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アフタヌーンティーとピンクダイヤモンド


 二日後、例の異次元空間を通って首都に到着した私は、コスメティックサロンで彼女達と合流した。


 ハンシルポには、販売店とプライベート空間の融合型サロンが数多くある。

 感じやすい年頃の少女達なら感性をくすぐられるだろうインテリアの揃った個室は、近くの洋菓子店やヘアサロンから店員を呼んで、各店のサービスも受けられる。例えば、令嬢達はここでコスメを買ったあと、茶会やエステを楽しんだりする。


 ロカイユ調の空間で、私もアベラとルイーズの昼食に同席した。


 粘土細工のようだ。目でも楽しめるアフタヌーンティーは、セイボリーからデザートまで、頬が落ちるほどの絶品だ。材料の仕入れだけでどれだけの時間と労力が使われたか、想像すると、気が遠くなる。それらを平然と口に運ぶ彼女達は、やはり私とは住む世界が違ったらしい。と同時に、私も、日に日に過去の暮らしが遠ざかっていく感じはある。パンの耳をトーストもしないで腹を満たしていた私が、今では生果実と缶詰を見分けられるくらいだ。



「国王陛下のエクトル様は、それはもうローズ王妃を溺愛なさっておいでです。宮廷内での彼女の評判は分かれますけれど、あの方の目が黒いうちは、たとえ彼女がこのまま世継ぎをお産みにならなくても、お立場は固いことでしょう」


「結局、貴族の男は可愛い女に弱いんです。サエさんもお美しいので、どうかお気を付けて下さいな。特に元老院の皆さんは、デビュタントを終えたばかりの娘にまで、平気で手を出します。人生の先輩面をして、口も達者で……」



 謁見前の最後の講義だというのに、アベラもルイーズも下世話な世間話に脱線しがちだ。


 こういう一面も彼女らの貴族性を象徴していて、いつか私も見習うべきかも知れないが、今日は記念すべき初出勤だ。私には、とても二人の無駄話に笑っていられる余裕もない。



「上流階級の皆さんとの交流は、お二人のお陰で、何となくイメージは掴めました。あの、ドレスはこういうので問題ありませんか?」



 私は全身鏡の向こうにいる自分に目を遣る。


 惚れ惚れするほど美しい。ただし洋装店での出費を渋った私は、例のごとくデューブでめかし込んできた。ローズの象徴色である白と金は避け、且つ彼女への敬意を込めて装身具にはその色を取り入れて、コルセットとパニエでボディラインのメリハリをつける。そうした基礎的なことは守ったが、貴族達の美的感覚と、自分のそれが一致しているかの自信はない。



「全然問題ありませんよ」


「むしろあまりにも完璧で、無作法な殿方に引っかからないよう注意なさって欲しいくらいです」



 アベラ達に礼を言って、私はスコーンを平らげた。


 あとは、なるようになるしかない。ローズがどこまで気難しいかはともかく、男の貴族に私がペースで負けるはずはない。何せ彼らを相手に商売していた私は、彼らの狡猾さも愚かさも、十分すぎるほど学んでいる。


* * * * * *


 ハンシルポ宮殿は、この世の美しいものすべてを余すことなくかき集めてきたかのような、楽園だ。広大な敷地は四季折々の花々が咲き乱れて、自然豊かな緑や川、精巧な彫刻、聖堂など、ローズ達の居住区だけでも目を瞠るのに、敷地全体から見ると、それすらぽつんとした印象になる。


 正門から三十分ほど歩いて、ようやく私は、遠くに見えていた豪華絢爛な王宮に足を踏み入れた。


 金色と大理石が多くを占める回廊を、更に歩く。

 アベラ達の昼休憩が三時間だと聞いた時は長いと感じていたものだが、移動の時間を慮れば、妥当だ。


 見えない何か──…例えるなら不可侵の領域に立ち入った時に感じる一種の霊的な気配が立ち込める王宮の最奥の部屋に、私は連れられていった。部屋の奥には扉があって、王妃の私室に繋がっている。ここが、彼女専用の謁見室らしい。



「侍女に取り次ぎ願いましたので、まもなくお見えになります。さっき、ネックレスが見付からないとかで……」


「あの、お気に召しているピンクダイヤの?あれならドレッサーの三段目に──…」


「ソファの下じゃないですか」



 私は、アベラの言葉を遮った。


 きょとんとした二人の目が、私に向かう。



「ソファの……?」


「あ、いいえ、何でもありません。ネックレスって、失くすと大抵は思いもよらない場所に落としてることがあるじゃないですか。王妃様が、そんなうっかりされませんよね」



 私は二人に気にしないよう念を押す。


 何故、あんな言葉が口を衝いて出たのか。まるで私の中にいるもう一人の人物が、囁きかけてきたのに近い感覚だった。


 だのに一向に現れないローズに痺れを切らせたアベラがついに侍女を呼びつけて、ソファの下を探させた。



 それからまもなく、この世ものならざる豪華絢爛な宮殿に相応しい、同じ人間とは思い難い少女が姿を見せた。


 薄桃色の長い髪に、白いドレスに最も美しく引き立つ肌の色をした、ハンシルポ一の高貴な女性──…ローズ王妃。彼女を造形している全てのパーツが芸術品だ。その瞳は一度見ると、生涯、記憶に焼きついて離れないのではないかというほど澄んでいて、高貴を絵に描いたような顔立ちは、彼女をナーリエムス公国の皇族出身と証明しているのと同時に、生まれながらにして高い身分にある運命を約束していたようでもある。その声は、やはり驚くことに、夢で聞いた通りだ。耳に心地良く馴染む。


 私は、霊的な何かに操られるようにして、彼女に跪いていた。

 どんな言葉も彼女の前では無意味になる。今すぐにでも額を床にすりつけて、彼女の神々しさを崇め倒したい衝動を抑えるのに必死の私は、作法に倣った言葉を復唱出来ただけでも、自分を褒めるべきだと思う。



「初にお目にかかります、ハンシルポの白薔薇──…ローズ王妃様。アベラの助手を務めることをお許しいただきました、サエでございます」



 生まれ育った故郷も家もないも同然の私の自己紹介は、ローズにしてみれば怪しいだろう。


 私は、自分でも説明し難い鼓動に押し潰される思いがしていた。神に等しい少女との対面が、今日まで自覚してこなかった私の小心を呼び起こしたのか、美貌という彼女の奇跡に、脳天を撃ち抜かれたのか。


 不思議と懐かしさを覚えていた。ここに踏み入ってから、沸々と押し寄せていた感覚が、今まさにはっきりとしたと言うべきか。私には無縁だったはずのこの宮殿に、涙が出そうになるほどの愛おしさを感じている。



「サエ、さん……」



 鈴を転がすような声が震えた。


 何にも動じないはずのローズの声音が、明らかな感情の起伏を孕んでいる。


 私は、耳までおかしくなったのか。


 使用人の一人増えたくらいで、彼女ほどの人間が、感動したりするはずないのに。



 薄桃色のさらさらした何かが視界に触れた。花を連れたバニラの香りが濃度を強めたのに引き寄せられるようにして、私が黒目を動かすと、ローズが跪いていた。



 私達の目と目が合う。同じ視線の高さで。



「ネックレス、感謝いたします。サエさんのアドバイスして下さった通り、ソファの下に見付かりました」



 ローズが、無邪気な笑顔で自身の胸元を指差した。


 木苺サイズのピンクダイヤモンドが、そこに輝いていた。


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