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09.私……盾を持つわ

 アリシアを玄関先で送ると、アンナとグレイは再び家の中へと戻ってくる。


「相変わらず、嵐みたいな人だな。アリシア筆頭は」

「本当ね。遺跡に行くなんて本気かしら。誰か一緒に行ってくれる人がいれば安心なんだけど」


 アリシアはとんでもなく強いので、魔物が出てくる分には心配していない。

 しかし遺跡は入り組んだ場所だし、どんな仕掛けがあるかわからないのだ。


「アリシア筆頭には、そういう人いないのか?」

「そういう人って、恋人? いないわね。あの人、父さん一筋だし」

「逆ならいそうだが」

「逆って?」

「筆頭好きな人じゃなくて、筆頭好きな人なんかがな」

「母さんを好きな人ねぇ……あの人、色気がないから」

「っぶ」


 アンナの言葉に、グレイは思わず吹き出した。

 アリシアはものすごい美人な割に、カラッとしているせいか、まったく色気を感じさせない。十六歳のアンナの方が、ものすごいフェロモンを感じるくらいである。


「たくさん男の人を従えてるし、交流は多い方だと思うのよ。でもそんな人はいないわね」

「言い切られるアリシア筆頭に同情するな。誰か家に連れてきたりはしてないのか」

「そうね……ジャンくらいかしら」


 ジャンとは、アンナが生まれる前からこの家を出入りしている男だ。

 雷神に短剣の手解きを受けていて、現在はアリシア直属の部下である。


「ジャンって……あのウェーブのかかった黒髪に緑眼のか?」

「あら、知ってるの?」


 アンナの言葉にグレイは頷いた。


「院長じじいが先月亡くなったんだが、その時に知らせて連れてってくれたのがジャンだったんだ」

「そう言えば、ジャンも孤児院出身だったわ。それで知ってたのね」

「年代が違うから、院で一緒だったことはないけどな。院長じじいになにかあった時は、俺を呼ぶように頼まれてたみたいだった」

「グレイって、孤児院でも頼られる存在だったのね」

「大したことはしてないけどな」


 自分の恋人が人から頼られる存在であったことが誇らしくて、アンナは頬を緩ませる。

 グレイは自身の顎に手を置いて、ジャンとアリシアが隣に並んでいる姿を想像してみた。二人とも高身長の美男美女だ。お似合いのカップルのようにグレイには思えた。


「ジャンか……筆頭の直属の部下だろ? なくはなさそうだよな」

「ないわよ。母さんはジャンを六歳の頃から知ってるって言ってたわ。十二歳も年下だし、母さんは近所の子のような感覚で接していたもの」


 アンナは家によく来るジャンとアリシアの様子を何度も見たことがあるが、甘い雰囲気になっている姿など見たことがない。

 もし付き合うとなっても反対はしないが、ないだろうとアンナは思っていた。


「アンナは自分の母親に恋人ができるのは、嫌な方か?」

「そんなことないわ。むしろ、恋人を作ってほしいくらいよ。いくらがいるって言っても、老後にパートナーがいないのは寂しいでしょう?」

「確かにな」


 〝パートナー〟という響きに、グレイは改めてアンナを見る。


『私、結婚するわ。グレイと』


 アンナは、確かにそう言った。

 結婚受諾の言葉。それを思い返すと、いつもは無愛想なグレイの口元がニヤけてしまう。


「どうしたの? グレイ」

「いや……俺たちは婚約者ってことで、いいんだよな?」


 改めて聞かれたアンナは、顔を熱らせながら頷いた。


「ええ……まさか私が、十六で婚約するなんて思ってもみなかったけれど」

「今すぐにでも、結婚できるならしたいくらいだけどな、俺は」


 グレイの言葉に、アンナはふとさっきアリシアが言っていたことを思い出した。と同時に、前に言っていたグレイの言葉も。


「そう言えば、ストレイア王国では十八歳で結婚できるのに、どうして二十歳まで時間があるって言ってたの?」


 プロポーズされた時、グレイは『二十歳の成人までは四年ある』と言っていた。それまでは返事を待つ、という意味に捉えていたが、今すぐに結婚できるならしたいと言われ、疑念に変わったのだ。

 アンナの疑問に、グレイは誠実に答えを告げる。


「ストレイア王国は完全な実力主義だが、妊娠出産は不利になる。正規の騎士になってすぐに結婚していたら、どうしてもそれを懸念されて出世コースから外れるんだ。絶対というわけじゃないけどな」


 出世コースから外れると聞いて、アンナは顔を強張らせた。

 一般的な仕事と違い、復帰は難しい職種であり、そのまま家庭に入る者もいることからの措置だろう。

 新米騎士がいくら声高に叫んだところで、やり方を変えてもらえるとは思えず、アンナは唇を結んだ。


「その顔は……出世する気満々だな」

「当然よ。そのために頑張ってきたんだもの」


 アンナは、アリシアの背中を見て育ってきた。

 強くて美しくて、女性でありながら軍のトップに君臨するアリシア。

 いつか母を越えると、密かに心に決めているのである。


「じゃあ、結婚するまでにある程度の地位を固めておく必要があるってことだ」

「それが二十歳ってこと? かなり厳しいわ……あの母さんでさえ、将になったのは二十二歳の時なのよ?」

「俺は、アンナなら無理じゃないと思ってる」


 まっすぐに射抜くような視線を送られたアンナは、ドキンと胸がなりつつも肌がピリッと引き締まる思いがした。

 グレイの真剣な瞳に吸い込まれるように、アンナは彼を見つめる。


「アリシア筆頭は、上級学校卒業の資格を持ってないのは知ってるか」

「え、ええ……十五歳まで学校に通っていたけど資格を取れなくて、十八歳で正規軍に入りたいからって、上級学校は中退してオルト軍学校に入ったの」

「アンナは十四で資格を持って軍学校に入ってるんだ。その時点ですでにアンナが勝ってる」

「確かにそうだけど……母さんは軍学校の剣術大会で毎年一位、それ以外の練習試合でも負け知らずの伝説を持つ人なのよ。それに引き換え、私はトラヴァスやあなたに負けていて、一位を取ったことがないもの……」


 初年度は三位、二年目は二位という結果に終わっている。

 年齢を考えれば素晴らしい結果だと人は言うだろうが、アンナとしては納得できていない。


「まぁ一位を取れないのは仕方ない。俺がいるからな」

「……私、今、すごく悩んでるのよ」

「なにをだ?」

「最近、カールの背がすごく伸びたじゃない?」

「ああ、確かに……それがどうかしたのか?」


 アンナの言いたいことがいまいちわからず、グレイは首を傾げた。アンナはしょぼんと肩を落とし、目だけでグレイを見上げて、また視線を落とした。


「私、去年の後半から、ほとんど伸びてないのよ……ここで頭打ちみたい。もうカールにも抜かされちゃうわ」

「身長だけはどうしようもない。引っ張って伸びるもんでもないし、男女差もあるしな」

「そうなんだけど、やっぱり体格差で力負けしちゃうのよ。力勝負にならないように、技と素早さを駆使して勝ててはいるわ。けどやっぱり、力が欲しいの」

「俺としては、あんまりムキムキのゴリラのようにはなってほしくはないが……」


 グレイの言い草にアンナは少し笑い、そして真剣な表情へと変えて彼を見上げた。


「それで、今悩んでることの話になるんだけど」

「なんだ、今のは悩みじゃなかったのか?」

「延長上の話になるのよ。聞いてくれる?」

「もちろん」


 当然のように首肯したグレイを見てほっとしたアンナは、今まさに直面している悩みを打ち明ける。


「盾を持とうかと、悩んでるの」

「……盾、か」


 現在のストレイア王国は、剣が全盛の時代である。

 軍には盾の部隊がいるにはいるが、混戦になる最前線で盾を使う者はほとんどいない。身軽で動きやすい剣一本が、理にかなっていると言えるのだ。

 そんな中で盾を持つか悩んでいるというアンナに、グレイはしばし考えてから口を開いた。


「盾を持つということは、アンナの持ち前の素早さを殺すことになるぞ」

「そうなのよね……今まで両手で構えていても負けていた相手に、片手で剣を持ってどこまで抗えるのかもわからない。それに、戦法もいちからやり直しになる……」


 今まで使わなかった盾を、急にこの年で使おうとしても、一朝一夕というわけにはいかない。使い物になるかどうかもわからないものに、無駄な時間を割く余裕などはないのだ。

 けれどこのままなにもしなければ、アリシアを越えるどころか、皆に置いていかれてしまうだけだ。だからこそ、悩んでいる。

 そんなアンナの迷いを打ち消すように、グレイは息を吸い込むと話し始めた。


「だが、盾には盾の良さがある。上手く使いさえすれば防御力は格段に高くなるし、シールドバッシュやシールドフック、シールドストライクと攻撃の幅も広がる。アンナならハーフシールドで上手くラップショットも狙えるはずだ。剣対剣だとリーチがものを言うが、盾があれば自分の間合いにまで入っていくことができる。あながち、盾という選択は間違いじゃないぞ」


 確かに、体格によるリーチの差をなくすことができるのは魅力的である。グレイの口から希望が紡がれて、アンナは感動にも似た気持ちで彼を見上げた。

 盾を持つことで本当に強くなれるかわからなかったが、その言葉で一気にやる気がみなぎってきたのだ。


「私……盾を持つわ」

「ああ。なんでもやってみればいい。いくらでも付き合う」

「ありがとう、グレイ」


 スッキリとしたアンナの顔を見たグレイは、口の端をニッと上げる。

 と同時に、使いこなせば相当に化けるだろうと考えて、負けられないなとグレイは心の中で自分を鼓舞していた。


「じゃあ、今から相手をお願い!」

「はは、新年早々に手合わせか。別にいいが、盾はあるのか?」

「母さんの部屋に、埃が被ってるのがあるのよ。ちょっと待ってて」


 そう言うと、アンナはすぐに大きな五角盾を持ってきた。

 それを見たグレイは、大きく目を丸めている。


「おい、それ……ストレイア王国軍聖騎士盾じゃないか」

「有名なもの?」

「将になった時に、王から賜る盾だぞ。勝手に使っていいのか?」

「ええ、子どもの頃にこれを使って遊んでても全然怒られなかったわよ。むしろ使いたいならいくらでも使いなさいって言ってくれてたから、構わないわ」

「……まぁ、盾を使わない者は部屋の飾りにしかなってないようだしな」


 そもそもアンナの家の物なので、グレイがあれこれ気にするのもおかしな話だ。二人はこの家に置かれてある模擬剣を手にすると、庭に出て対峙した。

 盾の戦術を話し合い、何度も試して、アンナは少しずつコツを掴んでいく。

 活き活きとするアンナを見て、グレイは密かに笑みを浮かべていた。


 そして夜になると、二人は同じ部屋で今日のことを語り。

 優しさを分け与え合うように、一緒に眠るのだった。


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