「なんだ、今の音は?」
「わ、私じゃないわよ。一本しか折る気なかったし、まだやってないもの」
「やる気だったのかよ!」
再び、ガタンと、さっきよりは小さいが派手な音がする。
「……どうする?」
二人の顔を見ると、布姫は青ざめた表情で、水麗はニコニコと楽しそうな顔をしていた。
「ご、強盗かもしれないわね。ここで大人しくしてた方がいいと思うわ」
「いや、夜の学校に強盗って……。何を盗む気なんだよ」
「跳び箱盗んだ犯人かも知れないね!」
「うーん。まだ、そっちの方が可能性は高いけど、わざわざこんな深夜に盗むこともないと思うんだけどな。正当な理由があれば、盗まなくても学校側が貸してくれると思うし」
自分で言ったことでハッと気が付く。
そう。そもそも、なんで犯人はわざわざ跳び箱を盗むのだろうか? 普通に借りればいいだけの話だ。盗って、戻しているなら借りることと同じはずなのに。
……借りることができない?
ふと、頭に浮かんだのは河童の姿だ。
妖怪であれば、人前に出て跳び箱を借りることができない。
「二人はここで待っていてくれ」
跳び箱から飛び降り、水麗の方に顔を向ける。
「それと、水麗。カメラ貸して……。あ、やっぱ、なんでもない」
一応、証拠として写真に撮ろうかと頭をよぎったが、河童に関しては全く映らなかったことを思いだす。
恐らく、河童だから映らなかったのではなく、妖怪だから映らなかったのだろう。
だから、今回もきっと写真に写ることは無いと思う。
「わたしも行く!」
水麗もピョンと跳び箱から降りて、僕の腕に飛びついてくる。
「ちょ、ちょっと、仕方ないから私も行ってあげるわ!」
布姫も慌てて僕の隣に来て、腕を組んできた。
結局、いつもと同じように三人並んで、音がした方向へと向かうことになった。
廊下は静まり返っていて、外からの雨音も随分と遠くに聞こえる。
ほんの一時間前に通って来たはずの廊下が、全然違う、不気味な迷路に見えてきた。
ゴクリと生唾を飲み込む音が響く。
それは、布姫のものか、水麗のものか。はたまた、僕自身が無意識のうちに飲み込んだのかもしれない。
今更ながら、二人についてきてもらったのは助かった。こんな場所、一人でなんて絶対に無理だ。
か細い懐中電灯の光を頼りにゆっくりと歩く。
やはり、僕と同じように怖いのか、布姫が微かに震えているのが腕を通して伝わる。
水麗もそうなのかとチラリと視線を向けてみた。
「何が出るかな、何が出るかな。それは見ての楽しみよー」
つぶやくように小声で、笑みを浮かべながら歌っていた。
……本当に肝が太いな。
さすが初見で、河童を見た時に捕まえようと走り出しただけある。
実に心強い。
そんな水麗を見て、若干心に余裕が出来た。
「あれぇ? 音、しなくなったね……」
「ん? そういえば……」
さっきから廊下は静まり返っている。
体育館倉庫を出るまでは、数回、音が聞こえていたが、今はまったく音がしなくなっていた。
「一応、グルッと校内を見て回ってみるか?」
「え? じょ、冗談でしょ? 戻りましょ!」
必死に僕の腕をグイグイと引っ張る布姫。
それに対して、水麗も同じように腕を引いてくる。
「ええー。つまんない。一階だけでも見ていこうよ!」
両サイドから正反対のことを言われる。まさに板挟み状態。いや、引っ張られているんだけども。
「じゃあ、一階の半分まででどうだ? ほら、もしかしたら、倉庫に跳び箱盗んだ犯人が入れ違いで来てるかもしれないし」
僕の妥協案に、二人とも渋々だが頷いてくれた。
懐中電灯の光で色々なとこを照らしながら、ゆっくりと進む。
布姫が、なんで天井までみるのよ? と言いたげな目で見てくるが、妖怪の仕業というのも視野に入れているので念のためだ。
どんな妖怪がいるか、わからないからな。
「あ、最初の階段だ!」
水麗が指差したのは、一番初めに階段の七不思議を調べたところだった。
そして、ここがちょうど一階の真ん中になる。
入り口に一番近く、僕らが一番多く使うであろう階段だ。
「達っちん、じゃーんけん、ぽん!」
不意に言われて、咄嗟にパーを出してしまう。
「いえい! 勝ったっ!」
ピースサインをしながら微笑む水麗は、ピョンと一段階段を登った。
「ち、よ、こ、れ、い、と」
そこから、六段、跳ねるようにして登っていく。
……いや、最初の一段、ずるくない?
結局、水麗は一度勝っただけで、七段を登ってしまった。
「はい、じゃーんけーん」
クルリと振り向き、グーの状態で手を振る水麗。
くそ、ここは一気に挽回するにはパーか、チョキを出すしかない!
「ぽん!」
僕の選択はチョキ。
そして、水麗は――グーだった。
「ちくしょう。一気に進もうとした僕の作戦ミスだ」
「ぐ、り、こ!」
ピョピョピョンと水麗が階段を登っていく。
再び、水麗が振り返り……。
「じゃーんけーん」
さっきと同じように手をグーにして振る。
僕も気持ちを切り替えて、次なる作戦を立てる……って、あれ?
「……水麗。なんで、じゃんけんする必要、あるんだ?」
「んん? なにが?」
「……佐藤くんの言う通り、じゃんけんをする必要はないはずよ」
隣にいる布姫が水麗を見上げる。
どうやら、布姫も気づいたらしい。
「佐藤くんは生まれついての負け犬。どうせ、負けるんだから、必要ないわ」
「そっちじゃねえっ! じゃなかった、そっちでもねえっ!」
「え? 何が違うのかしら? 『負け』? 『犬』?」
「僕は人間だ!」
「……そうなの?」
目を見開いて、心底びっくりする布姫。
「その言葉が一番傷つく。……って、そんなことを言ってる場合じゃねえ!」
僕は慌てて水麗を見上げる。
あ、ちょっとスカートの中、見えそう……でも、なくって!
「水麗。この階段は十段のはずだ。最初に、お前は七段登って、今、三段登ったから勝ちのはずじゃないか?」
「え? あ、そっか……。ん? でも、もう一段あるんだけど?」
「いやいや、そんなわけないだろ」
僕は段数を数えながら、階段を登る。そして、十段目。水麗の隣まできた。
もちろん、布姫も僕にくっつきながら、一緒に登ってきている。
「――ホントだ」
確かに、水麗の言う通りもう一段あった。
一瞬、頭をよぎったのは七不思議のことだ。
階段が増える七不思議。
最初の取材の為に調査した案件だ。
ゴクリと生唾を飲み込み、ゆっくりと懐中電灯を、あるはずのない、十一段目に向ける。
「うおっ!」
「おおうっ!」
「……っ」
僕と水麗は思わず声をあげたが、布姫は声すら出せなかったようだ。
そりゃそうだろう。
夜の学校の階段で、いきなりこんなものを見れば誰だってかなり驚く。
「――おっさん?」
懐中電灯の光に照らされ、眩しそうに眼をしぼめているのは、髭もじゃでスキンヘッドのおっさんだった。
その顔は現代のものというより、戦国時代の武将のようにゴツく、いかつい顔だった。
何よりビックリしたのは、そのおっさんは顔しかないところだ。
生首が転がっているようにしか見えない。
「おお……。さすがの水麗さんも、心臓が跳ね上がったよ。どうなってるのかな、これ?」
尚も眩しそうにしているおっさんに、顔を近づけてマジマジと見る水麗。
……いや、本当に凄いな、お前。
僕はもう、足がガクガクして、動けないっていうのに。
「顔だけだったら、階段と間違わないと思うんだけどなー。達っちん、ちょっと懐中電灯貸して」
固まっている僕の手から懐中電灯を取り、色々と辺りを照らす水麗。
そのことで、ことの真相がわかる。
「なるほどねー」
水麗の言う通り、顔だけが転がっていたら、いくら暗がりでも階段に見間違えることはない。
僕らが見間違えていたのは……跳び箱だった。