「あらあら、うふふ」
二人の抱き合う姿を見て、アリシアは目を細めて笑っていた。
少し照れながら離れると、準備していた昼食を出して三人で食べ進める。
あれやこれやと話をしながら食事していると、アリシアの顔が少しだけ曇った。
「これは言うべきかどうか悩んでいたから、ずっと伝え損ねていたんだけど」
アリシアの言葉に、何事かとアンナは食事の手を止めた。
「なぁに?」
「ロクロウは……父さんはね、あなたという存在がいることを知らないのよ」
初めて知る事実に、アンナは驚きで目を見張る。
「え……? だって私のアンナって名前は、父さんが決めたって昔言ってたじゃない」
「それは本当よ。まだお腹に宿ってもいない頃に、子どもの名前はなにがいいか聞いたことがあるの。『アンナなんてどうだ?』って、ほんの少し笑ってたわ。だから、その名前をあなたにつけたのよ」
「そうだったの……じゃあ」
「ええ、ロクロウがいなくなった後にあなたの妊娠に気づいたの。だから父さんは、あなたを捨てたわけじゃないわ」
父親は自分の存在を知らない。娘がいることを、知らないのだ。
捨てられたわけじゃないとわかってほっとする反面、父親は自分を認識してさえもないのかと思うと、悲しくなる。
「やっぱり、言わない方がよかった?」
少し後悔していそうなアリシアを目の前にして、アンナは首を振った。
「いいえ。本当のことを教えてもらえる方が嬉しいわ。ありがとう、母さん。教えてくれて」
アンナがそう言うと、アリシアは喉に栗でも詰まらせたような難しい顔で、眉間に皺を寄せ始めた。
「どうしたの、母さん。すごい顔してるわよ」
「っぶ」
隣で食べていたグレイが吹き出し、トントンと胸を叩く。
「これも、伝えておくべきかしら?」
「父さんの話?」
「ええ」
「聞かせて。もう親に判断してもらうような年じゃない。その話を聞いて、どうするかは自分で決めるわ」
アンナの決断を聞くとアリシアは決意をしたように頷き、「そうね」と話し始めた。
「父さんはね、ある時期……うちに来てから、半年がたった頃かしら。夕刻に、西を見ることがあったのよ」
「西……フィデル国の方角を?」
「ええ」
フィデル国は、ここストレイア王国と敵対していて、しょっちゅう小競り合いを起こしている国だ。以前、アンナらが補給で向かった先も、フィデル国との国境沿いであった。
「どうしてそっちを?」
「父さんね、昔、女を安易に抱いて後悔したことがあるって言ってたの」
「げほっ! ごほっ!」
グレイが唐突にむせて、アンナは水を差し出す。
「大丈夫? グレイ」
「あ、ああ……」
婚約者の母親の突飛な発言に驚いたグレイは、はぁっと息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
「母さんってこういう人なのよ。慣れてね」
「いや、わかってたつもりだったんだが……」
「いやぁね、言ったのは私じゃなくてロクロウよ」
「それを母さんに言う父さんもどうかと思うわ」
あきれながら言ったアンナに、アリシアは頬を膨らませてぼやくように言葉を吐いた。
「だから言いたくなかったのよねぇ……アンナのロクロウに対する評価が下がりそうで」
「大丈夫、最初っからよくないもの」
「アンナ! 父さんはね、本当は優しくて素敵な人なのよ!」
「母さんは補正がかかりすぎなのよ。父としての評価は私がするわ。続きを聞かせて、母さん」
「もうっ」
口を尖らせたアリシアは、不服の息を出してから続きを語り始めた。
「当時は母さんも思い至らなかったんだけどね。さっき教えたロクロウの発言と、西を見始めた時期……これを照らし合わせると、もしかしたらって思ったのよね」
アリシアに言われて、アンナは脳を駆け巡らせた。
安易に女を抱いたことがあるという発言。ここに来て半年後に、フィデル国を眺めていたという事実。それらを合わせると。
「私には異母兄か、異母姉がいるかもしれない……ということ?」
答えを導き出したアンナに、アリシアは頷く。
「もしかしたら、だけどね」
「父さんに聞いたりしなかったの?」
「これに気づいたの、ロクロウがいなくなってからだもの。西になにがあるのかを聞いたことはあるのよ。でも言いたくなさそうだったから、無理には聞き出さなかった」
母親が珍しく憂えた顔をするので、アンナもそれ以上聞くのは憚られてしまった。
「まぁ、全部私の想像よ。実際にどうなのかはわからないわ。安易に女を抱いたって言うのも、私を諦めさせるためのロクロウの嘘だったのかもしれないし。なにか別のことを思って西を見ていた可能性も十分にある」
アリシアは最後にそう締める。
結局真実はわからないが、異母兄弟がいるという可能性は確かに十分にあると、アンナには思える話だった。
「それにしても私の父さん、聞けば聞くほど酷い男ね」
「ちっがーーうのよ、アンナ!! 父さんはわかりづらいだけで、本当はすっごくすっごく優しいの! 稼いだお金は孤児院のために使っていたし、ここに住んでいた時には十分すぎるほどのお金を入れてくれていたのよ!」
「そんなのやって当然じゃない。めちゃくちゃ稼いでるんでしょう?」
「もう、だからアンナに言いたくなかったのよぉ!」
ぷんぷんと悲しそうに怒るアリシアを見て、アンナはふっと笑った。
娘から見るととんでもない父親ではあるが、アリシアから見れば素敵な恋人だったのだろうと思って。
「これだけ母さんが愛した人だもの。そんなに悪い人じゃなかったんだってことくらい、私だってわかってるわ」
アンナのフォローの言葉に、アリシアはパッと顔を輝かせる。
自分の母親ながらわかりやすいと、アンナは笑った。
「ふふっ。そうよ! ロクロウは素敵な人なんだから!」
素敵な人とは一言も言っていないのだが、これ以上は平行線なのでアンナは黙って母の喜ぶ様子を見ていた。
そうして食事を終わらせた瞬間、アリシアはとんでもないことを言い出した。
「せっかくの休みだし、コムリコッツの遺跡に行ってくるわ!」
「……え!? 今から!?」
アンナが目を丸くして言うと、アリシアは「ええ!」と当然のように頷く。
母親の突飛な発言と行動には慣れたつもりのアンナではあったが、これにはさすがに驚いた。
雷神の話をしたせいで、その気になってしまったようだ。
アリシアはさっさと帰る準備を始めてしまい、アンナは少し寂しくて声を上げた。
「ほんとにもう行っちゃうの?」
「ええ。どのみち休みは二日しかなかったのよ。あなたもめでたくパートナーを得たし、私も一日、好きに過ごさせてもらおうかしらね。前から興味あったのよ、コムリコッツの遺跡」
「母さん、遺跡は初めてなんだから、遺跡の中で迷わないでよね……」
「失礼ねー、大丈夫よ!」
常に自信満々すぎる母親を心配するアンナ。グレイもまた、大丈夫かこの人、という顔でアリシアを見る。
アリシアはそんなアンナとグレイに、ビシッと声を上げた。
「あなたたち、オルト軍学校の寮暮らしよね。本当は今すぐにって言いたいところだけど、十八になったらさっさと結婚して、ここで一緒に暮らすといいわ。家は誰も住んでないと傷んじゃうし、母さん、この家は売りたくないのよ」
またも突拍子もない話を振られて、アンナとグレイは目を見合わせる。
二人にはもちろん、断る理由などなかった。
「いいの? ここなら軍の施設も王宮も近いし、すごく助かるけれど」
「もちろんよ。たまに邪魔なのが帰ってくるけど、それでよければね」
「邪魔だなんて。しばらく家を建てる金なんかないし、助かります」
「そう。私も助かるわ!」
アンナとグレイは、もう一度顔を見合わせた。
そんなに先のことまで考えていなかったが、ここに住めるとなるとメリットはとても大きい。そして純粋に、ずっとこの家で一緒に過ごせることを喜んだ。
そんな二人を見たアリシアは、にっこりと太陽の笑みを浮かべる。
「じゃあまたね。二人とも、元気でやりなさい。グレイ、アンナのこと、頼んだわよ」
「もちろん」
グレイの力強い言葉を聞いて満足したアリシアは、颯爽と家を出ていったのだった。