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14.こんなことをしていては、だめだな

「どうしたの? トラヴァス。顔色が悪いわよ」


 恋人であるローズが、勤務中にこっそりとトラヴァスに話しかけた。

 トラヴァスは彼女に首を振って答える。


「大丈夫だ。少し忙しいだけで、問題はない」

「最近、働きすぎよ。ちょっとは休まないと」

「……そうだな」


 ローズは前のふんわりとした恋人とは違い、なんでもキッパリサッパリとした人物だ。気の強いところも、トラヴァスは気に入っている。

 そのローズが、そっとトラヴァスに耳打ちした。


「トラヴァスの観たがってた、ガウディ演出の舞台チケットが取れたのよ。今度の日曜に、一緒に行きましょ」

「〝ロメオとヴィオレッタ〟の演目か。よく取れたな。ありがとうローズ、楽しみだ」

「ふふっ! ねぇ、今日仕事が終わったら一緒に帰らない? どこかで食べて行きましょうよ」

「すまない、ローズ……今日は少し遅くまで仕事があるのだ」

「あら……そう」


 一瞬だけ残念そうな顔をしたローズだが、すぐに笑顔を見せる。


「無理しないでね。じゃあ、日曜に」

「ああ。宿舎まで迎えに行く」

「ありがと」


 そう言うと、ローズは仕事へと戻っていった。

 騎士には独身寮があり、独身者の多くはそこに入っている。

 オルト軍学校の時のように点呼などはなく、規則も厳しくはないが、なにせ古い建物なので色々と不便だ。それでもその宿舎を利用するのは、王宮や軍の施設に近いからである。

 トラヴァスの実家は王都にあるが、どれだけ早足で歩いても四十分は掛かるので、独身寮を利用していた。ローズもまた女子寮に住んでいて、気軽に部屋に呼び合える状況ではない。

 よって、翌日が仕事でない時はホテルをとって過ごす程度のものだ。頻度はそう高くない。


(ローズを、抱きたいな)


 自分の愛する人を抱けるというのは幸せなことなのだと、トラヴァスはこの時痛感していた。


(吐き気が、する……っ)


 終業後のことを考えて、トラヴァスは逆流しそうな物を手で押さえつける。


(ダメだ。誰にも気取られるな。ここまできて……首が飛ぶぞ)


 息を数度吐き出して呼吸を整えると、トラヴァスは無表情を貫いた。


 第二王妃のヒルデに呼び出された日から、二週間。トラヴァスは、選択しなければいけなかった。


 ヒルデを抱き続けるか、騎士をやめるかを。


 あの日、トラヴァスはヒルデに抱けと命じられたのだ。

 最初はヒルデの誘いを受けても、トラヴァスは動じなかった。キッパリと断ったのである。

 しかし、それが美貌自慢のヒルデのプライドに傷をつけたのだろう。

 翌日の終業後、休憩室で出された紅茶を飲むと、頭がぐらついた。

 医務室になんとか辿り着いたものの、そこにいた茶髪の女医の姿を見た瞬間にトラヴァスの記憶は途切れている。

 意識がぼんやりと戻ってきた時には、ヒルデの肢体を貪っていた。やめなければと思っていたのに止められず、そのまま最後までしてしまった。まるで、幽体離脱をして見ていたかのような、違和感だった。

 嵌められたと思っても、後の祭りである。


 こうしてトラヴァスは、ヒルデに逆らえなくなったのだ。


『私の言うことに逆らえば、あなたに犯されたと公表するわ。どうなるか、わかっているわよね?』


 強姦は重罪だ。騎士職は剥奪される。普通であっても牢獄行きは間違いない。

 しかも相手は一般人ではなく、この国の王の妃である。

 いくら自分にそのつもりはなかったと言ったところで、新人騎士と第二王妃の言い分であれば、第二王妃の言葉しか聞く耳を持ってもらえないだろう。

 過去の話だが、何代か前の王の妃が、不義密通をしていたことがあった。相手の男は不貞の罪で処刑されているのだ。

 トラヴァスも、このことが誰かに知られれば、物理的に首が飛ぶということになる。


(……逆らえん……最悪だ……っ)


 それから週に幾度も、トラヴァスは呼び出された。

 嫌がれば薬を使われるだけだ。意識のはっきりした状態でなけれな、次にどんなことをさせられるかわかったものではない。

 仕方なしに、トラヴァスは言われるがままヒルデを抱き続けている。

 尊厳を踏み躙られて、人に知られては首が飛ぶという恐怖を味わいながら、それでも騎士を辞めるつもりはなかった。

 騎士を辞めれば、この地獄から逃げられることはわかっていたが。

 トラヴァスはヒルデを抱き続け、何事もなかったように騎士でいることを選んだのだ。己の目的のために。ここまでやってきた、血の吐くような努力を無にしないために。


 この日もトラヴァスは、吐き気を抑えながらヒルデを抱くのだった。




 その週の日曜は、ローズと一緒に舞台を観に行った。

 ローズは演劇に詳しいわけではないが、観れば必ず楽しかったとスッキリした顔をしている。

 その後、トラヴァスがあれこれと語っても、「出たわね、演劇オタク」と笑いながらも、一言も漏らさず嬉しそうに聞いてくれるのだ。

 正直、聞くだけではなく語ってほしいと思わなくもなかったが、誰にも言えない趣味の話を聞いてくれるだけでありがたいと思うことにしている。


 夕食を終わらせて帰るという段階になったところで、トラヴァスはローズをホテルへと誘った。

 明日は月曜で、朝から仕事だ。そんな日にトラヴァスから誘うことなどなく、ローズは少なからず驚いていた。


「なにかあったの? トラヴァス。明日は仕事なのに」


 ことに至る前に、ローズの不審げな声が上がる。答える時間も惜しいくらいに、トラヴァスは急いた。


「ローズとしたかっただけだ」


 その真実だけを紡ぐと、トラヴァスは恋人を抱いた。


(忘れたい。上書きさせてくれ……)


 しかしそう思えば思うほど、ヒルデのことを思い出してしまう。

 ローズに対しても、こんな気持ちで抱くのは失礼だ。

 浮気をしていると言われても仕方ない話だと、トラヴァスは罪悪感に苛まれる。

 けれど、本当のことなど言えるはずもなく。二人は、そのまま夜を過ごした。



 翌朝は、一度寮に戻ってからの出勤だ。

 遅くまで起きていたので、ローズは少し気怠そうに歩いている。


(……こんなことをしていては、だめだな)


 ヒルデとの行為を忘れるためにローズを利用してしまったのだと、トラヴァスは酷く後悔した。

 今の状態では、なにをしてもローズを傷つけてしまうだけになる。

 別れるという選択肢が、トラヴァスの頭の中にちらついた。しかし、それもまたローズを傷つけるだけだ。


(少しずつ、距離を置くか……ずるいな、俺は。なんの説明もせず……)


 説明できるようなことではないのだが。

 寮への帰り道、トラヴァスの腕をとってギュッと抱きつき、嬉しそうに笑うローズを愛おしく思いながら。

 トラヴァスは、いつかローズと別れることを決めて。少しずつ、距離をとり始めるのだった。

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