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叶った夢と、生きていく価値


 ピニーブレル通りに魔獣が出現した日を境に、私の人生は一変した。


 まず、私は男達に身体を売らなくなった。


 タブレットに入っていたファッションゲームアプリのヘルスポイントは、私がお菓子を食べれば回復するようだ。しかも、現実に腹に入れたものが上質であるほど、デューブをまとっていられる時間が延びる。私の値打ちが上がったところで、デリバリーヘルスを続けなければいけない理由が思いつかなかった。


 ファッションゲームアプリに感動したレイモンから得た金で、私は夢にまで見た自宅を買った。首都から列車で一時間半離れた新居は、生前に暮らしていたアパートなど比にならず、パステル調の塗装や可愛らしいフォルムにひと目惚れした。


 つまり、男達から宿代をもらう必要もなくなったのだ。


 くすんだ赤毛の美女の素体を、私は気に入っている。この姿を固定して、私はアプリの中の彼女に、一生かけて働いても手に入らなかったようなドレスや装身具を合わせて、化粧もマイナーチェンジする。



 ファッションゲームアプリに熱中している無職の女。


 以前の世界なら敬遠の対象だっただろうが、ここはハンシルポ王国だ。

 私の小さな新居には、二日に一度の割合で、来客もある。


 今も、首都から一時間半かけてきた知人達を追い返せるほどの薄情さを持ち合わせていない私は、彼らのために、チョコレートフレーバーの紅茶とオレンジパイを用意した。



「お菓子も美味くて美人で、最高です。サエさんに会ってからというもの、レイモンの女好きが落ち着いたのも頷けます」


「いつの間に果物も増えたんですか?この町は、美人が引っ越してくると、皆さん納税しちゃうんですか?」



 頬が落ちると言わんばかりに、紅茶とケーキを交互に口に放り込むのは、リュカとベレニーだ。


 彼らの正面に腰を下ろして、私もティーカップを持ち上げる。


 もちろん、無償で貴重なお茶とお菓子を振る舞っているわけではない。



「さっそくだけど、質問。デューブは、原案の下塗りの色で、能力の属性が変わるのよね?寒色なら水、暖色なら火……黄や茶色なら、地層。他にもあるの?」



 ベレニーが咀嚼していたオレンジパイを飲み込んだ。


 生徒から質問を受けた教師くらい自然に口を開く彼女は、私の下心に嫌な顔ひとつしない。



「それは、覚えなくていいと思います」


「どういうこと?」


「下地の法則は、サエさんの解釈で合っています。ただ、属性との相性は個人差があって、サエさんは水の扱いが飛び抜けて巧いです。ということは、特に対照的な火を始め、地層、風、光や闇は、扱いきれない可能性があります」


「虹タイプと呼ばれている、万能もいますけれどね。五千年に一人や二人、現れるくらいです」



 つまり、原案に青以外の下地を塗っても、火や風は起こせないということか。


 私は納得した。


 数日前、付近にも魔獣が現れた。あわよくば魔素を取って金を稼ごうとした私は、その時の衣装に大量の赤を使用していた。やっとの思いで少量の水を出せただけで、通りすがりの傭兵達の救助が入らなければと思うと、背筋が凍る。慣れた彼らはものの五分で魔獣を倒して、黒い魔素を回収した。


 そうしたことを私が振り返ると、兄妹が理解不能と言わんばかりに眉根を寄せた。魔獣退治の暇があるなら、早くサロンに加われば良いのに。そう付け足して。



「もしくは、お菓子屋さんを始められるとか。女性の幸せは、玉の輿か起業。二択ですよ」


「サエさんなら、どっちも夢じゃないですね。早くあいつにプロポーズして、使用人を大勢雇って、パティスリーを全国に展開なさっては?……イタタッ」



 突然、リュカが端麗な顔を歪めた。


 私の結婚相手にレイモンを勧めた報いだ。妹をもてあそんだという男を彼女の前で推薦した、彼の頬をつねった手を、私は下ろす。



 オレンジパイを平らげて、私はファッションゲームアプリを開いた。さっきまで二つだった右上のお菓子のアイコンが、三つに回復している。 


 こうして練装を繰り返して、一ヶ月が経つ。最近、ようやく私は、デューブの持続時間を読めるようになった。元に戻りそうになった時、アバター編集画面を開いて更新する。すると、デューブが解ける前に時間延長出来るのだ。



「起業も興味はあるけれど、私にはブルジョアすぎるかな」



 私は、窓に広がる眺めに目を遣る。先日買った畑が見える。近隣住民達の協力を得て植えた野菜や果物は、彼らの中に魔素を使える人間もいたお陰で、食べ頃だ。


 それは、デューブをまとうために必要な工程だった。



「この国は、女性が重労働しない。戦場に出るのはおろか、魔獣に対しても私達は逃げる他になかったわね。そこにメリットはあるかしら?」



 ハンシルポの価値観のみを叩き込まれてきたベレニーには、意地悪な問いかも知れない。


 いや、却って簡単だったか。


 彼女は、少しも迷わず口を開いた。



「怪我しなくて、怖い思いをしなくて済みますわ。それに魔獣は、元々……」



 口ごもったベレニーが何を言わんとしたのか、私は察した。心優しい令嬢に、その事実は耐え難かろう。


 影と結合した人間。


 魔獣退治は、一人の人間の命を奪うことにもなる。



「ええ、ベレニーの言う通り。ただ、こうとも考えられない?本当に魔獣退治が忌むべき仕事なら、殿方だって、少なくとも貴族はしなかったはず」



 結婚や起業も、同じだ。


 経験した人間だけが、実態を知って、自身の適性を判断する。経験してもいないうちは、何も分からない。



「私は結婚も起業もしないわ」



 異世界転生ジャンルの主人公と違って、私は平凡な教師から、最底辺の貧困民に生まれ変わった。


 唯一の強みが、タブレットの生むデューブだ。


 その力で、私は富を築くしかない。


 特別になりたいわけでない、とは強がりだった。私は、自分の人生に意味を持たせたかった。裕福層にのし上がれば、金という明確な数字が私の価値を証明する。贅沢な暮らしが、喉から手が出るほど欲しい。私達のような人間から搾取して、手を差し伸べる価値もないと言わんばかりに胡座をかいてきた守銭奴達から、搾り返してやりたかった。私がデリヘル嬢をしていたのも、祖母のリスペクトではない。一時の快楽のために金を出す愚昧な男達を、ただ嘲笑いたかっただけ。


 地上の富は、有限だ。それがどこに偏るか、勝ち組と呼ばれる人間の手元だ。私は彼らの仲間に加わって、彼らを見返す。なけなしの金で私を組み敷いた男達も、いつか私に救いを求めて、空っぽの頭を支えた額を地べたにすりつければ良い。



「尚更、僕達と組んでローズを制裁しましょうよ」



 リュカの勧誘も、筋は通っている。


 この国の最悪の浪費家は、あの少女だ。私達の生活は、少なからず王妃という存在に、負荷をかけられている。


 それでも、私は今日も辞退する。


 彼女に似た少女が夢に出てきた日、私の人生は転機を得た。


 幸福の女神を復讐の対象には出来ない。


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