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人生の優先順位は?


 私が宮廷に出入りして二週間が経った。


 ローズの思いつきで誕生した白と金色の花のドレスは、瞬く間に大流行した。


 今や夜会や舞踏会が催されれば、広間は花畑のようになる。

 知識人を気取った婦人達は植物学者にデッサンを依頼して、それをデザイン画に写し取り、好奇心旺盛な令嬢達は、想像力豊かな絵描きを雇って、架空の草花を描かせる。彼女達のアレンジが、生地に小動物を織り込んで森林を模した、絵画のようなドレスも登場した。


 花のドレスが脚光を浴びたのは、政治的な事情も紐づいていた。

 古代から、明るいファッションが好まれる時代は、平和や好景気であることが多い。ハンシルポの国情を憂いだローズが、祈る思いで、あのようなドレスに袖を通したのではないか。そう、一部の貴族達が解釈したのだ。


 為政者として評判は最悪でも、婦人達のローズへの憧憬は、健在だった。




 アベラのアシスタントとして、私に与えられた仕事は、タブレットのメンテナンスだ。


 タブレットは、魔素の影響の薄い場所で使うと、バッテリーの減りが早まる。そこで私は、初めて手にした魔獣の魔素を使った。従来の何倍もの価値に上ると言われているそれは、見込み通り、タブレットを当分は充電のいらないくらい回復させた。いずれまた補充は必要になるが、それくらいの仕事はこせるだろう。


 そして私は、ローズの話し相手の任命も受けた。常に流行の先端にいなければいけない彼女のために、洋装店や書店で流行りを調査してきたり、また、謀反を未然に防げるよう、町で怪しい動きがあれば、彼女に報告したりする。


 タブレットがなければ一つ一つ手描きになるところから、絵描き泣かせの異名も付いた花のドレスで、戴冠式以来に高騰した彼女の人気は、白い苺の注目度にも影響した。


 このところ、私に届く栽培許可や仕入れの申請書も、目に見えて増えた。


 次女達の補助で午後の足湯を嗜むローズの側で、私は持ち歩いていた分の書面に目を通していた。


 きらきらとしたみずみずしい甘い香りと、ちゃぷん……という湯の音が、私の意識を奪いかける。


 うっとりした心地になっていると、視線を感じた。



「いかがなさいましたか、ローズ様」



 ローズの知的な目が私を見ていた。本人曰く大の勉学嫌いだが、華やかで美しいだけでない彼女の目は、知的という表現もしっくりくる。



「サエは、お仕事熱心だなぁって。もし貴族に生まれてなくても、わたしなら、そんなに頑張れないわ。お金はお墓に持って行けないから」


「ローズ様らしいお考えです。今を熱心にお過ごしになる……お金より、大切なものを積み重ねていらっしゃいますもの」


「それは、サエも同じでしょう。ただあなたは、きっとどちらも手に入れるのね。町から宮廷に上がってきた侍女達の中で、お金のためだとはっきり伝えてきてくれたのは、あなたが初めて」



 花が咲いたようにローズが笑った。


 彼女の指摘した通りだ。私はローズに自身の野望を包み隠すことはしなかった。


 第三身分出身の人間が、彼女をどう思っているかは明白だ。それでも彼らは、出世すれば手のひらを返したようにして、聞こえの良い言葉を彼女に注ぐ。彼女により気に入られるべく、王族に媚びるような動機を後付けするだろう。


 だが、墓場に持って行けないのは金だけではない。地位もだ。


 死ねば私は侍女としての立場を失くして、彼女も王妃ではなくなる。



「今が良ければ十分です」



 私は、取り引きを断る申請書から、簡潔な返事を書き出す。



「みんな、サエくらい正直でいてくれたらいいのに」



 ローズが、窓に顔を向けて眉を下げた。



「本音も話してくれない人は、お友達にもなれる気がしない。どんなに優しく親切でも、内心がはっきりしなければ安心しないわ。サエは、今のままでいて。欲張りなくらいが、ちょうどいい」



 それは、私の思い違いだろうか。


 ハンシルポでは、ローズやエクトル国王のために生きてこそ、至上の幸福と考えられている。だのに今の彼女の口ぶりは、まるで自分のことだけ考えていろと伝えてきたようにも取れる。


 彼女は、人々の建前に辟易しているのか。彼女に取り入ろうと甘い言葉を並べる彼らの思いは、感じやすい少女の胸にはきっと響かない。


* * * * * *


 そうした会話があった午後、兵士達の訓練場近くで、私は休憩中のレイモンと遭遇した。


 宮廷内で見る彼は、別人だ。リュカ達との繋がりは仄めかしもせず、ローズを案じて彼女の機嫌を訊ねたがって、通りすがりの後輩達を労って、激励する。


 ローズについて、私はレイモンにありのままの心象を伝えた。せめて彼にくらい、彼女に関する誤解を解こうと努力したい。



「過去の軍事費用、それにローズ様に随伴していた大臣達の横領額に比べたら、彼女の予算はひと握り。彼女に非があるんじゃなくて、ハンシルポのナーリエムスへの遺恨が、八つ当たりの種になっていることはない?」


「だが、神託はあった。オレはまだここを離れられないけれど、いざとなったら、サエさんは身の振りを考えてくれ。それまでは……」



 レイモンが辺りを見回した。


 一つの町ほどある敷地内は、常に多くの使用人達が往来している。王族や貴族達の姿は少ないにしても、密談には向かない。


 彼は私を植え込みの陰に引き込むと、声を潜めた。



「あまり思いつめないで欲しい」



 思いがけない一言に、私ははっと顔を上げた。


 私を案じる彼の言葉が何を指すか、理解しきるまでに数秒を要する。



「それは、あのことをローズ様に報告していない件?」



 彼が目で頷いた。


 確かに、私はあのサロンを告発するかで何度も迷った。諜報の役目を負った以上、黙秘自体が罪になるし、あとになって彼らの存在が知れても、怠慢が指摘される理由になる。一方、告発すれば褒賞のひとつも期待出来て、王室による私の評価も著しく上がるだろう。どちらが賢明かは、目に見えている。だのに私は躊躇っている。



「サエさんの口が滑っても、オレは平気だよ。気負わないで」


「脱獄でもするつもり?」



 私が思いつく限りの憶測を出すと、レイモンが可笑しげに否定した。



「これでも優秀な家臣だから。誤解で処理されるだろうし、捕まるのはリュカ達だけだ」


「じゃあ、結局、問題じゃない」


「あれ?サエさん、オレだけ心配してくれてるんじゃなかったの?」



 綺麗な顔が私に迫る。


 まるで令嬢を口説こうとしている紳士の仕草で、レイモンの指が私のおとがいに近付く。


 そうして彼に捕らわれる直前、一歩、私は下がった。



「報奨が欲しくなったら、あなたがサロンに出入りしているところをタブレットで撮影させてもらうわ。それに、綺麗な顔が通用するのは、ローズ様だけ。私はお金と結婚したいくらい、仕事が好きなの。あまり気を許さないで」


「それでも、サエさんとはいい友達になれそうなんだ」



 …──そのいい友達になれそうだから、信用するなと釘を刺しているのに。



 私は彼に無言の反駁を向けた。


 友達とは、複数いれば、優劣をつけない。守る時は分け隔てなく守って、裏切る時も一斉だ。



 その時、トカゲのような動物が、私達を横切った。


 ギョッとして目で追うと、私のスカートの裾を靡かせていったそれは、虎やライオンくらいの大きさがある。その姿は恐竜と呼んだ方がしっくりくる。ごつごつした硬い皮膚の隙間からは煙が上って、煌びやかな庭園を睨んでいる。黒よりおどろおどろしい色にも見える煙が邪気と判断したのは、その生き物から、健全な生命力が感じられないからだ。


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