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103.ただの偏見じゃない

 六月に入ったある日、アンナたちはカールとトラヴァスを自宅に招待した。

 食事の用意が大変なので、集まる時はいつもお店を利用するのだが、今回は特別だ。テーブルに料理を並べ終えたところで、カールとトラヴァスがやって来た。


「いらっしゃい、カール、トラヴァス! どうぞ入って」


 満面の笑みで迎えられた二人は、遠慮せず中へと入っていく。


「久しぶりだな、アンナの家に来んのも」

「騎士の誓いをして以来か」


 室内シューズに履き替えると、カールはグレイの足元にいるラストアスハスキーを見て目を輝かせた。


「お前が噂のイークスだろ!」


 カールが嬉々として触れようとすると、途端にイークスはウウウッと前傾姿勢になり唸り始める。


「こんにゃろ、生意気なやつだぜ!」


 そう言いながらもカールは、カカカッと歯を見せて笑う。


「俺以外に懐かないんだ。悪いな」

「俺以外にって、アンナにもかよ」

「最近はようやく唸られずに済むようになったところなの。ゆっくり仲良くなっていくわ。グレイを好きになる子って、気難し屋が多いのよね」


 そう言いながらふんわり笑うアンナは、その場にいる全員の心をほぐすような暖かさを放っていた。

 そんな顔を見たカールは、トラヴァスにこそこそと話しかける。


「今日は家にいるからか、リラックスした顔してんな、アンナ」

「本当だな。これがいつもグレイの見ているアンナの顔なのだろう」

「どうしたの? 用意はできてるのよ、食べましょう」


 アンナに促されて、二人は顔を見合わせて笑うと席に着く。

 明るい陽射しが差し込む昼下がり。

 木目のテーブルに並べられた料理は、アンナとグレイが二人で作ったものばかりだ。

 先にイークスの餌を用意して出すと、尻尾を振りながら喜んで食べ始めた。

 アンナたちがイークスを飼い始めて二ヶ月。飼い始めた当初から比べると大きくなっているが、まだまだ子供になりかけの赤ちゃんと言った感じである。

 全員が席に着くと、離乳食を食べているイークスへと皆の視線は自然と向く。とりわけカールは、はぐはぐと嬉しそうにグレイの作った離乳食を食べている姿を見て、頬を緩めた。


「犬を飼い始めたっては聞いた時は、よく決断したなと思ったけどよ。確かに見ちまうと、こりゃ飼うしかないよな。かわいいぜ」

「普段はドッグシッターに面倒を見てもらっているのだろう? そのドッグシッターには懐いているのか?」


 トラヴァスの疑問に、グレイは苦笑いを見せる。


「いや、まぁ、苦労させてるみたいだな」

「でもすごく明るい人で、楽しんでるみたいよ。こういう子の方が燃えるって、逆に気合いが入ってたわ」

「いいドッグシッターなのは確かだな。安心して任せられる。イークスもそのうち心を開くだろ」


 そんなことを話しながら、四人は食事に手をつけた。

 大皿に盛られたキッシュは、黄金色に焼き上がった生地の間から、ほうれん草とベーコンが顔を覗かせている。ふわりと香るチーズの香ばしさに食欲がそそられて、カールはがっぽりと自分に取り分けた。


「おい、カール。取りすぎだろ」

「へっ、こんなのは早いもん勝ちだぜ」


 グレイの言葉に笑って、遠慮もなく食べ進めるカールだ。

 トラヴァスも粛々と大皿からあれこれ取って、自分のお皿に載せていた。


「お前もこういう時は容赦ないよな、トラヴァス」

「大家族で育ったものでな。こういう争奪戦は慣れている」

「もう、いっぱい作ったのに、あなたたちに掛かればあっという間ね」


 そう言いながら、アンナは白い陶器のボウルから銀のレードルでスープをすくう。

 じゃがいもとポロネギをじっくり煮込んだゆるやかなとろみが、湯気とともにふわりと立ちのぼった。


「スープもうまそうだな! 俺も!」


 そう言いながら、カールはアンナからレードルを受け取って自分でよそう。

 オルト軍学校からセルフサービスに慣れているので、当然のようにそれぞれが自分の欲しいものを自分で取っていった。

 スプーンですくったとろんとしたポタージュをふうふうと冷ましたカールは、口に運んでほっと息を漏らす。


「やべぇ、うめぇ。トラヴァス、そこのバゲット取ってくれ。がっつり浸して食う!」

「それは美味しそうだな。俺もしよう」


 カールは受け取ったバゲットをスープに浸してふやけるのを待ち、トラヴァスはスープを載せてカリッと音を立てて食べた。


「これ、お前らが作ったのか?」


 テーブルに所狭しと載った料理の数々。これだけの量を作るのは大変だということは、カールもわかる。


「まぁな。ちなみにそのスープは俺が作った。イークスの離乳食の残りに、ポロネギを入れて味付けしただけだぞ」

「ぶはは! 俺らは犬の餌の残りを食ってんのかー!」

「うまければなんでもいい。グレイにこんな特技があったとはな」


 トラヴァスは感嘆しながら、もう一度バゲットにスープを載せて食べた。

 褒められるのは嬉しいが、そこまでのものじゃないと思っているグレイは、顔に苦味を乗せる。


「こんなのは結構適当だぞ」

「適当なんて言いながら、グレイの作るお料理は本当に全部おいしいのよ。忙しいから、作るのは休みの日くらいだけれどね」

「いや、本当に適当なんだが……」


 意外な才能があったものだと思いながら、カールとトラヴァスはスープを堪能した。

 満足げに食べる二人を見てアンナは微笑み、新人騎士の方へと顔を向ける。


「それはそうと、カールは入軍して二ヶ月が経ったけれど、どう? 困ったことはない?」


 お姉さん風を吹かしながら聞くと、カールはほんの少し目を伏せてから、ニッと笑った。


「困ってはねぇかな。むっちゃくちゃ忙しいけどよ、やりがいあっからな。早くお前らに追いつかなきゃなんねーしよ」


 カールはローストビーフをどっかりと取ると、野菜と一緒にもりもり食べ始める。一人が食べ始めると、周りも負けじと取り合いのように食べるので、アンナは呆れながらよく食べる男たちを見た。

 もりもり食べながら、グレイも自分が入軍二ヶ月の頃を思い浮かべる。


「まぁ、しばらくはわからないことも多いし忙しいよな。筆頭なんて容赦なかったぞ」

「確かに、あの頃のグレイはよくやっていたな。密かに感心していた」

「トラヴァスはどうなの? 隊長なのに、フリッツ様の護衛騎士でもあるじゃない。忙しそうよね」


 公務で外に出る時には、必ずと言っていいほどトラヴァスがフリッツの護衛についている。

 それでいて隊長職もこなしているトラヴァスだ。将を含め、一目を置く者も少なくない。


「忙しくはあるが、特段不満はない。王族の護衛につけるなど、名誉なことだしな」

「気に入られてるのね。護衛となるきっかけが、なにかあったの?」


 アンナの疑問にトラヴァスは一瞬手を止めたが、すぐにローストビーフへと手を伸ばした。


「いいや、これと言っては特にないが。一番年の近い護衛騎士を欲しておられたのだろう。当時俺は十八歳だったしな」


 まさか、きっかけはヒルデと関係を持っていたことだなどとは言えず、トラヴァスはそう誤魔化した。

 三月生まれのトラヴァスは現在二十一歳、フリッツは十五歳で、今年十六歳になる。

 フリッツも身長が伸びてかなり男らしくなってはいるが、シウリスや前王レイナルドのような恵まれた体格ではない。

 本当の父親であるロメオに託された雷の書を習得し、フリッツは密かにトラヴァスと魔法の特訓をしていた。

 元魔術騎士のロメオの血か、雷の魔法はその辺の魔法使いと比べて、格段にレベルが高いとトラヴァスは感じている。剣術も指南していて、下手な兵よりかは余程はいいものの、圧倒的に才能は魔法士寄りであった。


「お友達のような護衛騎士が欲しかったのかしら?」

「だったら人選ミスだろう。無表情男だぞ、トラヴァスは」


 グレイの言葉に、カールがぶはっと噴き出す。

 ムッとした顔でトラヴァスは隣を睨んだ。


「汚いぞ、カール」

「わ、わり! 人選ミスは言い過ぎだと思ってよ!」


 と言いながらも、カールはひーひーと声を上げて笑った。

 そんなカールを横目に、グレイはこんがりと焼き上げた骨付き肉にレモンを垂らし、大きくかぶりついて引き裂く。


「まぁ、トラヴァスが優秀なのは認めるが」


 もっしゃもっしゃ食べながら褒めるグレイである。


「頼りになるお兄さんのような人が欲しかったのかもしれないわね。フリッツ様は穏やかでお優しい方だもの」

「それはどうだろうな。ああ見えて、底知れない方かもしれないぞ」


 鋭い読みを見せるグレイ。しかしトラヴァスは動じずに、そのまま食事を続ける。

 アンナはグレイがどうしてそう思うのかわからず、首を傾げた。


「そうかしら。素直な方だと思うけれど」

「ああいう優しげな顔をしている男に限って、腹の底は黒いもんだ」

「なぁにそれ、ただの偏見じゃない」


 アンナが呆れて息を吐き出すと、グレイはハハッと笑う。


「まぁ、アンナは素直すぎるからな。そういうこともある、くらいには頭に入れておいた方がいい」

「……そうね、覚えておくわ」


 フリッツに腹黒さがあるかもしれないなど、アンナは考えもしていなかった。

 実際にその可能性は低いとアンナは思っているが、見た目だけで判断してはいけないと肝に銘じておく。


「誰でもそうだが、心の底でどう思ってるかなんて、基本はわからないからな。まぁ、カールはわかりやすいが」

「ぁあ? 誰が底の浅ぇ男だっつの!」

「お前はすぐそうやって怒るし、すぐ泣くからな」

「泣いてなんかねーだろ!」


 ぷんすか怒るカールに、トラヴァスが隣でふっと口元を上げて思い出す。


「俺は見たことがあるな。カールの泣き顔を」

「私もあるわね」

「うぐっっ」

「俺もあるぞ」

「嘘つけ、グレイ!! お前の前では絶対ぇ泣いてねぇ!!」


 明らかに嘘だとわかる発言に、カールはグレイを指差して憤慨した。

 グレイは骨付き肉をガブッと食いちぎると、得意になって笑う。


「ぴーぴー泣いてただろ? 剣術大会で俺に負けた時に」

「泣いってねぇよ!? 記憶捏造すんじゃねー!!」

「見なくともわかるが。フローラに振られた時も、どうせ泣いてたんだろ」

「ちょっと、グレイ……っ」


 グレイらしくない揶揄いに、アンナは不安になりグレイを見上げた。

 いつもは笑って終わるはずの会話だが、カールは急に真顔になり、急いでお皿の中身を食べ尽くす。


「よし、食った!! 表出ろ、グレイ!! いつでも完璧っつー鉄人みてぇな顔しやがって。泣かしてやらぁ!!」

「言ったな? やってみろ。やれるもんならな」


 グレイも肉を食べ切り残った骨を皿に置いた。そしてカタンと椅子から立ち上がると、二人は庭へと出ていく。


「ちょ、ちょっと二人とも!? なに考えてるの!!」


 アンナ言葉など聞きもせず、グレイは庭先の物置から模擬剣を出して、あーだこーだとカールと話している。

 その顔に険悪な雰囲気などまったくない。仲の良い兄弟といった感じだ。


「気にするな、アンナ。まだ食事が残っている。俺たちは食べよう」

「……どういうこと?」


 アンナの疑問に、トラヴァスは珍しく少し笑った。

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