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ハンシルポ宮殿に迫る影


 わたしはサエとアベラに昼休憩を与えると、ルイーズを連れて、宮殿の奥の会議室を訪ねた。


 ハンシルポの年長者達が、例のごとく辛気臭い顔を突き合わせて、不毛な議論を重ねていた。

 異国では、無能な人間が上にいる組織ほど、無駄な会議が増えると聞く。それがハンシルポの場合、わたしやエクトルのような支配者は、親族、そして大臣達の言いなりだ。表向き慇懃な彼らの圧力が、わたし達を無言でこの場にとどめる。


 遊び歩く暇はあるのに、会議で妙案一つも出せないのか。早く優秀な男子を産め。ウエストを絞ったドレスばかり着ているから、窮屈で受胎出来ないのだ。…………


 彼らの指摘に、わたしは笑って、努力はしたいとだけ答える。



 わたしへの非難に満足いくと、年長者達は、議題を先日の神託に移した。



「ルイーズは、アルコンスィエル魔素を本当に精製出来ると考えているの?」



 わたしは、下座にいる彼女に質疑を向けた。


 静かに会議室を見回して、薄紫色の髪の侍女が口を開く。



「アルコンスィエルと呼ばれる魔素は、王室の未来に存在します。ローズ様はご安心下さい。錬金術師の中でもひと握りにしか顕れない、虹色の属性……それを所有するわたしの魔素が適格者に融合した時、必ず現れますから」


「その適格者が、実験体に使われるような人物だと本当に思うの?!魔素の錬成は、失敗すれば傀儡が死ぬだけ。馬鹿馬鹿しい努力だわ」


「口をお慎み下さい、王妃殿下」



 わたしとルイーズの間に、大臣が割り入ってきた。


 異端者でも見る目をわたしに向ける初老の男は、若い王妃に敬意など全く感じていない。


 わたしは抗議を続ける。



「実験をおやめ下さい。大臣。王室の権威のためです」



 わたしの言葉が彼らに通じた試しはない。


 アルコンスィエル魔素の断念は、革命の預言に屈する意味にもなるからだ。どうあってもユベール王朝にしがみつくしか選択肢のない彼らは、例の魔素が見付からないなら、作り出そうと考えている。



「ローズ様は、アルコンスィエル魔素がなくても平気と仰せなのですか?」



 エクトルの姉が振り向いてきた。彼女の両脇にいる親族達が、わたしに同じような顔を向ける。



「よそからお越しになった皇女様には理解し難いかも知れませんけどね、たとえローズ様がナーリエムスの隠者でも、今にご覧なさい、アルコンスィエル魔素さえあれば、ハンシルポは無敵になります」



 表情を変えないルイーズは、練装の腕は確かだが、こういう時、距離を感じる。所詮、彼女はわたしではなく国家の味方だ。


 わたしを決して非難しないが、庇ったりもしないエクトルにも、困憊が見え始めていた。



 その時、立ち入り禁止の回廊から、ルイーズと同じ錬金術師が走ってきた。


 実験体が逃走した。ただちに兵を出動させて、始末してくれ。


 彼が報告を終えないうちに、わたしはドレスの裾を掴んだ。会議室を飛び出して、庭園へ向かう。


* * * * * *


 立入禁止区域の方角から出現した魔獣に、私は水鉄砲を放つ。


 魔獣は、田舎町で遭遇したのに比べて皮膚が硬い。文字通り歯も立たないだろうそれが溶けるのをイメージして酸性濃度を上げても、表面の模様が消えるくらいだ。レイモンに矢を使うよう促すと、彼は渋った。それと言うのもこの一帯は、薬草が栽培されている。兵士らの火薬の製造のために植えられたそれらの中には、加熱すれば毒性になる品種もあって、悪用を防ぐためにここで管理しているそうだ。



「つまりあなたの矢が火になると、私達も毒を吸ってしまうと」


「つーことは、……眼球から狙うしかないな、って!!」



 頷くと、剣を構えたレイモンが、魔獣に突撃していった。通常、兵士の訓練は魔素で威力を封じた武器を用いるが、午後に警備の当番に当たっている彼は、ちょうどそれを解除していた。



 ズシュッ……



 ルーペに通したトカゲのような魔獣の顔面が血飛沫を上げる。糸で手脚を吊った具合に、一瞬、首から下を硬直させた生き物から白刃を抜いて、今一度、レイモンが剣を振り上げる。



 グルル……



 敵を察知した魔獣が彼に向かって口を開く。八重歯より鋭く尖った爪を振り上げたそれが、血の流れ出る自身の片目をもう一方の手に押さえながら、彼を狙う。



 しゅわ……



「レイモン!!」



 剣を真横にして防御姿勢をとるレイモンと、魔獣。


 私は彼らを隔てる水を放った。


 アベラの描いた水鉄砲に、水の形状を操る力までなかった。だのに水は五メートルほどの高さの壁に変わって、レイモン達を隔てた。


 魔獣の鱗の隙間から、黒い煙が上がっていた。彼らの生態は謎に包まれているが、私には、あの煙が人体に良くない影響を及ぼすものに見えた。



「接近は危険だわ!」


「しかし、他の武器が使えないんじゃ……」



 兵士達が来るまで時間を稼ぐしかなくなる。そして、それが至難の業ということは、私にも分かる。


 私は、タブレットを開いてデータフォルダに並んだ武器を見直した。だが何度見ても、ここで扱える気のしないものばかりだ。



「くっ……両目を潰せば……一瞬くらい……!」



 水の壁をよけたレイモンが、トカゲの懐に滑り込む。


 彼の剣先がぎろりとした目に迫った時、短足がしなやかな肢体を蹴った。



「ぐぁっ!」


「レイモン!」



 芝生に叩き落とされた彼を受け止めて、私は魔獣に水鉄砲の口を向ける。片目を負傷したそれは、バランス感覚を失くしているのか、足どり自体は覚束ない。だがふらふらと前に進んで、確実に私達に距離を詰めてくる。



 ズシュッ!!



 どれだけ念じて水鉄砲を放っても、やはり皮膚を溶かすのがやっとだ。


 私は、レイモンと共に飛ばされてきた彼の剣を引き寄せる。



「借りるね」


「やめろ、オレが……!」



 彼の制止を振り切って、私は剣を構えて立ち上がる。


 通常、鍛錬した兵士から剣を取り上げるのは不可能だ。だが私にそれが出来たのは、彼が肩を打撲しているからだ。


 私は彼の前方に立って、剣を構える。さっきの彼の動きを覚えていたわけでもないのに、剣は不思議と手に馴染んで、どう立ち回れば魔獣の動きを止められるか、直感していた。人間の生存本能は、そこまで勘を働かせるのか。



 しゅわ……しゅわしゅわ……



「サエ!!」



 突然、鈴を転がすような声がした。


 耳に触れるだけであらゆるものを赦したくなる、ここで聞こえるはずのない声。どんな暗闇も光に変える、そんな音色を感じる声に振り向くと、薄桃色の髪を乱したローズがいた。


 ドレスの裾を持ち上げて、息を整えている彼女。


 兵士達ではなく、何故、王妃がここに駆けつけたのか。…………



 ローズのいる方角に身体を向けて、私は首だけ魔獣に動かす。


 巨大なトカゲが、また、さっきの黒い煙を上らせていた。


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