「ふー……気持ちいいですわね」
「う……うん」
ボクとカナはいま、同じ湯船でお湯に浸かっている。
辺りを見回すと、これまで見たことも無いほどの豪華な空間が広がっている。
湯船も床も白い大理石でできており、壁に設置された湯口はドラゴンの彫刻が施されている。ちょうど、ドラゴンの口からお湯が流れ出る格好となっている。
壁に程よく均等に設置された照明魔導具は、明るすぎず暗すぎずの絶妙な光の加減でこの浴場を照らしている。そのせいで、カナの真っ白な肌を蠱惑的に照らしているものだから……ボクは……ボクは……。
「ねえ、ポルカ」
「ひゃう!」
突然、カナの手がボクの肩に触れたため、ボクは驚いて悲鳴を上げてしまった。
「また驚いて! 何度呼びかけても返事しないから肩を叩いただけなのに!」
「ご、ごめんよ」
言えない。カナの裸で色んな妄想が止まらなくなったなんて絶対言えない。
「……もしかして」
カナは突然切なそうな顔をした。そして、ぽつりと言った。
「迷惑だった?」
「……え?」
ボクは頭が真っ白になって固まってしまった。
「どういうこと?」
「貴女が私から逃げているように感じましたの」
ボクは内心ドキッとした。確かに、ある意味逃げていた。
「そ、そんなことないよ」
ボクは少し狼狽えながらも否定した。
「だって……私と貴女がダンジョンの中で出会ってから一か月、貴女は私と一度も顔を合わせてくれなかったではないですか。2週間私は傷の療養で休んでおりましたので……その間は仕方ないですわ。ですが、私が冒険者活動に復帰してから何度か冒険者ギルド内で貴女とお会いしてますよね? 私とすれ違っても、貴女は目も合わせず逃げるようにどこかへ行ってしまう……。何か私に気に入らないことでも、ありまして?」
「違う! 違うんだ」
ボクは強く否定した。ボクはカナのことを嫌いになるわけなんてない。絶対に。
「ボクなんかと一緒にいては、キミも変な目で見られてしまう。知ってるでしょう? ボクがドブネズミとか変態無能ヒーラーとか言われているの。ボクと一緒に居たら君は――」
「そんな嘘つかなくていいですわ」
カナの声には苛立った感情が混じっていた。
カナは真剣な眼差しでボクの目を見据えた。
「私がそんなことを気にしない人間であることを、貴女は知っているはずですわ」
ボクは、観念して本心を語った。
「は……ったから……」
「え? 何とおっしゃいまして?」
「だから!」
ボクは恥ずかしさを堪えて、大声で言った。
「カナとキスしたことで頭いっぱいで照れくさかったの!」
「……え?」
今度はカナが固まった。
「ダンジョンの中でキミを助けた時、不可抗力とはいえキミとキスをしたんだ! しかもファーストキス! あんなに濃厚で柔らかくて気持ちいい……じゃなくて! あんな経験をしてしまったら恥ずかしくて目も合わせられるわけないじゃないか!」
「ふふふふ……ははははははは」
「笑わないでよ!」
「なんだ。心配して損をしましたわ」
涙目で笑うカナ。その涙には安堵する感情も混じっているようだった。
「本当に不安になったのですからね! 貴女に嫌われてしまったのではないかと」
「ご、ごめんよ」
ボクは顔を赤くしながら謝罪した。
「罰として、私の背中を流して下さいまし」
「……!」
カナは湯船から上がると、洗い場へ向かった。
「そ、そうだ……カナ。これを使ってみる?」
ボクは自作アイテムの『石鹸』をカナに渡した。慣れないカナの裸から目を逸らしつつ。
「これは何ですの? 手のひらサイズで白い……何かぬるぬるしますね。匂いは何か甘い香りがしますわ」
「これはね、こうやって水に濡らして……ぬるぬるした部分を体につけて洗うんだ」
ボク達は皆、身体を洗う時は水で洗う。冒険者は川で身体を流し、川から遠い街中で暮らす庶民は水に濡らした布で身体を拭う。お風呂を所有する貴族はお湯で身体を流す。
「なんだか不思議な感触ですね……でも凄いですわ! ぬるぬるした後に水で流すと、汗や汚れがよく落ちますわ!」
「水では落としにくい汗や汚れを落とせるのが、このアイテムなんだ」
「へえ……凄いですわ! これはポルカが発明したのですか?」
「そうだよ。正確には、ボクとボクのお祖母ちゃんである『セツおばあちゃん』と二人で発明したものなんだ」
「そうなのですね。その『セツおばあちゃん』はとっても素敵な方なのですね」
カナはとても微笑ましそうに笑った。ボクは、その表情に心がポカポカとした気持ちになり、その熱に浮かされたままたくさん語ってしまった。
「そうなんだ! セツおばあちゃんは凄い人なんだ。元々セツおばあちゃんは冒険者だったんだけど、その時から冒険に役立つアイテムを作っていたんだ。ボクは、そんなセツおばあちゃんからダンジョンでの冒険の話を聞いていたんだ。だから、セツおばあちゃんのダンジョン攻略スタイルに影響されて……ここまでやってきたんだ。ダンジョンのことを細かく調べたり、ダンジョンで取れる素材をうまく活用したり……ってごめん! ついつい話し込んじゃった」
「いいのよ」
カナは興味深そうに、しっかりとボクの話を聞いてくれた。カナの全く知らない人の話であるにも関わらず。
「尊敬できる家族の人が居るということは、とても素晴らしいことだと思いますわ」
カナはボクに背を向けて、指で自分の背中を指さした。ボクはカナの要求通り、石鹸を手で擦って泡を作り、カナの背中に触れた。カナは一瞬ぴくりと体を揺らした。
ボクはカナの声色が若干低くなったのを感じた。
「カナの……家族の話を聞いても良い?」
カナは何も言わず、頷いた。そしてゆっくりと話し始めた。
「私はカナ・レイボーン。レイボーン家の末っ子。レイボーン家の一員でもあり……家の在り方に口出しできるわけでもない、中途半端な存在」
レイボーン家はここレガリア王国でも有力な貴族の家だ。カナのお父さんが現当主になってから大きく力を伸ばした伯爵家である。
「ポルカ。貴女はレイボーン家と聞いて何を思い浮かべますか?」
「そうだね……商売でのし上がった有力貴族だね。そして……時としてその強引なやり方で反感を買っている。とくに、レイボーン家が管轄しているダンジョン周辺の西側の町『レイボーンタウン』で商いをしている人達からは特に」
ボクはカナの背中全体に石鹸の泡を伸ばしていった。ボクの手がカナの肩甲骨や腰部分に触れると、カナは擽ったそうに身を捩った。
「あら……詳しいですわね」
「ボクはレイボーンタウンのアイテム屋生まれなんだ」
「そうなのですね。だからアイテムに詳しく、自作できるのね」
「そう。だから……レイボーン家のやり方を知っている。商流も権力も掌握しているから、町中にいるすべての商人の利益の一部を得ることができる立場である。だけど、ダンジョンという人が集まりやすい立地であるから商人も町を離れようにも離れられない。それも、レイボーン家は商人達からも領民達からも、生かさず殺さずで絶妙な利益や税の取り方をするから、皆諦めて現状維持をするしかない。文句を言いながらも」
「私はね、そういった家の方針が気に食わないんですの」
カナは決意のこもった声で言う。
「私は何度もお姉様、お兄様、お母様、お父様に訴えかけましたわ。もっと領民を大事にしましょうと。だけど、聞いてはもらえませんでした。挙句の果てには、『さっさと結婚してレイボーン家の娘としての役目を果たせ』と好きでもない相手と結婚させられそうになりましたのよ」
世間一般の常識では、この言葉を聞けば「カナのほうがおかしい」と思うだろう。貴族の娘は政略結婚のために、好きでも無い人と結婚するのが普通である。
「ボクも、好きでも無い男とパートナーにさせられそうになった」
ボクは、カナの背を洗う手を止めた。何か、自分とカナの境遇が重なった気がした。
「ボクは今21歳。世間一般では、ボクにパートナーが居てもおかしくない……いや、むしろ居ないのは遅いくらいだ。だから、ボクの両親はボクに無理やりパートナーを宛がおうとしてきたんだ。ボクは正直、一度も男性にときめいたこともないし、恋をしたこともない。だから、好きでも無い男と一緒になりたくなかったし……この身体に触れることも許したくなかった。だから――」
「冒険者になった?」
ボクが続けようとした言葉をカナが続けた。
「そう。カナもそうなの?」
「ええ。そうですわ」
ボク達は笑いあった。
「私は家から逃げるように冒険者になりましたわ。この屋敷を使わせて頂いておりますが、今はほとんど家族とお話することがありません。社交界からはきっと白い目で見られていることでしょう。そして、冒険者からも」
「ボクだってそうだ。町の人達からも、冒険者からも白い目で見られているだろう……ってわあああああああああああ!」
急にカナはボクに抱きついてきた。
「あら? やっぱり、この石鹸がついたまま肌を重ねると心地よいですわね」
「だだだだ……ダメだよ、カナぁ」
石鹸のぬるぬるした感触と、ボクとカナの肌がこすれ合う感触。それは、ボクの触覚をめちゃくちゃに破壊してしまうほどの快感。やばい……意識が遠のきそう。
「カナ! 裸でこんなことするなんて……『変態さん』みたいだよ……」
「『変態』か……良い響きですわ」
「え?」
ボクの頭は真っ白になった。
「私は『変態』したいのです」
ボクは自分の耳を疑った。
「蛹から蝶になることを『変態』と言うらしいですわ。私は、それを目指しております」
「ああ、そっちの『変態』ね」
ボクはカナの話をやっと理解することができた。
「私は、現状の自分に満足していないですわ。私はギルドで冒険者登録をした時【スキル授与の儀】で【握力強化】という皆からハズレスキルと揶揄される力を得てしまいましたわ。……そして私は、今のこれまで何の実績も出すことができませんでした」
カナはボクに回していた腕を解き、握りこぶしを作って見せた。
「それでも、私は諦めませんわ。今の私は口だけで、21歳という歳になっても子供みたいなワガママを言っているだけに過ぎない、と言われてしまうかもしれません。ですが、いつかこの苦境から脱して、蝶のように羽ばたいてみせますわ」
カナの志は真っすぐだ。どんなに認めたくない、苦しいことばかりであっても、その在り方を曲げることを決してしない。
ボクはカナの手を握って言った。
「ボクは、あの時ダンジョンで出会う前からカナのことを知っていたし、カッコいいと思っていたよ。決して諦めず、堂々と胸を張っている姿に……憧れていた」
カナは一瞬泣きそうな顔をした。そして、再びボクを強く抱きしめた。
「私だって貴女のことを見ていました。他の冒険者達は、貴女が一人ダンジョンに籠り、誰もやらないようなダンジョン調査をコツコツ行う姿を『変態的』と言っています。でも、私はそうした『変態的』活動が他の人との差を生み、誰も成しえないような成功を掴めるのだと思っております。だから……私も貴女の姿に憧れておりました」
「え……そんな風に思ってくれていたんだ?」
ボクは、その意外な言葉に驚いた。
「私達……二人で『変態』しましょう」
カナはボクの耳元で囁いた。とても蠱惑的でボクは興奮しかけたが……でも別の感情の方が勝った。
「うん。一緒に『変態』しよう。そして、ボク達が望む未来を手に入れよう」
ボク達は二人で、認めたくない現実と戦っていくことを誓い合った。