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第29話 無駄骨になる

 二階に降りたときだった。

「あ、そうだ。ちょっと教室に寄っていい? プリント、机の中に入れっぱなしだった」

「ああ、いいぜ」

 二階の階段から一階に降りず、廊下へと出る。

 水麗の後ろを歩くような形で着いて行くと、不意に、教室のドアが開く音がした。

 音に反応して振り向くと、ちょうど教室から出てきた女の子と目が合う。

ウェーブのかかったショートカットで、可愛らしい女の子だった。

「きゃっ!」

 その女の子は余程ビックリしたのか、小さく悲鳴を上げる。

 そして、僕の顔を見るなり、顔を赤くして俯いてしまう。

 ……なんか、唯織ちゃんのような反応だな。それに、この子、どっかで見た気がする。

「……す、すいません」

 女の子が走り去っていく。

 走り去ったところから、花のようないい匂いがする。

 香水でもつけていたんだろうか? それより、なんで謝ったんだろ?

まあ、すいませんが口癖なのかも。

 慌てて走り去ったので、開きっぱなしの教室のドア。

 何気なく閉めようとして、あることに気づく。

 あ、ここ僕のクラスだ。

 どうでもいいかと思い、ドアを閉める。

「……さっきの人です」

 ポツリと唯織ちゃんがつぶやく。

「え? さっき?」

「三年生の教室に入って来てた人です」

「ん? どういうことだ?」

 眠気を払うために、一度頭を振って考える。

 走り去った女の子は僕のクラスにはいない。そして、さっき、三年生の教室に来たと言うことは、きっとあの女の子(先輩に失礼かな?)は三年生だろう。

 それなら、僕のクラスで何をやっていたんだろう?

「笛の練習してたんじゃない? リコーダー持ってたし」

「いや、それなら自分の教室でするだろ」

 わざわざ、違うクラス……しかも下級生の教室でやることはないはずだ。

 なんか、妙に引っかかる。

 一体、三年生の先輩は学校に何しに来たんだろう?

 部活の朝練か? それにしては早すぎる気がする。まだ、六時過ぎだ。

「ちょっと、戻っていいか?」

「ん? 別にいいけど」

「あたしも、少し、気になります」

 二人の同意を得て、僕は再び三階へと上がる。

 先輩が走り去っていくときに、上に登っていく足音が聞こえたので、三階にいるはずだ。

 ゆっくりと足音を立てないように、さっきまでいた教室の前まで行く。

 ほんの少しだけ、ドアを開けて中を覗く。

 だが、教室内には誰もいなかった。

「……どこに行っちゃったんでしょうか?」

「んー。他の教室かな……」

 突然、どこからかピューという音が聞こえてきた。

 ……リコーダーの音?

「やっぱり、どこかで練習してるのか?」

 僕が左右を見渡していると、水麗が指で屋上へ続く階段を差した。

「あっちから音がしたと思うよ」

 そういえば、この教室は屋上へ続く階段から一番近い。

 だとすると、そこで隠れて練習するというのも自然な気がする。

 早く来るのも、きっと誰にも練習しているのを聞かれたくないんだろう。

 悪いことしたなと思い、二人に戻るように促すと、水麗が「そうかなぁ?」とつぶやいた。

「だってさ、練習ならもっと、音しない?」

「……そういえば」

 音はさっきのか細いもの以降、聞こえてこない。

 練習してるんであれば、絶え間なく聞こえてきても良さそうだ。

 僕らはそーっと、屋上へ階段を覗き見る。

 そこで僕らは見てしまった。

 あの先輩の女の子が、笛を持って壁に寄り掛かっているのを。

 それだけだったら別に何の問題もなかった。

 だが、異常性を感じたのは……その女の子が物凄い勢いで笛を舐めていたいうところだ。

 舌を出して、ペロペロと舐めたり、咥えてジュボジュボと舐めたりしている。

 それはまるで水麗が僕の指を舐めたときのように。

「……随分と変わった、笛の吹き方だねぇ」

「かなり熱心に練習されてますね……」

 水麗と唯織ちゃんがやや……いや、かなり引き気味でその光景を見ている。

「いや……二人とも現実逃避をするなよ」

 十五分ほど舐めた後、うっとりとした表情をして笛を見ている。

 そのとき、チャイムが鳴った。

 七時半のチャイムだ。なぜ、この時間に鳴るのかは不明なのだが。

 先輩の女の子はハッとして立ち上がる。

 僕たちは慌てて、物陰に隠れた。

 気づくことなく、自分の教室に戻っていく先輩の女の子。

「……よし、今のは見なかったことにしよう」

「そうだね……。七不思議の一つは解明したけど、忘れよう」

 水麗が深いため息をついた。

「え? ちょっと待て。なんだ? 七不思議の一つが解明したって」

「……笛が舐められる七不思議です」

 僕の方はまだよくわからないが、唯織ちゃんの方も分かったようだった。

「えっと、結局、笛が舐められる七不思議は、自分のを舐めてたってことか? それなら、別に対策を打つことないってわけだな?」

「ぶ~。ハズレ。それだと、あの子……じゃなかった、先輩か。先輩が二階にいた理由がわからないでしょ」

「……あ、そっか。じゃあ、どういうことだ?」

「つまり、あの先輩は被害者ではなく、加害者だったんです」

「んー。もう少し、わかりやすく言ってくれないか?」

「こほん。説明しよう!」

 わざとらしい咳ばらいを一つして、水麗がビシっと人差し指を立てた。

「あの先輩の行動の流れを追うのが一番早いかな。まず始めに、先輩は自分の笛を持って教室を出る」

「それが、最初に教室に来た時だな?」

「そう。次に二階にある、お目当ての教室に行く」

「そこで、また僕たちと遭遇したんだよな。……結局、あの先輩は僕のクラスで何をしてたんだ?」

「入れ替え」

「入れ替え?」

「自分と、好きな男の子の笛を交換していたんです」

「……は?」

 いいところで、合いの手のように唯織ちゃんが補足してくれるが、一瞬、何を言っているのかわからなかった。

「好きな人の笛を舐めるの上級編だね。笛って、別に個人の物で違いはないでしょ? だから、いつの間にか他の人のになってても気づかないっていう盲点を突いたんだよ」

「さらに交換することで、自分の笛を相手が使うという興奮も得られ、一石二鳥の良い作戦です」

「……良い作戦か、それ?」

「あそこまで念入りに舐めてたから、きっと、他の生徒が来る前に乾かなかったんだろうね。だから、あの先輩の笛が、誰かに舐められたって噂がたったわけ。……多分、これが真相かな?」

「なるほどな……」

 寝起きということもあるのか、頭がよく回らない。だが、これだけは分かる。

「これは記事にしない方がいいな。誰も幸せにならない」

「そうだね……。混乱しか招かないと思う」

「本当の被害者には悪いが、自分の笛が入れ替わってることに気づかないのがうかつだったってことで」

「それじゃ、今度こそ、帰ろっか」

 心底疲れた表情をしている水麗。僕と唯織ちゃんが無言で頷く。

 疲れすぎてるのか、声を出すのも怠い。

 だが、そのとき、僕たちは完全に忘れていたことを思い出した。

 この合宿の本当の目的の方の七不思議。

 階段に鏡がもう一つ増える、という奴だ。

 その真相がいつの間にか『現れて』いた。

 赤い体に長い舌。体毛はなく、子供の顔で五歳くらいの大きさをしていた。

 一目で妖怪だと分かる。

 疲れているのと、見慣れてしまったせいか、僕自身、あまり驚かなくなっていた。

 最初は何の妖怪か分からなかったが、その『行動』でピンとくる。

 ――垢舐め。

 そう、垢舐めはさっき、先輩が寄り掛かっていた壁を一心不乱に舐め続けていた。

 さっきの先輩より、執拗に丹念に。

 数分後。満足したのだろうか、垢舐めはふう、と額の汗を拭う。

 ……そう言えば水麗が襲い掛からないな。

 チラリと水麗を見ると、ぼーっと垢舐めを見ているだけだった。

 なるほど。僕と一緒か。何もする気が起きない。

 今回はこのまま見過ごすことになるかと思っていた……が。

「サインください!」

 一体どこに隠し持っていたのか、色紙とペンを持った唯織ちゃんが物凄いテンションで垢舐めに駆け寄る。

 いや、妖怪にサインって……。

 垢舐めは唯織ちゃんの姿を、目を見開いて見ている。

 そして――。

 体全体が光り始める。

 光が収束すると同時に垢舐めは消えていて、代わりに光る玉が残っていた。

 いつも通り、その玉はすぐに宙に浮き、天井を突き抜けて飛んで行ってしまう。

「サイン、貰い損ねました……」

 光の玉を追うように天井を見上げている唯織ちゃん。

「ま、まあ、今度機会があったら貰おうぜ。今回は残念だったけどさ」

「何を言ってるんですか! ぜんっぜん、残念なんかじゃありません!」

 唯織ちゃんが僕の手を握り、キラキラした目で僕を見て来る。

「妖怪です! 妖怪を見れました! こんなに嬉しいことはありません! 生きてて良かったです」

「……そこまで?」

 まるで別の人間じゃないかと思えるくらい、いつものテンションと違う。

 それにしても、今回は唯織ちゃんも妖怪を見ることができたようで良かった。

 ……じゃあ、前回はなんで見れなかったんだろうか?

 そんなことをぼんやりと考えながら、チラリと垢舐めが舐めていた壁を見る。

 恐らく、垢舐めの唾液は特殊なんだろう。

 舐めた場所が唾液でコーティングされたかのように、光り輝いていた。

 そのコーティングは反射率がかなり高いようで、僕の顔が写っている。

 ……これが、もう一つの七不思議、『階段に鏡が増える』の真相だった。

「どっちも、記事にはできねぇな」

 はしゃいで、ピョンピョン飛び跳ねている唯織ちゃんの横で、僕はポツリとつぶやくのだった。


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