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15.野心というよりも利他心に近いな

 トラヴァスが密かにローズとの別れを決意してから、二ヶ月と少しが流れた。

 十二月の中旬は、寒さが厳しくなっている。王宮内は建物がしっかりしていて、それほど冷気が入ってこないとはいえ、やはり冷えるものは冷える。

 実はトラヴァスは、寒いのが苦手だ。氷魔法を覚えていながら、おかしな話ではある。

 だからといって、暑さに強いかと問われると、そうでもないのだが。

 しかし暑かろうと寒かろうと、無表情のままなので、あまり人にはわかってもらえなかった。


「トラヴァス」


 どこか暖を取れる場所がほしいと思いながら仕事を終え、騎士の詰め所に戻ろうとしていると、後ろから声を掛けられる。

 振り向くとそこには、美しい顔立ちをしたフリッツがいた。ラウ系の第三王子である。

 トラヴァスは姿勢を正すと即座に肩口に拳を当てる敬礼をする。


「フリッツ王子殿下。いかがなされましたか」


 フリッツとは、あの日以降、特に顔を合わすこともなかった。

 名前を覚えられていたことに驚きつつも、表情には出さずにフリッツに顔を向ける。


「今日はこの後、予定はないよね」


 断定的な問いかけ。

 この日、ヒルデは会食が入っていて、王宮には戻ってこない。トラヴァスの少ない自由の時だ。

 だからトラヴァスはこの問いかけひとつで、フリッツがヒルデとのことを察しているのではないかと訝った。

 この少年王子は自分をどうするつもりだろうかと、心の中で冷や汗が流れる。


「は。なにもございません」

「少し、僕の部屋に来てほしい。話がある」

「……かしこまりました」


 十三歳の少年に頭を垂れると、その後ろをついていく。

 着いた先は、ヒルデの隣の部屋だ。フリッツの自室である。

 中に入ると暖炉が焚かれていて、その暖かさにトラヴァスは筋肉を少し弛緩させた。


「なにか飲み物を用意させようか」

「いえ、結構です」

「警戒しなくても、僕はなにも入れたりしないよ」


 その言葉に、トラヴァスは逆に警戒する。


(やはり知っているのか。この王子は……)


 首を刎ねられることはもちろん、騎士を辞めることもしたくはない。

 しかし第三者に知られてはどうしようもなくなってしまう。

 トラヴァスはなにを言われてしまうのかと、恐怖を押し殺しながらフリッツを見つめた。


「……お母様が、申し訳ない」


 トラヴァスのアイスブルーの瞳から逃げるように、フリッツは視線を下げながら謝罪する。

 まさか謝られるとは思ってもいなかったトラヴァスは、ほんの一瞬だけ戸惑った。


「なんのことか、わかりかねます」


 そして平静を保ちながらそう答える。

 知らぬ存ぜぬを押し通すのがベストなのだ。


(フリッツ王子とて、現場を見たわけではない。憶測に過ぎないのだからな。隣だから声は聞こえたかもしれないが、俺じゃないと言い切れば逃れられる。大丈夫だ)


 トラヴァスは自分に言い聞かせ、平然とした態度を崩すことなく直立する。


「僕に秘密を握られるのは、困るかい?」


 フリッツがうっすらと笑った。その表情に、トラヴァスはゾクリとする。

 どちらかというと、フリッツは穏やかなイメージがあった。彼の母のヒルデや兄のルトガーのように、刺々しい感じはない。こんなに冷ややかな笑みができる王子だとは、思っていなかったのだ。

 フリッツは、儚げな雰囲気の王子である。

 肩につく程度に伸ばされた亜麻色の髪は、落ち着いた雰囲気を醸し出している。まだまだ子どものため身長は低いが、色気は十分に感じられた。


(フリッツ王子はこんな方だったか……?)


 もちろん、トラヴァスは普段のフリッツをいつも見ているわけではない。

 しかしそれにしても、普段遠目に見る、頼りなさげなフリッツとは雰囲気が違っていた。


(普段の仕草は……演技か)


 一見して情けなく見える……そんな演技をしているのだと、トラヴァスは気づいた。

 本当のフリッツは、こちらなのだろうと。


「フリッツ王子殿下。秘密を握られて、困らぬ者などおりますまい」

「はは、まぁそうだね」


 カラリと笑うその姿も、普段のフリッツとは違うようにトラヴァスには感じた。どこがどうとは、明確には言い表せなかったが。


「じゃあ僕の秘密をひとつ教えよう。だからトラヴァスの秘密も僕に言うんだ」

「それに一体どんな意味があるのか、わかりかねますが」

「お互いに弱味を握れば、裏切れないだろう?」

「……」


 少年王子の言葉に、トラヴァスは脳を高速回転させる。


(つまりは、俺を従順なしもべにさせたいのか……いや、違うな。ヒルデ様とのことでこれだけ確信を持っているのなら、俺を脅して従えようとするはずだ。それをしないのは……)


「殿下が欲しているのは、信頼できる味方ですか」


 トラヴァスの言葉に、フリッツはそっと銀灰色の目を細めた。


「さすが、よくわかったね」

「信頼したいのならば、弱味を握り合うというのは悪手です」

「そうかもね。でも一番手っ取り早いんだよ。一から信頼関係を築くのは大変だから」


 信頼できる味方を得るために、弱味を握り合う。

 もし片方の弱味が弱味でなくなった時には、即座に崩壊する脆い関係だ。

 しかしトラヴァスは、単に脅すことをせずにヒルデのことを謝罪し、さらに自分の弱味を教えるというフリッツに好感を持った。目下である騎士相手に、対等であろうというフリッツの心意気が見てとれたのだ。


「では、フリッツ王子殿下の秘密というのが私の秘密と釣り合うものであれば、お話しいたしましょう。そうでなければ、私が殿下の秘密を握るだけとなる。その覚悟がお有りならば、秘密をお教えください」


 トラヴァスは自分が不利になることを避けるため、先にフリッツに秘密を促した。もしこれが取るに足らない秘密であれば、もちろんトラヴァスはヒルデとのことを認める気はない。脅しにかかられた場合は、全力でシラを切るつもりだ。

 しかし、もしその秘密がトラヴァスの秘密と見合う、その時には。


「僕はね、トラヴァス。妹のルナリアと、愛し合っているんだよ」


 その言葉に、トラヴァスは落胆した。

 とてもじゃないが、対等の秘密にはなり得ない、と。


「それは当然でしょう。お母上が違うとはいえ、お二人は血の繋がった家族。愛し合うのはごく自然のことです」

「ルナリアを一人の女性として愛していると言ってもかい」


 光のない瞳で、フリッツは告げた。

 家族としての愛ではなく、ルナリアを女性として愛しているのだという発言に、トラヴァスは一呼吸置く。


「許されざる愛、ですか……」

「どう。トラヴァスも言う気になった?」


 むうっとトラヴァスは言葉を詰まらせた。

 確かにそれが本当であればかなりのスキャンダラスな話ではある。しかし誰かに告げたからと言って、二人は引き裂かれるだけの話だろう。

 本人同士はつらいことかもしれないが、バラされたからと言って、トラヴァスのように首を落とされることはない。これでは同等とは言えない。


「それでは今ひとつ弱い。私の秘密は話せませんね」

「……仕方ないな。じゃあもうひとつ、僕の重大な秘密を教えてあげるよ」


 フリッツにちょいちょいと手招きされたトラヴァスは、取っていた距離を少し詰めた。不敬にならない程度の距離を、さらにフリッツが一歩詰め、トラヴァスに耳打ちする。


「僕は、バルフォアの血を引いていない」


 その言葉を聞いた瞬間、トラヴァスは無表情の顔を動かさず、硬化させたまま驚いた。

 微動だにしないトラヴァスから、顔が見える位置まで離れたフリッツは、目に光のない笑みをうっすらと浮かべている。


(フリッツ様がバルフォアの血を引いていない……レイナルド陛下のお子ではない? 本当であれば……これは確かに、重大な秘密だ)


 ごくりと喉だけ動かしたトラヴァスは、少年王子に向かってまっすぐアイスブルーの瞳を向けた。


「……それは事実でしょうか。なぜ王子殿下はご自分の出自をご存知なのです」

「簡単だよ。母上が言ったんだ。僕の美しさは、父親に似たからだと。陛下に似なくてよかったと」

「……」


 現王であるレイナルドは、精悍な男らしい顔立ちをしているが、美しいとは形容しがたい。


(確かにルトガー様とシウリス様は、体格も良く精悍な顔立ちをしているが、フリッツ様には美しさがある。単にヒルデ様似だからだと思っていたが……)


 しかし、もしもこれを公表してもヒルデは知らぬ存ぜぬを貫き通すだろう。

 母親から直に聞かされた話だとフリッツが証言するならば話は変わってくるが、フリッツにも惚けられては意味をなさなくなる。


「……まだ納得しないかい?」


 くすりと笑う表情がやたらと大人びていていた。トラヴァスは精査しようとフリッツの吸い込まれそうな銀灰色の瞳を覗き見る。


「わかりませんね。どうしてそのような重大なことを、一介の騎士である私におっしゃるのかが」

「言っただろう。僕は味方が欲しい……いや、味方が必要なんだ」


 フリッツの真剣な表情。

 彼がここまで秘密を明かしたのは、ヒルデとの不貞の件で、トラヴァスの生殺与奪の権利を握っているからと言える。その脅しが使えるからこそ、フリッツはここまでトラヴァスに真実を告げたのだ。


「トラヴァスのことは調べさせてもらった。すべてに動じず、冷徹に物事を見定める氷のような男だと。お母様にあんな目に遭わされても、何事もなかったように平然としている君を、僕は気に入ったんだよ」

「……私を味方に引き入れて、なにをしようと?」


 トラヴァス問いに、フリッツは消えていた目の光を取り戻した。


「僕がこの国を統べる。そして、安寧をもたらす」

「……っ」


 その言葉に、トラヴァスは少なからず驚いた。

 ストレイア王国は、バルフォアの血を引く直系の男子なら王位継承権がある。

 誰を選ぶかは王次第であり、生まれた順とは限らないのだ。

 元々穏やかで、さらに実際にはバルフォアの血を引かないフリッツに、そんな野心があるとは思っていなかった。


「……フリッツ王子殿下が?」

「意外かい? 僕が、王を目指すのは」

「はい、失礼ながら」


 正直に告げると、フリッツは少し笑った後、睨むような真剣な顔で、背の高いトラヴァスを見上げる。


「ルトガー兄様やシウリス兄様を王位に就かせてはいけない。二人は血の気が多すぎる。そうは思わないかい」


 純粋なバルフォアの血統である二人の血の気が多いのは、代々戦果を上げた者が王位を継いでいるからだ。

 現王のレイナルドも、数多くいた兄弟の中から、自ら軍功を上げて王の座に就いた男である。周囲を大切にする人物で、民衆からの評価も高く、先王に選ばれたのだ。しかし一度戦場に出れば気性は荒く、敵には恐れられる人物だったと言われている。

 第一王妃マーディアを娶ってからは、すっかり丸くなってはいるが。しかしもうそのマーディアは亡くなっていて、いつ昔のレイナルドに戻るかわからない。


「まだまだお父様はお元気だけど、もし二人の兄様のどちらかに王座を明け渡すことになれば、国を戦火に巻き込むようなことになりかねない。僕は、それが許せないんだ」


 確かに、とトラヴァスは顔には出さずに心で頷いた。

 第一王子ルトガーは、ヒルデの思想が色濃く反映されていて、何事も権力と武力で解決すればいいと思っている節がある。

 第二王子シウリスは本人が戦闘の天才であり、十七歳にも関わらず実践経験があり、すでに武功を上げていた。

 王族の仕事もあり、筆頭大将のアリシアがシウリス出陣の許可を渋るので、そう数は多くない。

 しかしシウリス本人はもっと出陣したがっているのだ。歴代の王の中で……いや、もしかするとストレイア王国の中で、最も血の気の多い人物と言えるかもしれない。

 そんな二人のうちのどちらかが王の座に就くことを、フリッツは憂えていた。


(これは、野心というよりも利他心に近いな)


 末王子の話を聞き、トラヴァスはそう判断した。

 フリッツは、民のために自分が王になろうとしているのだと。バルフォアの血を引いていないにも関わらず。


「ではフリッツ王子殿下は、武力の行使をするつもりはないと?」


 見定めるための質問に、フリッツは逆にじっとトラヴァスを見た後、首を横に振った。


「残念だけど、今の情勢で武力を行使しないという断言はできない。しかし守るべきはストレイア国民だ。兄たちのように無益な殺生は好まない。犠牲は最小限、騎士だけに絞る」


 守るべきはストレイア国民。犠牲は騎士だけに留める。

 それはトラヴァスと同じ考えだった。だが、まだ見定める材料が欲しくてトラヴァスは音を震わす。


「騎士はあなたを守り忠誠を誓う者たちとなるでしょう。その者たちに、あなたは死ねと命じられるのですか。多くの騎士たちの命を散らす覚悟と、彼らの命を背負う覚悟はお有りですか」

「必要とあらば、命じる。そして散っていった者たちを決して忘れず、その思いと業を背負って僕は生きる」


 澱みのない銀灰色の、意思のある瞳。その決意が胸に届きながらも、トラヴァスはもうひとつ問いかけた。


「では、戦争が不可避となった場合……王子殿下は戦うのか、国を明け渡すのか。どちらを選ばれますか」

「我が国民の尊厳が踏み躙られるのであれば、断固として戦う。だけどそれは最終手段であり、僕から仕掛けることは決してない」


 トラヴァスはその答えを聞いて、困ったなと少し笑った。

 わずか十三歳の少年に、この国の未来を賭けてみたくなったのだ。


 もちろん、まだまだ先の話ではある。レイナルド王は健在なのだから。

 フリッツ自身も発展途上で、だからこそ、これからいくらでもトラヴァスの意見を組み込ませることができる。


(大人になりきる前の今の段階で取り入っておくのは、大きなメリットだ)


 バルフォアの血を引いていないことさえ誰にもバレなければ、フリッツが王になることも不可能ではない。そうすれば、長く小競り合いが続くこの国に、平穏をもたらすために働ける。フリッツが王となり、トラヴァスがその右腕として手腕を振るえるのならば。


「フリッツ王子殿下。私の秘密はお察しの通り、ヒルデ様に不貞の相手をさせられていることです」


 唐突に言い放ったトラヴァスの秘密に、フリッツは一瞬驚いた顔をした。しかしすぐに奥歯を噛み締めながら頷きを見せる。


「やっぱり……ごめん、トラヴァス」

「フリッツ殿下が謝られることではございません」

「けど、それを打ち明けてくれたということは」


 期待の眼差しを向けられたトラヴァスは、コクッと首肯して見せた。


「互いの重大な秘密を知り得た仲です。このことを決して誰にも口外しないと約束していただけるのであれば。私はフリッツ王子殿下のお志を支える一番の味方となり、最も優秀な部下となりましょう」


 トラヴァスの言葉に、フリッツの顔がパッと輝いた。


「ありがとう、トラヴァス! 僕は必ずこの国の、良き指導者となってみせる!」

「そのお志を持たれている限り忠誠を誓い、私はこの知恵と力をフリッツ王子殿下のために存分に振るいましょう」


 そう言って少年王子の前で片膝を折り、首を垂れる。

 トラヴァスが、完全なるフリッツ派となった瞬間であった。


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