暗い店内で、バーテンダーは静かにシェーカーを振っていた。金属が擦れ合う微かな音が、ひっそりと辺りに響く。いつもより照明が落とされ、カウンターの内側だけが淡く照らされている。そして、店には誰もいない。ただバーテンダーひとりが、その静けさの中に佇んでいた。
今日は『
基本的に定休日には、街を散策することが多かったが、今日に限っては店に留まり、ひとり黙々とカクテルを作り続けていた。
彼の胸の内には、先日のわだかまりがなおも渦巻いていた。ひとりのサービス業の従事者として、ひとりのバーテンダーとして、そしてひとりの人間として。自分が選び取った選択は、本当に正しかったのか。後悔と自己嫌悪の影が、いつまでも心を締め付ける。
雑念が入り込む。集中力が乱れる。その影響は、いつもは規則正しく心地よい音を奏でるシェーカーの動きにも表れていた。リズムが乱れる。姿勢が揺らぐ。シェーカーの中の氷が予想とは異なる軌跡を描く。すべての調子が狂っている。
シェーカーを静かにカウンターへと置く。中身を確認するまでもない。これは失敗作だ。客に出せるものではない。ため息とともに蓋を開け、その液体を流し捨てる。
たった一つの後悔に心を乱されるようでは、プロとして失格だ。それは、言葉ではわかっている。どんな時も、冷静でいなければならない。どんな時も、変わらぬサービスを提供しなければならない。
まして、自分はバーテンダーだ。バーとは、安らぎを求める客が集う場所である。グラスを傾ける時間だけでも、心を解きほぐせるように、バーテンダーはそこにいる。もし、居心地が悪ければそれはすべてバーテンダーの責任だ。だからこそ、どんな時も誠意を尽くし、最高の一杯を提供しなければならない。自分の心の揺らぎなど些細なことだ。どうでもよいことなのだ。
しかし、バーテンダーもまた、ひとりの人間だ。未熟ではあっても、心を持つ存在なのだ。悲しみも苦しみも、押し殺さなければならないことはわかっている。だが、それが容易にできるのなら、人間など最初から苦しむことはないのだ。機械のように完璧にはなれない。感情が、それを阻む。
大きく息を吐いた。強張っていた肩の力が、すっと抜ける。余計な力が入りすぎていたことを改めて実感する。もっと自然に、もっと穏やかに。深呼吸を一つ。それだけでほんの少し、心の重みが軽くなる気がした。
目の前に並ぶ三つのグラスが、静かに揺れる。先程すでに作られたカクテルたち。普段ならまず作ることはないカクテルたちだ。
『おすすめ』や『おまかせ』と言われても、決して作ることはない。世のバーテンダーのほとんどが、客から指定されなければ決して出そうとはしないだろうカクテル。それは奇しくも、バーテンダー自身が自己嫌悪に陥る原因ともなった、戦争に纏わるカクテルたち。
この手のカクテルを忌避する客は少なくない。特に年配の方や、海外からの客などは敏感だ。陰惨な歴史が刻まれた名を持つそれらのカクテルは、ときに苦い記憶を呼び起こしてしまうものでもある。ホテルのラウンジバーでは、指定されても提供を断ることがあるというほどだ。
ひとつは『
ひとつは『
最後に『パール・ハーバー』。太平洋戦争の発端となった真珠湾の名を冠したカクテルである。だがその色合いはメロン・リキュールの鮮やかな緑。味は甘口で、とてもフルーティー。悲劇を連想させる名前とは裏腹に、その彩りと奥深さはむしろ穏やかで優雅なものだ。
戦争に由来するこの三つのカクテルは、日本ではほとんど提供されることがなかった。しかし、ここは異世界。その名前の由来も歴史も、知る者はバーテンダーただ一人だ。この世界の人々は、その美しさと味わいだけを純粋に楽しむことができる。いや、本来ならば、そうするべきなのだ。余計なことを語らなければ、ただ美味しく飲んでもらえるはずだった。
だが、それをバーテンダーの矜持が許さない。このカクテルを生み出した先人たちの思いを無視することは、彼らの意思に背く行為だ。一杯のカクテルに込められた歴史と想いを伝えることこそ、バーテンダーとしての本分である。
だからこそ、今回の自分の行いが許せない。果たして、あの場にふさわしい一杯だったのか。カクテルに込められた思いを踏みにじってしまったのではないか。先人たちの意を汲み取ることができていたのか。疑念は尽きることがない。
『
アルコール度はやや高い。だが、シェークされたことで口当たりは柔らかく、ライムとホワイト・キュラソーの柑橘の香りが際立つ。その芳醇な香りが、記憶を呼び覚ます。この『神風』のカクテル言葉を……。
『あなたを救う』
そう、これは神風特攻の脅威や恐ろしさ、悲しみを象徴するカクテルではない。
戦争というおぞましい時代の中で、それでも救いたいものがあった。守りたいものがあった。そんなもののために戦い、散っていった人々の精神が宿るようなカクテル。
このカクテルは、誰かに寄り添い、誰かを救うための一杯。悲しみや恐怖を超えた先にある、希望や献身の象徴。それはまるでバーテンダーの姿そのものだ。理想のあるべき姿を映し出している。
悩み、疲れた客は、明日への糧を求めてバーへ足を運ぶ。癒しをもたらす一杯のカクテルを求めて。どんな客であろうとも、バーの扉をくぐれば皆平等だ。そこには上下の関係も、肩書きもない。社長も、新入社員も、ただひとりの人間としてカウンターに座る。そしてバーテンダーを介しながら、自らの心や過去と向き合う。静かに、黙って、自身を見つめ直す。
だからこそ、バーテンダーの最も重要な仕事は客の話に耳を傾けることだ。バーテンダーを通じて、人は自身の内側に語りかける。それはまるで写し鏡のよう。問いかけ、悩み、考え、やがて答えを導き出す。その答えに迷いが生じたときは、ほんの少しだけ道標を示せばいい。
カクテルの逸話など、そのきっかけに過ぎないのだから……。
そうだ。それが大切なことなのだ。どうして失念していたのか。なぜ忘れていたのか。誰かを救うなどと豪語するのは、あまりに傲慢だ。誰かを救っていると考えること自体が、ただの思い上がりに過ぎない。バーテンダーは神ではないのだ。すべての人間を平等に救うことなどはできない。そんな聖人君子である必要はない。
バーテンダーは、ただの『きっかけ』であればいい。結果として客が救われたとしても、答えを与えることに意味はない。本当に必要なのは、客自身が迷い、悩み、考えること。答えは、客自身の手で見つけてこそ価値がある。
途中式を理解せずに導き出した計算結果に、何の意味があるだろうか。紆余曲折を経て、葛藤し、悩みぬいてたどり着いた答えこそが輝く。それこそが、本当の価値なのだ。
……だが。それでも、誰かを救いたい。
わかってはいる。それがバーテンダーの領分を逸脱していることは。答えを導く手助けではなく、安易に答えを指し示すことはその人のためにはならない。
バーへ来る人々は迷い人なのだ。様々な思いを胸に抱き、道を探し求めているのだ。そして、なかには答えを見つけられない人もいる。誰かに頼り、誰かに導いてもらえないと前へ進めない人もいるのだ。そういう人々を救いたいと思うのは傲慢だろうか。烏滸がましいことだろうか。
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは著書の『アンナ・カレーニナ』の書き出しでこんな言葉を残している。
『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』
不幸の形は千差万別。理由や状況などそれぞれに違うものだ。だから、不幸を癒す形もまた千差万別。そして、カクテルもまた千差万別。不幸を癒すためのカクテルも千差万別。
そのために、カクテルは飲み方、温度、色合い、味わい無限の組み合わせを持つのだ。その人の不幸のための一杯。その人の答えのための一杯。だから、カクテルは無限のレシピを持つ魔法のお酒なのだ。
ああ、そうだ。
一定の型に嵌める必要はないのだ。必ずしも答えを与えるだけが正解ではないが、救うことは間違いではない。不幸の形はそれぞれに違う。なれば、救う方法もそれぞれに違う。その人のために寄り添う姿勢。その人のことを考え精一杯のサービスを提供する。それこそがバーテンダーの在り方なのだ。
静かにグラスをカウンターへと置く。バーテンダーの心には、もはやわだかまりはなかった。
奇しくも『
『あなたを救う』
自分自身が作ったカクテルを前に、問いかけ、悩み、考え、そして答えを導き出した。まったく……。自分は何をしているのだろうか……。
大きくため息を吐き、自嘲気味に笑みを浮かべる。そして、ゆっくりとグラスを洗っていく。
まだ見ぬ客たちの笑顔を想像しては先程とは違う笑みが頬に浮かぶ。
さて、明日はどんな客が訪れ、どんな物語が紡がれるのだろうか……。
人間は誰しも悩みます。迷います。苦しみます。答えは出せないかもしれません。答えが欲しくなるかもしれません。バーとバーテンダーはいつでもそんなお客様をお待ち致しております。共に答えを考えて行きましょう。
ここは異世界のバー『
◇
『神風』
ウォッカ 20ml
ホワイト・キュラソー 20ml
ライム・ジュース 20ml
シェーカーにウォッカ、ホワイト・キュラソー、
ライム・ジュースと氷を入れてシェークし、
氷を入れたオールドファッションド・グラスにこれを注ぎ入れる。
『B-52』
コーヒー・リキュール 20ml
ベイリーズ 20ml
オレンジ・キュラソー 20ml
ショット・グラスに下から、コーヒー・リキュール、ベイリーズ、
オレンジ・キュラソーの順に混ざらないように注ぐ。
『パール・ハーバー』
メロン・リキュール 30ml
ウォッカ 15ml
パイナップル・ジュース 15ml
シェーカーにすべての材料と氷を入れシェークし、
カクテル・グラスに注ぎ入れる。
ナツメ社 「カクテル完全バイブル」より抜粋 一部改変