子供や高齢者、動物にさえ慈愛を向けない王妃と噂されていたローズの素顔は、見た目からは想像つかないほど親しみやすい、人間味溢れる少女だった。
私の出仕は、アベラの推薦で内定していた。新たな侍女候補をローズが審査する必要はなかったが、世話になる人間には会っておきたいという彼女の方針が、今日の謁見を実現した。
「楽になさって、サエさん。わたしも緊張しているの。あなたのような目の保養になる女性とお話し出来るなんて、わたしの方が、どんな印象を与えているか、気が気でありません」
「もったいのうございます、王妃様。私、神に手を合わせたことはありませんけれど、王妃様には十分間隔で祈りをお捧げしたいです」
「それじゃ、わたし達、四六時中離れられなくなるじゃありませんか。眩しくて目が疲労します」
さすが社交界の女王の異名を持つ人物だ。
ローズに目を奪われながら、私は彼女に畏怖もした。
彼女は自身の圧倒的なカリスマ性も鼻にかけず、気取らず、相手の長所を引きずり出そうと努めている。
人は消極的な批判を無意識のうちに忌避する反面、積極的な肯定にほだされる。無論、後者の言葉の操り手に強く惹かれる。
おそらく彼女は、対人のスキルに長けている。それが初対面の私を自然に立てられるし、相手が意識しないうちから、その懐に入り込む。
互いに緊張がほぐれたところで、ローズが本題を切り出した。
アベラが認めた魔法の板の力を見たいと言い出したのだ。
「ピニーブレル通りでの先日の事件は、宮廷内でも話題になっていました。あれはサエさんだったのでしょう?」
変わらずにこやかなローズの顔は、本意が見えない。それでいて安心出来るのは、私が既に彼女に心酔しているからか。こうして彼女は多少の無理難題や贅沢を通して、貴族達の反感を和ませて、国王を味方に付けてきたのか。…………
私は、彼女に頷く。
「アベラさんの話では、仕上がりは顔料で原案を描いたデューブと変わらないそうです。ただし、半永久的なそれとは違って、私のデューブは六時間程度で消えます」
「でも、描画時間が極端に短縮出来るのよね?錬金術の練装がいらないだけでもすごいのに、魔法みたいに速く描けて、画材まで省けるなんて」
再三、私は頷いた。
間違ってはいない。どのようにしてハンシルポで作られてもいない電子機器に魔素に相当する力が入り込んだか、その謎は未だ解けていないが、ファッションゲームアプリに入っているイラスト編集機能にも、前いた世界の多くのデジタル絵師達が重宝していた描画ソフトと同等の機能が備わっている。
「お花でいっぱいのドレスでも、三日くらいで完成するの?」
ローズの問いに、今度はアベラが口を開く。
「一時間で仕上がるかと思います」
「うそ!」
ローズが口許を手に覆った。
少女らしい好奇心が、彼女の顔に現れ出る。
尚更、見たい。
そう所望した彼女のために、私はアベラにタブレットを預けた。
一同が見物する中、アベラがイラスト編集画面を開いて、先日、水鉄砲を仕上げた時にも優る手つきで、すらすらと線を引いていく。
彼女は、頭にどれだけの資料を所蔵しているのだろう。迷いなく動くペン先が、ウエストを絞ったドレスを描いて、こまかい装飾を加えていく。ドレス本体は光沢ある白だ。やや透け感があるのは、レースの生地を重ねても重くなりすぎないように仕上げるためか。袖と背中にたっぷりのシャーリングを入れて、フロントスタイルには編み上げリボン、レース、ウエストからは豪華なドレープ──…スカートのフリルの裾に沿って、彼女が小花を散らし始めた。私以上に、デジタルツールを使いこなしている。
「お花は三種類に抑えて、すっきりした印象にしましょう。各種コピーして、花柄のペンを作成します。サイズを変えて、ランダムに散らすと可愛いかも。範囲指定して、調整していきますね。王妃様、肩口にもお付けしますか?」
「付けて欲しいわ。すごい、線を引いているようにしか見えないのに、ペン先からお花が咲いていく……!」
アベラのデザイン画は、そのものがまるで絵画だ。高貴な屋敷に飾ってあっても、違和感あるまい。万が一データが消失すれば、私はタブレットを抱き締めて、彼女の傑作を惜しんで泣く。
まもなくして、花の妖精を主題としたようなドレスが仕上がった。白に金の差し色が映えるそのドレスは、ローズが着ているのを想像すると、胸が震える。
「アベラさん、下地は使われなかったんですか?」
私は問うた。
ハンシルポでは、下地の色が、まとう本人の能力を左右する。それでなくても塗り残しを防ぐために、デジタル絵師なら下地は基本だ。
アベラが口を開いた。
「王妃様は、光との相性が良くておいでです。ただ、必要もないのに魔素を多用することはないと仰せで……」
つまり、ローズほど高貴な人間なら、スキルなくても不自由しないということだ。
ルイーズがアベラの絵を預かった。彼女が魔素の力を出現させると、いよいよ練装が始まる。決定ボタンを押せばドレスは私に反映するが、ここで錬金術師が入ると、デューブだけが仕上がるらしい。
目を閉じたローズを包んだオーラは、確かに光の色を連想する。
錬金術師の力が最高潮に達した時、ローズの装いが変わった。
タブレットに描かれた新作が、彼女を見事に飾っていた。
「…………!!」
私は、声を上げそうになった。
ふんだんに花があしらわれた、白と金という高貴な色のみが占めるドレスは、ローズという、この世で最も高貴な彼女にあまりに馴染んでいる。反面、どこか彼女らしくないとも思った。それは、昨日まで会うことも叶わなかった彼女を私が懐かしく思い、それがあり得ない感情だからだ。
その肩に腕を絡めたくなる衝動にこらえる。
そして私は、彼女に心血を注いだ賛辞を浴びせる。
薔薇色を浮かべた白い頬をほんのり染めた彼女は、ローズ・デュ・フレジェを思い出す。その頬は、どんな甘美な味がするのか。
「ローズ、様……」
彼女を呼ぶ私の声が掠れた。
多分、私は、一国の王妃に対するにはあまりに不敬な目を向けている。
肩口とドレープの裾を花が飾るドレスにはしゃぐ彼女は、幸か不幸か、私の視線に気付かない。
ローズは、自身の美しさを自覚している。そして謙虚な人となりからは想像つかないほど、多分、強かだ。
それが証拠に、翌週、彼女は国中に法令を出した。
「今日より、第三身分の人間は、デューブの使用を禁止します。ただし、宮廷を出入りしている者達は、免除とします。必要な身嗜みですから」
それは、合理的な経済対策だ。
案の定、波紋を呼んだが、第三身分の国民達を慮っての法令だと主張した彼女の理屈に、宮廷中が反論出来なかった。
第三身分の市民達には、金銭面で無理をしてまで、デューブをまとっている場合がある。彼らは自身が後ろ指を差されないよう、互いを監視し合うようにして、自身の容姿を整えていく。中には上流階級の母親達を倣って、産まれてくる子供の容姿を確認もしないうちから、我が子が惨めな人生を送らないよう、借財してまで絵描きと錬金術師を雇う場合もあったのだ。
ローズは、それらの行為を法律で取り締まった。そうすることで、市民達が不本意に無理することのないようにという名目だが、私は、それがすぐに建前だと分かってしまった。
「身の丈に合わない努力は、身を削るだけ。あの人達は、鏡を見ている暇があったら、お金を稼ぐべきなのよ。そうすれば役人達は徴税に何度も町へ行かなくても済むようになるし、効率的だと思わない?」
私もアベラも、ルイーズも、ローズに頷くより他にない。
王妃の侍女になった以上、彼女を肯定しなければ、自身の未来を打ち捨てることに繋がるからだ。