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宮廷画家、アベラ


 銃声と獣の咆哮に急き立てられるようにして、私はタブレットにペンの先を滑らせる。


 データフォルダに入っていた歴史資料は、扱いこなせる気のしない武器ばかりだ。白紙から何かを生み出すという行為に苦手意識さえある私は、実践までまだ絵の稽古を積みたかったが、魔獣がそんな猶予はくれない。


 試験を控えた学生のように、外の空気が吸いたくなって、私はリビングの窓に目を向ける。


 アベラの落ち着かない表情が、レイモンと黒い猪を行き来していた。



「いらっしゃって、アベラさん!!」



 窓から身を乗り出して、私は叫んだ。


 彼女を放り出しておけるほど、私は全ての裕福層に思うところがあるわけではない。


 少女の名残りを感じさせる顔が、私を見た。そこに若干の謙虚さが覗く。だが恐怖が優ったのだろう、彼女はすぐ駆け出してきた。



「お邪魔します……。有り難うございます、あの、……」


「サエです。自己紹介はあとです、アベラさん。今に魔獣は倒すので、待ってて下さいっ!」



 軒先で彼女を出迎えて、私は再びテーブルに着く。



 カタカタカタカタ。



 武器の描画を再開した。


 レイモンの銃の影響で、今日の私の頭の中には、飛び道具で魔獣を倒すという方程式が仕上がっている。寒色で下塗りまで終えた銃に新たなレイヤーを加えて、次は鉄色で着色していく。


 案の定、アベラの視線がタブレットに集中していた。


 反王室派のサロンのメンバーが、私に口を酸っぱくしていることがある。錬金術師の力なくして、デューブを完成させるタブレット。それが城の関係者の目に留まらないよう気を付けろ、というものだ。私はとうとう注意を破った。


 だが、三人揃って魔獣の餌になる方が、絶望的だ。


 紙とペンで絵を描けるだけでも同じ人間とは思い難いのに、デジタル上に描画するとなると、神業だ。今にして思えば、私が生前いた世界のデジタル絵師達は、どんな過酷な訓練を積んでいたのだろう。



 キャンバスにミミズ線の銃が完成させた私の背後に、第三者の気配がした。



「こんな小さなところに絵をお描きになるなんて、すごい!銃ですね!」



 それは、私が、別の観点からもアベラに一目置いた瞬間だった。


 何せ私がこれだけの時間をかけて描いたのは、L字型の積み木に小さな突起を加えたただけの、灰色の図形。それを銃だと言い当てた彼女は、ただ者ではない。


 今日の私と同じ装いのアバターに、それを持たせて決定ボタンを押す。


 例の不思議な感覚が、私を包む。


 まもなくして、私はほぼ直線で出来たL字型のおもちゃを所持していた。



 バババン!バンッ!



 外の銃声に呼ばれるようにして、私は窓を覗く。


 レイモンの銃は、確実に魔物に命中している。だのに、致命傷にならない。このまま弾が切れてしまえば、いよいよ私達の旗色が悪くなる。



「水鉄砲でやっつけましょう」



 アベラが料理のレシピを思いついたくらい軽快に言った。



「サエさんの描いた銃に、私が手を加えます。酸性の水……そうですね、あの魔物を一瞬で溶かす水が出ると、念じて攻撃して下さい」



 ともすればずっと共闘してきた仲間に対するような調子だ。


 城外で絵を描いて構わないのか、私にそこまでの練装が出来ると確信してくれるのか。


 あらゆる疑問が押し寄せてきた。それら一つも口にしないまま、私は彼女にタブレットを奪われていた。



 ペンを握ったアベラの手は、まるで魔法だ。原始的な画材しか扱ったことのないはずの彼女は、タブレットのデジタル画面に、すらすらと線を引いていく。私の描いたL字をベースに、あっという間に水鉄砲を完成させた。



「どうですか?」



 私は、彼女への感謝と称賛に語彙力を尽くす。


 半透明の本体は、装身具のような趣もある。内部がほんのり透けた水鉄砲は、花の装飾付きだ。彼女が伊達に王妃の専属画家ではないということか。


 決定ボタンを押した私は、今度こそ強力な武器を得た。



「有り難うございます、アベラさん!」



 水鉄砲を握って現場に戻ると、弾丸の嵐に逆らって、魔獣がレイモンに突進していた。


 銃が脅威ではないと判断したのか。あれだけの負傷も人間のかすり傷くらいでしかないらしい猪に、私は水鉄砲の口を向けて引き金を引く。



 ビシューーーッ!!



 魔獣退治で億万長者になろうという決意はあっても、いざその邪悪な存在を目前にすると、私は思考を働かせるだけの余裕もなくす。


 私は、アベラの想像力をそのまま頭に再生した。



 …──酸性!当たって、溶けろ!!



 失敗すれば死ぬほどの心づもりで念じた。


 従来の水しか出なければ、まずレイモンと魔獣の接触は不可避だ。そして、彼の屍に胸を痛める猶予も得られず、じきに私も次の餌食になるだろう。



 ピシュッ……ピシュッ!!



 続けざまに引き金を引く。



「溶けろ!溶けろぉぉお!!」



 次第に私は、水鉄砲の放つのが硫酸だと確信していた。水である可能性への不安より、弾切れならぬ水切れしないか、その懸念が上回る。ただし、アベラとの共作はデューブだ。異次元からの湧き水のように、中身は尽きない。


 猪の毛並みに触れた水が、じゅわじゅわと気泡を浮かべていた。気泡は熱した鉄板に油を垂らしたように数を増して膨れては弾けて、ただれた肉を抉り出す。血液が、硫酸の特性を持つそれらを嵩増しする。だからと言って薄まらず、酸性濃度は上がるばかりで、魔獣はついにくずおれた。


 黒い巨体が苦しみ悶える。理性を失くした怪物の目に、悲痛な感情が見え隠れする。


 最期を受け入れるような目だ。静かに前方を見据える姿は、か弱い小動物の死期を見るのと同じくらいの感傷を誘う。


 つと、私は、魔獣が影に食われる以前の姿を想像した。


 この生き物も、以前は人間だったのだ。積み重ねてきた歳月があって、家族や友人、夢を愛して、今となってはあれが何者だったのかの手がかりもないが、影に遭遇さえしなければ、当然のように次の朝も迎えていた。大事な予定を控えていたかも知れない。私のように、長年の悲願が叶うところだったかも知れない。だのに突然、全く別物に変えられた。



 グォ……くぅ……シュー、シュー……。



 身体の大部分が溶解しても、魔物は息を引き取らない。急所に到っていないのか。


 この先、私はこうした生き物を踏み越えて、財をなす。人間を辞めさせられた生き物を殺して、奪った魔素を、大金に変える。


 上流階級の人間のしてきたことと変わらない。

 まともな食事にありつけず、医療費の工面も諦めなければいけない。彼らはそんな国民達からも徴税して、安穏と暮らして、私達の想像力では思い描けもしないような道楽に、金と熱意をかけてきた。国民達は抗えもしない。抗えば、非国民の烙印を押される。


 あの魔獣は、以前の私だ。


 生きているだけで苦しい日々。苦しくても根拠のない救いを待って、死にたいと望めるほどの理由も見付けられないでいた。もっぱらもがくだけだった。



 次は私が見下ろす番だ。

 私がいくらあの魔獣に同情しても、地上の富や幸福は、どうせどこかに偏る。



「サエさん!!」



 突然、優しいソプラノが私の思考を貫いた。


 振り向くと、楕円の鉄塊を持ったアベラがそこにいた。


 彼女には全く似合わない、物騒なアイテムだ。



「これで、とどめを刺せます。あんな生き物でも、早く楽にしてあげないと……」



 私は、彼女から爆弾を受け取る。



 点火して、まもなく蒸気が魔獣を覆い始めた。


 彼女の催促に従って、三人が屋内に避難してすぐ、爆音が辺りに轟いた。


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