新人冒険者たち三人は、カウンターでにぎやかに話し合っていた。彼らは先日、店の奥のボックス席で『アイス・ブレーカー』を楽しんでいた三名である。パーティを組んで幾つかの冒険を終えた今では、最初の頃のぎこちなさはすっかり消え去っていた。
戦士のガーフィールド……パーティ唯一の男性だ。深めのとんがり帽子を被った女魔法使いマグワイヤ。そして、神官服を身にまとった少女ホラン。三人はバーのカウンターに陣取り、一つの箱を巡ってああでもないこうでもないと議論を繰り広げていた。
その箱は横幅が約二〇センチ、縦と高さがそれぞれ一〇センチほどの長方形で、豪華な装飾が施されている。前面と思しき部分には丸いダイヤルが取り付けられており、その周囲には文字とも記号ともつかない刻印が一定間隔で並んでいた。ダイヤルは左右に回せるようになっていて、小型のダイヤル式金庫のような趣を持っていた。
どうやらこの箱は、三人がダンジョン探索で見つけた財宝のようだった。しかし、それを「財宝」と呼んでよいのかすら曖昧だ。中身がわからない以上、ただの少し凝った装飾の箱に過ぎない。
「マグワイヤ、魔法で開錠とかできないのか?」
ガーフィールドが女魔法使いに尋ねる。しかし彼女は即座に首を横に振り、冷静に答えた。
「もう試したわ。何が原因かわからないけど、開錠魔法は効かないみたい」
マグワイヤは手にした箱をひっくり返したり、立ててみたり、あらゆる角度から慎重に調べてみたものの、特に目立った成果は得られなかった。
「そうか……。でも、それならば、きっと中に入っているのは貴重なお宝に違いない!」
ガーフィールドはマグワイヤから箱を受け取り、耳元で静かに振ってみた。箱の中身が内壁に当たる音が聞こえる。それは軽い音ではなく、そこそこの大きさの物がぶつかる鈍い音だった。
「でも、開かなければ意味がありません。この前面の錠前が鍵となっていると思うのですが……」
ホランはガーフィールドの持つ箱の前面部分、つまりダイヤルが取り付けられた部分を指差した。三人は試行錯誤を繰り返すものの、状況は一向に進展しない。
「ちょっといいですか?」
好奇心を抑えきれなくなったサクラは、ガーフィールドから箱を譲り受けた。箱を手に取ると、あれこれと注意深く観察してみるが、やはり開ける術は見つからない。
手前のダイヤルを試しにぐりぐりと回してみるが、これも全く反応を示さない。
「うーん……開きませんね……」
サクラはため息混じりに呟いた。
「はいっ」と、勢いよく箱はバーテンダーへと手渡された。奇妙にも以前にも同じように手渡された記憶が浮かんだが、おそらく既視感ではないだろう。
バーテンダーは箱をじっくりと観察し、その美しい意匠に目を奪われた。箱の蓋と思われる部分には、竜と獅子を模した煌びやかな彫刻が刻まれ、縁には金色の草花を模した装飾が施されている。さらに、ダイヤル部分には螺鈿のような光彩が見られ、その外観はまるで宝石箱のようにも見える。しかし、そのダイヤル周囲に記されている文字のような記号のようなものは全く意味が掴めない。
バーテンダーがダイヤル部分を左右に回してみるが、箱は全く反応を示さなかった。彼がかつていた世界のダイヤル錠と同じ仕組みだと仮定するなら、このダイヤルは内部の棒を通じて数枚の円形プレートを動かし、それらが特定の位置に揃った際に開錠される仕掛けだろう。しかし、正確な順番でダイヤルを操作し、すべてのプレートが揃わなければならない。その組み合わせは右回し、左回しの二種類と文字盤の数によって膨大なものとなり、さらにプレートの枚数も不明である以上、その組み合わせは指数関数的に増加する。これでは素人にはとても扱いきれそうにない。
「……仕組みはなんとなくわかるのですが、肝心の目盛りをどこに合わせればいいのか分かりませんね。どうしてもというのであれば、箱を壊すという手も考えられますが……」
「そんなとんでもない!」
ガーフィールドは驚いた表情で即座に反論した。
「なかなかいい装飾の箱だぞ。これだけでも結構いい値がつくに違いない。壊すなんてとんでもない!」
「……そうなると、あとは組み合わせを一つずつ試すしかありませんね。箱の大きさからして、多くても恐らく四枚のプレートでしょうから、最大でも四桁でしょう。ただ、何かヒントのようなものがあれば良いのですが……」
「そういえば、古文書みたいな
思い出したようにマグワイヤは荷物から巻物を取り出し、その内容に目を通し始めた。
バーテンダーは、箱を三人の前に静かに置き直すと、熱心に謎解きに取り組む彼らの姿を黙って見守っていた。
◇
「ダメだ! まったくわかんない!」
ガーフィールドはカウンターに突っ伏し、頭を抱えた。他の二人も行き詰まった様子で、眉間に深い皺を寄せている。
「あまり根を詰め過ぎてもよくありませんよ。ここらで一息入れるのも良いかもしれません」
バーテンダーの言葉に、ガーフィールドは疲れた表情で顔を上げた。
「そうですね……。じゃあ、何かおすすめをください……」
もはや注文を考える余力すら残っていないようだった。
「……承りました。では、折角ですので少々変わった名前のカクテルをお作り致しますね」
そう言うと、バーテンダーはいつものように
「お待たせ致しました。『
バーテンダーは一息ついてから続けた。
「普段ならば、このカクテルの名前が何故『T.T.T.』なのか謎解きを楽しんでいただくのですが、
卓上に置かれたグラスはほぼ無色透明だ。ただ、わずかに白く濁ったようにも見える。炭酸の泡が次々と湧き出しており、見た目の演出がきらびやかだった。
三人は置かれたグラスを手に取り、そっと一口飲んだ。
「見た目以上にすっきりしてて美味しいですね」
ホランがいち早く感想を口にした。残りの二人も同調するように、思い思いの言葉でその味わいを褒め称えた。
「ありがとうございます。それでは、この『
バーテンダーは静かに話を続けた。
「この名前は、とある国の言葉で『三倍辛い』という意味を持っています。とはいえ、『辛い』というのは『ドライ』の辛口を指していて、甘さが控えめでキレのある味わいを表現しているものです。古い
ガーフィールドはグラスをじっと見つめた。
「へえ、そんな意味が込められているのか。異なる国の言葉で表すなんて、なんかかっこいいな!」
「……異なる国の……言葉? 違う国の……言語?」
ガーフィールドの言葉に何か思うところがあったのか、マグワイヤはぶつぶつと独り言をつぶやき始めた。そして、しばらく黙考してから、大きな声で叫んだ。
「わかった! わかったわ! そうよ! 違う国の言葉で考えなくちゃいけなかったのよ!」
そう言うや否や、三人はまた頭を突き合わせ、古文書を解読しながら箱の開錠に取りかかった。その様子を、バーテンダーはどこか微笑ましげに見守っていた。
◇
鍵の外れる音が響き渡り、ついに件の箱が開かれる時が訪れた。試行錯誤の末にたどり着いた、その瞬間だ。
期待に胸を膨らませたガーフィールドは、マグワイヤとホランの顔を交互に見つめる。
「開けるぞ!」
緊張感を漂わせながら、そっと蓋が持ち上げられる。
そして、その箱の中に入っていたのは……。
「木彫りの……女性の像……?」
中に入っていたのは木製の像だった。一〇センチほどの大きさで、女性を象ったもののようだ。天使や女神の像というより、フードを被り、ローブらしきものを纏った姿は、どちらかと言えば修道女を思わせる雰囲気だった。目を閉じ、両手を胸の前で組み、お祈りを捧げているようなポーズを取っている。
お世辞にも精巧とは言えないが、手彫りにしては細部が丁寧に作られている。しかし、宝石が散りばめられているわけでも、金銀の装飾が施されているわけでもなく、ただの木製の像だ。工芸品としての価値は感じられるが、高価なものではなく、お土産屋で売られている程度の値段に見える。
マグワイヤが検知の魔法を試みたものの、魔法の痕跡はまったく見つからなかった。つまり、本当にただの木彫りの人形だったのだ。時代が異なれば「フィギュア」とでも呼ばれる代物かもしれない。
これにはさすがの三人も落胆せざるを得なかった。あれほどの苦労を重ねた末に箱の中に見つけたのは、わずかな価値しかない木の像。その報われなさが重くのしかかる。
「まあ、箱は価値がありそうだし、これだけでも良しとするか……」
ガーフィールドが肩をすくめながら言う。
「そうね、この像は……さすがにお金にはならなそうね」
マグワイヤもため息を漏らした。
「こういうこともありますよ。また頑張りましょう」
ホランが優しく微笑み、二人を励ました。
三人は落胆を振り払うようにお互いを励まし合い、次なる冒険へと向かう活力を取り戻していった。
「マスター。これ、あげるよ。箱を開錠できたのはマスターのお陰だし」
「え、本当にいいんですか? マスター、もらっておきましょう! せっかくですから魔除けとしてお店に飾りましょうよ!」
サクラはそう言うと像を受け取り、
(え……飾るんですか……? ここ、一応オーセンティック・バーなんですが……)
その日、なんとも奇妙な木彫りの像が
困難な問題に挑む時、どうしても気を張り詰めて没頭してしまうものです。さすがにずっとそれでは疲れてしまいます。たまにはバーでひと休み。お酒が解決の道標になるやもしれませんよ。
ここは異世界のバー『
◇
『T.T.T.』
テキーラ 30ml
ホワイト・キュラソー(トリプル・セック) 15ml
トニック・ウォーター 適量
カット・ライム 1個
氷を入れたタンブラーにテキーラ、トリプル・セックを注ぎステア。
これをトニック・ウォーターで満たし、
軽くステアして、ライムを飾る。
ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋