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10.一体、なにが言いてぇんだよ

 アンナの家がある、ストレイア王国の首都ラルシアルから、遠く離れた森の中。

 そこで二つ分の人影が動くと、魔物は地に伏していた。


「強くなったなぁ、カール!」


 年末から家に帰っていたカールは、父親にそう言われて『へっへーん』と鼻を擦る。

 カールの父親は魔物討伐を国から請け負っていて、森の治安を守って生計を立てているのだ。と言っても、この辺はそこまで強い魔物は出てこないのだが。

 久々に父親と魔物討伐に出かけたカールは、瞬時に魔物を倒した。それを見た父親が誇らしく笑っているので、カールも自然と得意顔になる。


「オルトではもっと強ぇやつらとやってるからよ」

「そうか。頑張ってるんだな、すごいぞ!」


 だが父親の発言に、カールは口の端を上げるだけにとどまった。

 確かにカールは頑張ってはいる。それはもう、間違いなく。

 しかし中々結果として現れていないのだ。


 初めての剣術大会では初戦でアンナと当たり、あっさりと負けた。

 二度目の初戦はトラヴァスで、こちらも粘りはしたが結局は負けている。

 くじ運の悪さが影響していると言っても、二回とも初戦敗退という不甲斐ない結果に終わっていた。


(くっそ、今度こそは結果を残してぇ……!!)


 剣術大会に出場している中で、カールは最年少クラスと言ってもいい。

 しかし、そんなことを負けの理由になどしたくはなかった。

 アンナは初年度は三位、二年目は二位という結果を残しているのだから。カールとアンナの生まれた差は、たった半年しか違わないにも関わらず。

 そんなこんなを考えながら戦利品を手に家に帰ると、眼鏡をかけた青年がカールを迎えた。


「おかえり、カール。おーおー、荒れてるね」


 長い茶髪をふわりと揺らして笑う彼は、ここに住んではいるが家族というわけではない。


「年末年始くらい、どっか行けよミカ」

「邪険にしなくったっていいじゃないか。君の端正な顔を見ると、元気になれるんだよ、私は」

「っけ、どうだか」


 ミカは同じ家に住む、家庭教師の男だ。

 カールはこの男に騙されて必要以上に勉強させられたおかげで、わずか十三歳で上級学校の卒業資格を得られたのである。だからと言って、カールはまったく感謝していないが。


「お兄ちゃん、お父さん、おかえりー!」

「おう、ただいまシェリル」


 五つ離れた妹のシェリルが嬉しそうに笑い、


「もう母さんがメシ作ってるよ」

「おう、食おうぜ!」


 二つ下の弟キースが、カトラリーを準備している。


「おかえりなさい、あなた、カール。みんな揃ったし、食べちゃいましょう!」


 母親の言葉で、皆は一斉に席について夕食をとり始めた。もちろん、ミカも一緒にだ。

 カールの母親は工芸品作家で装飾品を作っていて、縫製の仕事も請け負ったりしている。森に住んではいるが、父親の方と合わせて収入は十分にあった。家庭教師を十年もの間ずっと雇って、一緒に暮らせるくらいには。

 カールがスープをすくって胃に流し込んでいると、隣にいるミカがニヤニヤとカールに話しかける。


「カール、君はオルト軍学校でちゃんと勉強はしているのかな?」

「やるわけねーだろ。俺はもう、一生分の勉強をし尽くした気分だぜ。ミカのせいでな!」

「まだまだ、人生は勉強の連続だよ。知識はいくらあっても無駄にならないものだからね」

「うへぇ。そういうのは別のやつに任せてぇよ」

「自分でやることに意義があるんだよ。他人が得た知識は他人のものだ。ちゃんと君が知識を得ないことには意味がない」

「へーへー。そのうちにな」


 もう勉強などしたくないカールは適当に受け流し、ミカは長い茶色の髪をふわりと揺らして笑う。


「まぁ今は、大好きな勉強より夢中になるものができただろうしね」

「勉強を好きになった覚えは一度もねーよ!?」

「他に夢中になると言ったら、好きな女の子でもできたかな?」

「っぶ!! げほ!! ぐっほ!!」


 食べていた物が気管に入って咽せるカール。ミカは弟のように可愛がっているカールと見て、ニコニコと笑みを向けた。

 そんなミカの、カールに好きな子がいる発言に、家族は一気に色めき立つ。


「まぁカール! 好きな子ができたの!?」

「いいなぁ、兄貴。森で暮らしてると、女の子と知り合う機会もないもんね」

「どんな女の子なんだ? 白衣の天使か? 優しく看護でもされたんだな!?」

「ち、ちげーって!! 医療班の女子じゃねーし!!」


 かあっと顔を赤くして否定すると、ミカが意地悪くニマニマと笑った。


「ほうほう、君の好きな人は医療班ではない。ということは、同じ戦闘班かな?」

「っぐ!」


 図星を突かれたカールは、むぐぐと言葉を詰まらせる。


「う、うっせぇな! いいだろ、誰だって!」


 もう突っ込まれたくないカールだったが、そんな気持ちなどお構いなしに母親がずいと身を乗り出した。


「カール。夏に私が作ったコームを、プレゼントしたい仲間がいるからって持っていったわよね? もしかしてあれ、その好きな子にあげたの?」


 母親が作っている装飾品のうちのひとつを、カールは気に入って買っていたのだ。

 お金はいいと言われたのだが、自分で稼いだお金もあるし、アンナにプレゼントするのにタダでもらった物をあげたくはなくて、ちゃんと支払いはしている。


「……ああ、やった」

「まぁ! 気に入ってくれたかしら!?」

「めちゃくちゃ喜んでたぜ」

「きゃあ! それで、お付き合いなんかは!?」

「あー、付き合い始めたな」

「あらあらまぁまぁ!!」

「グレイっつー男と」

「え……えええええええ!? 取られちゃったの!?」

「あはははは!」


 母親はガクンと首を項垂れさせ、ミカは大笑いをしている。

 父親は微妙に眉を下げて同情していて、弟妹たちは気にせず食事を続けていた。


「あはは! 初恋は実らないものさ、カール!」

「うっせ。いいんだよ」

「おや? 落ち込んでない?」

「まぁ正直、ちょっと悔しかったけどな。けどなんか納得しちまったんだ。あいつには、グレイしかいねぇって」

「……そっか」


 ミカは鬱陶しがるカールの頭をゴシゴシと撫でた。ほんの少し唇を噛んだカールは、食事を再開しようとスプーンを握り直す。


(俺はまだ、アンナに相応しい男じゃなかった。それだけの話だ)


 アンナは現筆頭大将の娘で、本人も恐ろしく強い女だ。

 しかしそれは天性のものだけでない、アンナ本人の努力の賜物だとカールはわかっている。

 そしてアンナには、強さへの執着があることも知っていた。剣術大会で二位だったからと、アンナに納得する様子はまったくない。

 アンナの目は、常に強者へと向けられているのだ。つまり、現在はグレイへと。


(俺は、アンナの眼中にもねぇんだ。アンナがグレイに惹かれるのも、当然の話だな)


「っくそ」


 小さく吐き出したカールの苦しみの言葉を、ミカは逃さず耳にとらえる。

 そして食事を終えるとミカはカールを誘い、外へと連れ出した。

 外はもう帳が降りていて、真冬の今は凍えるほど寒い。しかし空を見上げると、澄んだ空気が星々を綺麗に瞬かせていた。


「あんだよ、ミカ。さびーよ」

「本当だね。真冬の夜に外に出るもんじゃないな」


 吹き荒ぶ夜の木枯らしが体を凍てつかせ、ミカは鼻を赤くして笑う。彼の眼鏡が少し、息で曇った。

 そんな姿を見て、カールは少しあきれるも、こういう男だったと諦める。

 ミカは手に持っていた灯りを切り株に載せた。中の炎が揺れるたび、ちらちらと二人の影をゆらめかせた。


「君と出会って十年、か」


 呟くように言ったミカの言葉に、カールは彼を横目でみる。

 家庭教師としてミカが家に住み着いたのは、カールが五歳の時だ。現在は十五歳なので、確かに出会って十年になる。ミカは十七歳年上なので、現在三十二歳だ。


「思えば長く騙されてたよな、俺……」

「君は素直な負けず嫌いだったからねー。騙し甲斐……おっと、教え甲斐があったってものだよ!」

「くっそ、嘘だってわかってたら、あんなに勉強せずに済んだのによ」

「頑張った分、君は人生を楽しめるってものだ」

「ほんとかよ」

「ほんとほんと!」


 ケラケラと笑うミカに、訝しみの視線を送るも、彼はものともしていなかった。

 なんだかんだ言っているが、カールもミカのことが嫌いなわけではない。

 十年もずっと寝食を共にして、森で一緒に生きてきたのだ。長子のカールに兄はいないが、ミカのことは年の離れた兄のようにも感じている。


「しかし、君はあれだ。好きな人が別の男と付き合い始めたんだから、もっと悲しんでいい」

「アンナのことか」

「へぇ、アンナちゃんって言うのか、その子」


 ニマニマするミカを見て、うっかり名前を知らせてしまったことを後悔する。しかしミカ相手に今さらかと、カールはすぐに切り替えた。


「ああ、筆頭大将の娘なんだ」

「へぇ、アリシア筆頭大将の! それは志が高い子だろうね。将来が楽しみだ」

「……まぁな」


 視線を逸らすカール。ミカはそんなカールを見て一瞬眉を下げたが、すぐに歯を見せて笑う。


「カール。君は、君らしくあればいい。競い合うのは悪いことじゃないが、彼女に固執しないことだよ」

「俺、アンナに固執してるつもりはねーよ」

「はは、確かに! 君はそういうところ、早熟なんだよねぇ。さとし甲斐がなくて面白くない」

「一体、なにが言いてぇんだよ、ミカはよ」


 カールが眉を寄せると、ミカはピタリと笑みを止めた。


「カール。今日の仲間が、明日も仲間だとは限らないよ」

「……」


 あまりに唐突な言葉。真剣な顔をして言うミカに、カールはなんと答えていいのかわからなかった。

 つんざくような木枯らしが二人の間を吹き抜けていき、ようやくカールは口を開く。


「……なんだよ、いきなり」

「仲間がいるっていうのはいいことだ。好きな人がいるということも。とても素敵じゃないか」

「答えになってねぇよ。どう繋がんだ」

「生涯道を共に歩む者など、まずいないということを覚えておけばいい。恋することや仲間と過ごす時間は、長い人生の中で一時のものであると。その一時が君にとって、素晴らしいものであることを私は願っているんだよ」


 そう言いながら空を仰いだミカは、流れ星を見つけた。

 満点に広がる星々に、ミカは両手を広げる。


「人の正義は星の数ほどある。裏切ることが、正義ということもあるんだ」


 人はいつか帰路に立たされる。

 たくさんの出会いがあり、そして別れがあるのだと。

 ミカは、カールに伝えたかった。


「裏切ることが、正義?」

「人は時に、裏切りったり裏切られたりするものだよ」

「俺は、アンナたちを絶対に裏切らねぇ」


 即答したカールの言葉に、「今はわからなくても構わないよ」とミカは小さく微笑んだ。

 そして視線を空から地上へと戻したミカは、まっすぐにカールの赤い眼と交差させ。


「君は君の思う正義を貫き通せばいい。たくさんある正義のうち、最善と思うものを選び取れ」


 彼はそう、告げた。

 カールはミカの言いたいことがなんなのか、結局はよくわからなかった。しかしその言葉だけはなぜか、とても胸に残っていた。

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