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誰がハンシルポを食い物にした?


 ただ水が溜まっただけの、飲みやすさより装飾性を極めたカップ。


 大の大人達が、それをまじまじ見つめて、奇跡にでも遭遇した顔で息を呑む。姿勢を変えて、手品の仕掛けを探ろうとしている紳士淑女達もいるが、タネがあるなら私も知りたい。


 結果から言えば、私は水を精製した。召喚より、精製した感覚が強い。


 サロンで知的探究心を満たしている面々は、更なる奇跡を見たがった。


 ただし、私の時間は限られている。

 昨夜の経験からして、私がこの姿でいられるのは、六時間弱だ。睡眠時間を含んでそれだったということは、能力まで使った今日、もっと短い場合もある。早い話が、そろそろ屋敷を出なければまずい。


 退出したいと伝えると、レイモンが私のブラウスの袖を掴んだ。



「どこへ帰るの?」



 リュカも遠慮がちに頷いている。彼の妹も、元恋人に思うところはあるだろうに、それとこれとは別と言わんばかりに同感している風である。



「デューブが解けて、醜態を晒したくないんだね。女神のためなら、オレは何でも差し出せる。右上のお菓子がサエさんの姿を維持するアイテムなら、ものは試しだ、さっきの魔素は、やはり使ってみて欲しい」


「でも」


「レイモンさんの仰る通りですわ、サエさん」



 キャンバスに芸術を投影していたさっきの婦人が口を開いた。


 名前をロランスというらしい。風景画を得意とする彼女は、リュカとベレニーに実力を買われて、パトロンの支援を受けている。


 一つの対象物に百も千も意味を見出しているような深い目が、私に微笑む。



「サエさんは、私達の力となるかも知れません。魔法の板が、どうして錬金術師の魔素を借りずデューブを練装出来るかはともかく、知れば宮廷も放っておかなくなるでしょう。しかしあなたとは、私達が同志になりたいです」


「つまり、魔獣の残す特別な魔素を私が使えば、皆さんにも損はないということですか」


「お察しのいいこと。ですから、どうかお受け取り下さい。レイモンさんは王室に仕えながら、きたる時に備えて、密かに蓄えておいでですから」



 ロランスが言うに、私に魔素を一つ譲ったところで、大した損失にならないらしい。


 しかし私は、彼らの厚意を辞退した。


 こうしたサロンには、危険な側面もある。単に有識達が意見を交換するだけの場もあれば、芸術の共有、道楽者らが羽目を外すための場もある。


 いくつかの可能性から、歴史教師の経歴を持つ私は直感した。



 美しいだけの女の警戒心に、一同が驚きの顔を見せた。


 彼らの顔つきが、さっきカップに水が出現した時に近いものに変わる。


 熟年の紳士が低く唸った。



「勘のいいお嬢さんだ……。リュカくん、彼女は逸材かも知れない。捕まえておきなさい」


「全くその通りです、男爵。こうも華やかで優雅な僕達のサロンに数分滞在されただけで、反王室派と見抜かれました」


「反王室派?!」



 私の喉から声が飛び出た。


 貴族や芸術家、市民達が一堂に介している時点で、まずその可能性は一気に上がるが、いざ聞けば衝撃的だ。


 確かにここ数十年、国民の不満は右上がりだと聞く。貴族でも隠れて労働している場合があるくらい、国庫は火の車らしい。かつて隣国ナーリエムス公国との対立で、湯水のように軍資金を費やした。ハンシルポ王太子が皇女と婚姻関係を結んで、両国は和解したが、彼女の家臣達が不正騒動を起こしたのが四年前──…未だ国情は最悪だ。



「サエさんの仰る通り、発端は隣国との対戦です。しかし、財政破綻がこうも悪化の一途を辿ったのは、大臣どもの横流しだけが原因だと言いきれますか?」



 いつの間にか演奏をやめていた青年の弁論に、私は思考する。


 それは、よくある横領だった。皇女ローズがナーエリスム公国から嫁いできた時、彼女に随伴していた大臣達が、ハンシルポの予算で私腹を肥やして、故郷にまで金銭を送っていたのは早期に見付かり、彼らは相応の処罰を受けた。だが、国庫は未だ回復せず、私達のような人間が増えた。



「アベラとルイーズの……いや、ローズの責任でしかないんです!」



 耐えかねたようにして、リュカが声を荒げた。


 ベレニーが兄に同調する。



「ハンシルポは、ローズ王妃が凋落させました!周りに目を向けず、あの女はドレスや宝石、別荘、とりまきやお気に入りの侍女達のために、王妃の予算を引き上げ続けています」


「彼女のために開かれる、舞踏会、オペラ、茶会やデューブファッションショーをご存知ですか?一度の開催で、第三身分の国民なら、五百人名は生涯悠々自適な生活を保証出来ます」



 ベレニーの弁論を皮切りに、ローズの批判があちこち飛び交う。


 ローズ・デュ・ユベール・ハンシルポ──…。


 二年前の戴冠式で、私も彼女を遠目に見た。くすんだ薄桃色の髪に、高貴な佇まい、優雅な所作。…………


 生まれながらのプリンセスとは彼女のような存在を指すのだろう。私が彼女に嫉妬もいだかなかったのは、もはや同じ人間と認識出来なかったからかも知れない。いや、仮に出来たとしても、あの少女に暗い感情は向けられない。彼女が同じ世界の問題に目を向けられないように、私も彼女が同じ次元の住人という気がしない。



「ハンシルポ王家を潰す」



 レイモンが、まるで復讐を誓う人間の目つきをしていた。



「ローズを王座から引きずり下ろして、この国を正す。それが、本来、戦う者のなすべき使命だ」…………



 自分は王家の奴隷ではない。戦士だ。


 そう続けた彼は、何不自由なく暮らしている貴族の典型そのものだ。


 リュカ達もだ。全員が全員、一人の少女を糾弾して、彼女の人生を壊さなければいけないほど、追いつめられているようには見えない。


 それでも正義を貫くのか。正義と呼べるかさえ分からないのに。


 たった一人の少女へ向かう憎悪が充満した居間で、私は毒にあたりそうになる。


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