傭兵を呼んで魔獣の遺体処理を依頼すると、魔素は私に返却された。
原則、魔獣の死が生んだ魔素は、退治した本人の手に渡る。
国の法に則って、今回、私は初めて戦士として報酬を得た。
「アベラさんが何故、こんな田舎にいらっしゃったか。あんな物騒な武器を所持されていたか。こちらをお礼に差し上げますので、お聞かせ願えません?」
「私には、魔素の使い道がありません。無償でお話ししますよ」
例えば第三身分の人間なら、犯罪を犯してでも手に入れたい。そんな代物を譲渡しようという、私の苦渋の申し出を辞退して、アベラが腹のうちを明かす。
彼女は、趣味でも筆を持つことがあるのだそうだ。宮廷ではローズのためのドレスや装身具ばかり手がけている分、休暇くらいは風景画も描く。ちなみに爆弾を所持していたのは、親しい兵士と話した際、うっかり彼のそれが荷物にまぎれた。次の出仕で返すために、持ち歩いていたらしい。
善良な見た目の人間は、嘘をつくのが下手かも知れない。
私は思う。アベラとて今の姿が天然ではないだろうが、どれだけ見てくれを装っても、人の本質は滲み出る。少なくとも彼女は、むやみに他人に損害を与えられるような人物に見えない。私を手のひらで転がせないだろう。
焼けたパイ生地をオーブンから取り出しながら、私は訪問客らに振り返る。
そしてアベラに視線を戻した。
「そういうことにしておきます、アベラさん。たとえあなたが他の目的をお持ちでも、時間をかけて、ゆくゆく聞き出すことにしましょう」
「サエさん、危ないよ。彼女はローズ王妃の側近だよ?オレのところに来てくれ。そうしたら、サエさんを守れるから」
困憊したアベラの隣で、レイモンが勧誘を再開した。
私を案じるのは良いが、言葉をぼかした勧誘も、リスクは伴う。彼は分かっているのだろうか?
シリコンシートにパイ生地を置いて、ミルフィーユを仕上げていく。
この土地でのみ採れる苺の香りにうっとりしながら、カスタードとそれらを重ねて、粗熱を取った生地を被せる。
それから紅茶を淹れ直して、私も二人の手前に腰を下ろした。
「サエさん。私がここに何しに来たか知りたいと、仰いましたね。さっき話したのも事実です。でも、お察しの通り、他にも目的があります」
アベラがティーセットに合掌した。
私達でさえ未だ飽きない、ここで穫れる素材を使ったケーキ。それを初めて口に運んだ彼女に、年相応の表情が浮かんだ。上品に、それでいて楽しげな手つきでミルフィーユを味わいながら、彼女が始めたのは苺の品種改良の話だ。
「ローズ様の専属に、ルイーズという錬金術師がいます。彼女の観測によると、ちょうどここ、サエさんのコテージの地層に、特別な魔素で育った肥料が沈んでいるそうで。それを苺に与えれば、金色の萼を付けた白い苺が育ちます」
それは、この世のものとは思えないほど極上の味わいを秘めた白苺だという。現存の苺とは比にならない甘味と酸味のバランス、ふんわりとした、それでいて感性に直接働きかけてくる口当たり、風味──…ひょっとすれば、その白苺は、国同士の対立ひとつに終止符を打つ代物にさえなり得る。
アベラのそうした話を聞いて、私は頭を悩ませる。
あまりにも怪しい投資話を聞かされている気分だ。彼女が嘘をついているように思えないのも、厄介だ。
それに、レイモンまで、金色の萼を付けた苺は祖父母に聞いたことがあると言い出した。
「だけど、その肥料を掘り出すには、ここを壊さないといけませんよね?やっと住む家が持てたのに……」
白苺に目が眩んで新居に穴を開けるほど、私は食い意地を張っていない。
それに──…。
私はタブレットに目を遣った。
さっき武器を増やして消費したヘルスポイント、つまりお菓子は、今食べたミルフィーユで十分に回復している。
私の胸中を推し量ったタイミングで、アベラが続けた。
「肥料は、魔素で育ったものです。概念的なものですから、お住まいに影響は出ません」
「なら何故、私に正直に話してくれたんです?こっそりお持ち帰りになった方が、面倒なくアベラさん達の利益になりますよね?肥料さえ採れれば、苺の苗は、市場にも出ていますし」
特殊詐欺やら闇バイトやらがあとを絶たなかった日本で社会を経験していた私は、甘い話にことのほか警戒心が強い。
アベラは、まだ何か隠している。
直感が私に警告していた。
「サエさんのお力になりたいんです」
アベラの厄介なほど澄みきった目が、私を見た。
「さっき、サエさんは魔獣が現れた時、ご自身が戦われていました。女性でありながら戦士と同じ行動をされる。理由として考えられたのが、報酬でした」
全くその通りだ。
尚、女でなくても、治安のために魔獣退治をする戦士など、ほんのひと握りだ。
アベラが続ける。
「サエさんには、もっと価値があります。魔獣退治で小銭稼ぎをなさっていては、もったいないです。白苺をブランドにすれば安定した収益が出ますし、空いた時間で、例えば宮廷画家のアシスタントをされるべきです」
「え?!!」
私は、耳を疑った。
アベラは、私の壊滅的な画力を見たはずだ。銃もまともに描けない素人が、王妃の衣装制作になど関われば、いつか謀反の容疑をかけられるほどの失態を犯す。
ただし、アベラが見込んだのは、私ではなくタブレットらしい。錬金術師の練装なくして絵をデューブに起こせる魔法の板に、彼女も一目置いたという。
「タブレット、と仰いましたね?そちらのアイテムについて、詮索しないと約束します。ですから、助手になって下さいませんか?サエさんのタブレットには、無限の可能性があります。制作時間だけでも、従来の工程とは桁違いです」
それに、宮廷は今、資金難に陥っている。画材だけでも消費量を削れれば、国民らによる王妃の心象悪化も抑えられるかも知れない。絵描きと錬金術師のコストが減れば、多すぎる給料の見直しも申し出られるし、実際、実労時間を減らせそうだというのが、アベラの見解だ。
彼女が話を終えて、しばらく私は考えていた。
王族にタブレットの存在を知らせるのは危険だ。反面、このままレイモン達との友情が芽生えれば、私は反王室派に引き込まれかねない。長い歴史の中には蜂起が失敗した例も無数にあって、この国の運命もそうだとすれば、私は富豪になる前に、下手をすれば牢獄行きだ。それに引き替え、アベラは魔獣退治を小銭稼ぎと断言するほど裕福だ。自ら給料を減らして欲しいと願う働き手など、私は今まで見たことない。
「宮廷仕えなんて危険だ、サエさん」
レイモンが語調を強めた。
彼も真剣な顔つきだ。少しは私を心配してくれているのだろう。しかし、大半は、彼もアベラも変わらない。二人の下心が同じなら、私は自分の得になる方を選ぶだけだ。
「あなたの助手にして下さい、アベラさん」
私は、アベラに向き直る。
考える時間を与えられても、同じ結論を出すだろう。それなら返事は、早い方が良い。
「実は最近、王宮の夢をよく見ていました。引き寄せられていたのかも知れません。白い苺のことを教えて下さったのも、感謝します。私でお力になれるなら、精一杯尽くします」
不敬罪になるだろうか。
一瞬、頭をよぎったが、どうしてか私は、夢の話を打ち明けてもアベラが顔色を変えない確信があった。
彼女が僅かに瞠目したのは、私の決断が早すぎたからか。嬉しげに相好を崩した彼女が腰を上げる。
親友に握手を求めるような屈託なさで、彼女が片手を差し出してきた。