまた被害者増やしてんのか、悪人!!」



 道中、日々の鍛錬は痛覚への耐性も培うと豪語していたレイモンが、片膝を庇ってうずくまる。


 私の思い描いていた貴族像が、音を立てて崩壊していく。

 自身よりひと回りは年長だろう男を睨んで肩で息をする少女の姿は、高貴な生まれ育ちを象徴している。だが、彼女はドレスを下ろして露出した足首を隠すや、今度は拳を振り上げた。



「ベレニー!」



 続いて出てきた青年が、今まさに二度目の攻撃を繰り出そうとしていた少女──…ベレニーという名らしい彼女を止めた。


 背の高い、黒髪の青年だ。少女より大人びた感じの彼は、私の同世代か、やや下と見える。肩に触れるか触れないかの髪を手櫛で整えて、私を一瞥した彼は、片手を自身の胸に添えた。



「ようこそ、ガイヤール家へ。ご令嬢は、初にお目にかかります。新しい恋人の方ですか?」


「初めまして、ガイヤールさん……サエです。彼とは昨日、知り合いました」



 見るからに育ちの良い彼らに、私はかしこまった挨拶をした。


 第三身分の生まれでも、淑女の真似事は出来る。特に私のような職業の女は、暇を持て余した紳士に教わることがあるのだ。


 金髪のボブにリボンを飾った少女を片手で宥めながら、青年が私に口を開いた。



「どうぞリュカとお呼び下さい。レイモンとは町で打ち解けた友人です。彼女は妹。彼と痴情のもつれがあって、冷静になれないところがあるだけで、どうかお気になさらず」



 …──いや、もし私が貴族なら、めちゃくちゃ気になっていた。



 何せ上流階級の人間にとって、他人のスキャンダルは極上の娯楽だと聞く。




 それから私とレイモンは、屋敷の居間に通された。


 凝ったデザインのソファやテーブル、芸術品が、まるで一枚の絵画を完成させているそこには、先客がいた。絵を描いたり、ヴァイオリンを奏でたり、本を広げて議論したり、各自が思い思いに過ごしている。



「サロンを開かれているんですか?」


「ええ。僕は早くに爵位を継いで、世間知らずだったのです。こういう場を設ければ、様々な視野から学びを得られます」



 確かに、出入りしているのは貴族だけではなさそうだ。華美な成金はともかく、従来の貴族の屋敷なら、つまみ出されそうな身なりの市民達もいる。



「皆さん」



 リュカの呼びかけで、一同が彼に注目した。近くにいた私にも、自然と視線が集まる。



「彼女は、サエさんと仰います。ピニーブルレ通りの宿に、転々と移って暮らされています。僕の友人のお友達ですから、信頼出来ると思いませんか。彼女にも僕らの話をお聞かせしたいのですが……」


「本当に友達?」



 陶芸に勤しんでいた少年が、リュカの話を遮った。

 パッとしない顔立ちに、粗末な身なりだ。まだ十五にもなっていないだろうに、荒れた手先が彼の生活を物語っている。


 ただし、私の一抹の同情など、思春期の少年には伝わらず──…



「レイモンさんの同伴だろ?どうせまた一晩寝ただけで、友達だって、勝手に言ってるだけじゃないの?」


「……!?」



 私は絶句した。


 早いうちに酸いも甘いも噛み分けた子供というのは、どこまで悟っているのだ。


 少年が厳しい調子で続けた。



「お姉ちゃん、レイモンさんは友達として文句ないよ。でも好きになっちゃダメ。僕の話が信用出来なければ、カウラさんやシーシさんに聞けばいい」



 名前の上がった二人の女性を、私はすぐに特定した。

 何故なら一人は顔を一瞬顔を引きつらせて、もう一人は、私に同情的な目を向けたからだ。



 弁明を始めたのは、レイモンだ。


 昨夜、私達がどれだけ健康的で子供騙しな夜を共にしたか。それは、タブレットや私の姿が証明している。


 初めは疑心を顔に出していた一同も、次第に前のめりになって、彼の話に聞き入った。ただし、彼の知識には限界がある。彼が魔法の板と呼ぶものの用途や、ファッションゲームアプリの概要を、私はかなり補足した。


 ひと通りの説明が終わると、一同の私を見る目が変わっていた。

 身元の知れない美しさだけが取り柄の女から、王室付きの錬金術師をも超え得る力を秘めた人材へ。……



「今朝のニュースは、俺達の耳にも届いていました。兵や警備隊が束になっても敵わなかったS級だったとか。運良く雨が降って、魔獣を追い込んだということでしたが、サエさんが雨雲を呼ばれたんですね」


「断定は出来ませんが」


「でしたら、ここで試されてみては?」



 キャンバスから身体の向きを変えた婦人が、私にそう提案した。


 彼女が続ける。ここは王宮の目も届きにくく、目立つことをしでかしたところで、すぐに目はつけられない。雨を降らせるのは大変でも、例えばカップを水で満たすくらいなら、駆け出しの錬金術師達も修行によく取り入れている。



「お気持ちは有り難いです。でも、まさか本当に念じただけで水が出せるなら、うっかり下手なことも考えられなくなりませんか……」



 それこそ火でも出せば大変だ。


 私が躊躇っていると、婦人が握っていた筆を置いて、話を続けた。



「サエさん。魔法の板で絵を仕上げた時、下地やマチエールは塗った?例えば、そちらのショール。黒くなさる前、水を象徴する色味だったことは?」


「あ……」



 私はそこで思い出す。元々、このショールは青だった。


 デューブすら無縁だった私と違って、絵を描く人間なら知っていても頷ける。髪の色に関しても、昨夜、レイモンがくすませたいと言って下地は寒色を使っていたため、今の私は危険物を発動する可能性が低い。



「じゃ、あ……」



 無数の好奇心に見守られて、私は使用人が運んできたカップの前に腰を下ろした。


 私は呼吸を整える。


 これが成功すれば、今度こそ異世界転生によくある軌道に乗れるのではないか。


 そんな期待も持って。



 …──水。水!……水!!



 ……ちゃぷ。



 目を開けて、結果を確かめるまでもなかった。


 またあの懐かしさに似た感覚と、物理が自分に従ったという確信が、私を包んだ。


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