私の夢に、頻りと薄桃色の髪の少女が現れるようになっていた。
夢の中で、私達は姉妹のように互いの髪を結うことも、庭園で、恋人のように抱き合うこともある。彼女の匂いはどんなお菓子も敵わないほど甘く、さりとて主張しすぎず、胸奥にゆったりと降りて染み渡る。
ローズ王妃に似ている気がする。
彼女を崇拝したことはない。そもそも見たのは戴冠式の日だけ、遠目にだ。彼女に会うには抽選に当たって一般席を勝ち取るか、貴族の仲介が必要だった。
こうも彼女のことをよく知らない私が、今朝は、彼女専属の絵描きと錬金術師の顔まではっきりと見た。
二十歳前後のアベラは素朴ながら愛嬌があって、彼女より年長の、それでも私よりは少女の名残りの強いルイーズは、ラベンダーカラーの巻き毛と気の強そうな目鼻立ちが印象的だ。もっとも、それらは私の想像が生んだイメージだ。
そうしたことを振り返りながらタブレットで絵を描く私の正面、テーブルを挟んだ向かい席に、今日も今日とて勧誘のために訪問していたレイモンがいる。
「サエさん、一度、医者に診せた方が……いや、司祭の方がいいのか?頼む、何事もなきよう……!」
ショートケーキの断片のついたフォークを握って、私を真顔で案じる男。三十を超えて肌荒れひとつ見当たらないのも未だ信じられないが、今は彼の嫌味を聞き流せない。
私は、タブレットに滑らせていたペンを置く。
ショートケーキを皿ごと彼から回収した。
「もう食べないで。いくら絵が下手だからって、病気呼ばわりしなくていいじゃない」
「え、絵?……え、サエさんが描いたの?確かに酷い」
「あなたの酷さには敵わないからっ」
半分ほど彼の腹に消えたあとのショートケーキを、私はかき入れる。
この町特有の土が育てた絶妙な酸味を連れた甘い大きな苺も、まるごと口に放り込む。そして私は大袈裟なまでに舌鼓を打つ。
その時、頬杖をつくレイモンと目が合った。何故か彼がにやけている。
「美味しい?」
「最高に。首都にまで流通していない苺は、最高」
「オレとの間接キス、そんなにいいんだ?」
ガチャーーーン!!
反射的に投げた皿が壁を殴って、粉砕した。
さっき以上に目を見開く彼が、私を見上げる。
私の反応は、彼の予想を外れたのだろう。残念ながら、私は元デリヘル嬢だ。口づけは業務の一環で、いくら顔が綺麗でも、自身の価値を自負しているような男の態度に、一種のアレルギーさえある。彼らのような客に限って、女の愛想笑いすら見抜けない。
「ごめんごめん」
反省の色も見えない声が、私を現実に引き戻した。
レイモンの神妙な目が、私を上目遣いに見ていた。
「脱線したけど、心配したのは絵じゃなくて。サエさんの夢が正解だからだよ」
「と、言うと?」
「アベラちゃんとルイーズちゃん。二人の見た目は、サエさんの見た夢の通り。でも会ったことがないんだろう?考えられる線としては、二人を知る誰かの生き霊が……ほら、今もあなたの肩に──…」
「「きゃあァアアアアアアア!!!!!」」
その手の話は苦手だ。
だから以前の人生でも、夏合宿のある部活の顧問にだけはなりたくなかった。
盛大に響き渡った私の声に重なって、外からも女の悲鳴が聞こえた。
* * * * * *
悲鳴の主は、思いもよらない人物だった。
今まさに私達が話題に挙げていた、宮廷画家のアベラだ。
本当に、夢で見ていた通りの見目かたちだ。…………
そして私が驚いたのは、彼女の容姿だけではない。
宮廷に出入りしている技術者が、こんな田舎にいるはずなかった。彼らは城の外に雇い主を持ってはいけない。従って、帰省の時期を除けば、まず首都は離れない。特にアベラほどの人物となると、そのプライベートは謎に包まれている。休暇にどこで何をしているか、報道陣らも掴めない。
幻にでも遭遇した気分で顎の長さの茶髪の女に目を凝らしていた私は、同時に、彼女が腰を抜かせた元凶も知る。
「写生していたら、きゅっ、急に魔獣が……!」
キャンバスの表面を行ったり来たりさせていたのだろう鉛筆を投げ出して、彼女が黒い猪を指差す。
レイモンの銃が、象くらい巨体のそれを狙った。続けざまに私の雨が、その魔獣の目くらましをする。
ハンシルポに存在しない猪を知る私でも、ただの野生の動物という可能性を否定するには十分だ。猪とは似ているだけで、全く違う。それに邪悪だ。
私の呼んだ雨雲は、魔獣の頭上にのみ現れていた。銀色の線の勢いを強める。
「もっと……強く!」
ザァァーーー。
ここに暮らして一ヶ月半が経つ。みちがえるほど水を操れるようになった私は、今日、レイモンが私服姿であることを恨めしく思う。休暇を使って一時半かけて田舎を訪ねてきた彼は、護身のための原始的武器しか備えがなかった。魔獣が出るとは思いもしなかったのだろう。
「あなたの銃か、私の雨……どっちも通じなかったら、どうやって逃げる?」
私は、猛進する標的を雨雲で追いながら、激しさを増す雨のイメージをいっそう強く頭に思い描く。
ガウゥゥゥゥ……!!
牙の隙間からよだれを垂らして、魔獣が頭を振り乱す。
「逃げた前例は、ないなぁ。サエさん、武器は練装出来ない?」
レイモンが問い返してきた。
確かに、最終手段は、私のデューブに武器を加えることだ。しかしファッションゲームアプリにそんな物騒なアイテムはなく、ガチャを引くにもヘルスポイントとは別にお菓子を食べる必要がある。そして、満腹になるまでチャージしても、ガチャで目当ての報酬が出るとは限らない。
こうした窮地に備えて、私は絵の稽古をしていた。ただし、ガチャより不安要素が強い。
「ドローイング機能を使えば、理屈としては……」
「分かった、時間を稼いでいるから、頼んだ!」
レイモンが銃を構え直した。
パァァァァン!!
彼の二発目の弾丸が、猪の額に命中した。
獣がふらつくのを見届けて、私は家に駆け出した。