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第9話 夫婦の語り合い

 ネオンの実力は本物で、魔物の討伐はあっさりと終わった。討伐を終えた後、ナデシコはネオンに連れられて、街を一望できる小高い丘にやってきていた。

 風が吹き付けて陽光が降り注ぐ。気持ちの良い場所だ。


「いい景色ね」

「だろう? それに、人気もない」


 なるほど、とナデシコは頷いた。ここでなら周囲を気にすることなく話ができる。


「天導教に尾行されていたのは王子として? それとも狩人として?」

「うーん、半分半分かな。私個人が天導教ともめているのは事実なんだけど、きっかけは私が王子ってことだから」

「そう。……誰から漏れたの?」


 ナデシコが尋ねれば、ネオンは寂しげに微笑む。

 ネオンが女性という事実を知っている人間はごくわずか。ナデシコも、身近な誰かの裏切りがなければ国家連盟と対立している天導教にネオンの性別が漏れるはずがないことはわかっていたが、ネオンの答えは予想していないものだった。


「四番目の姉さんが天導教で悪魔祓いをしているから、そこだろうね」

「……そう」

「でも、私は姉さんが裏切ったとは思っていないんだ。あの人が私たちを裏切るはずがないんだから」


 ネオンの声は虚勢ではなく、心から信頼を寄せているものだった。先王によってネオンたち姉妹に複雑な事情がもたらされている以上、ナデシコは何も知らない自分に言えることはないと判断する。口を閉ざすナデシコへ、ネオンは話を続けた。


「それに狩人の私がネオン・シラ・シュトラルだと知っているのは天導教でも限られているはずなんだ。イウリィも私が王子だとは知らなかったからね」

「……ねえ、ネオン。なんか嫌な予感がするんだけど、この流れでどうしてイウリィが出てくるの?」


 ナデシコは半人魚――悪魔の娘である心優しい侍女の姿を思い浮かべて、若干顔を引きつらせながら問いかける。

 ネオンも困ったようにしながらも、ナデシコの問いによどみなく答えた。


「それが、私と天導教がもめているのって、私がイウリィを攫ったからなんだよね。あの子はもともと、天導教から私に送られた刺客だったんだ」

「ネオン。今すぐ、正直に、イウリィについて知っていること全部教えなさい」

「うん、わかってる。この格好も見られたからね、私もそのつもりだよ」


 ネオンは降参するように両手を挙げる。ネオンはむっつりとした表情をするナデシコへ、狩人業を隠している都合で黙っていた事情をつまびらかにしていった。


「まず、イウリィは教皇の隠し子だ。教皇が封印されている『水底揺籃みなそこまもり』に産ませた子供らしい」

「……もう頭が痛くなってきた。知恵熱が出たら責任取ってよね」

「そうだね、もし君が倒れちゃったらおぶって連れ帰ってあげるよ。――で、どうしてかは私もよくわかっていないんだけど、イウリィは教皇から私を襲うように命令されたんだってさ」


 ネオンですら把握できていない経緯。つまりそれはネオンにも話したくない事情があるのか、あるいはイウリィ自身もそんな命令を下された理由を知らないのか。


「とはいえ、その頃には私も狩人だったからね。イウリィもさっさと諦めたみたいで、私を襲う振りをしながら事情を伝えてくれたんだ」

「それで離宮に連れ帰ったってわけ?」

「そういうこと。天導教はネオン・シラ・シュトラルが女ってことを知っていて、シュトラルは天導教の教皇が悪魔に子供を産ませたことを知っている。お互いに弱みを握っているから、今まで大事にはならなかった」

「どっちも大胆ね。ええ、とっても、すごく、想像以上に」

「……ナデシコ、その、もしかして怒ってる?」


 相当なレベルの隠し事をしていた自覚はあるからだろう。ネオンは恐る恐るといった調子でナデシコの様子を伺う。

 普段の男装姿は怜悧な印象が強いが、今の装いはかわいらしいものだ。ナデシコは物珍しさにじっとネオンの顔を見つめてから、ピンと人差し指で額を弾く。


「あたっ!?」

「悪魔狩りが情けない声出してるんじゃないわよ。あたしは怒ってるんじゃなくて呆れてるの」


 ナデシコは膝を抱えてくすりと笑う。ネオンもからかい混じりの揶揄だとわかったようで、安堵の息をついていた。

 ネオンは立ち上がって、楽しそうな横顔で王都の街並みを見下ろす。王宮を中心にして広がる人間の街の風景は、ナデシコにとって目新しいものだった。


「シュトラルのこと、本当に好きなのね」

「うん。最初に外に出てきたときは、ただ義務感に追われていただけだった。私には王族としての役目は果たせないんだから、その分、人の役に立たないとって」

「そう。隠し事が多いくせに真面目なのね」

「ごめんってば。――ギルドで働いて、いろいろな人と関わるうちにね、気付いたら義務感なんて消えていたんだ。私は王族だからこの街を守りたいんじゃなくて、私自身の思いでこの街を守ろうとしていた。勝手なことをしているのはわかっているんだけれどね。私にとっては初めてできた、自分がやりたいことなんだよ」


 ネオンの横顔はすがすがしい。ナデシコは頬杖をつきながら、ネオンを見つめる。


「……ねえ、ネオン」

「ん、なんだい?」

「あたしね、とっても弱いのよ。サイレンスになろうが、竜の中だとあたしは紛れもない弱者だった」


 ネオンの動向を探って街まで出てきたのは、それこそクエリとのやりとりで生じた義務感で動いていただけだった。けれどネオンの心のうちを知った今、関心が薄かった「夫」への好感が増しているのをナデシコは感じる。

 ネオンは自分の弱さもさらけ出している。だからナデシコも、強がりをやめてみた。


「竜が魔術を侮っているのは驕りだけどね、竜にとって魔術が必要ないのは事実なの。だって魔術なんてものを使わなくても炎を吐けるような生き物なんだから」


 左手で首筋の鱗に触れる。ガラスの鱗はナデシコが竜であると示すただ一つの証明で、ナデシコにとっては誇りであり、たったこれだけしか竜の要素がないという忌ま忌ましさも覚えるものでもあった。

 幼い自分を見捨てた母親を恨む気持ちがある一方で、母親の判断は当たり前のものだと判断する自分もいる。だからナデシコは、とうとう父にも捨てられたのでは、という考えを捨てられない。


「そのくせ負けず嫌いで意地っ張りで、育ててくれた師匠とも喧嘩別れしちゃうし。ほんっと、バカみたい」

「……そっか」


 街を見ていたネオンの視線がナデシコに向けられる。数秒間、ネオンはじっとナデシコを見つめて、迷うようにしながらも近くにやってきた。

 ネオンはナデシコの前で膝を曲げて、視線を合わせる。ナデシコの頬に、鍛えられて硬くなったネオンの手のひらが添えられた。


「私はまだ君のことをほとんど知らない。でも、私とイウリィは君の心に救われたんだよ」

「……あなたも陛下も大げさよ。あなたの事情は不可抗力だし、鱗なんてあたしにも生えているんだから、騒ぐようなことでもないわ」

「ナデシコからすれば、ね。だから私は君を好ましく思うんだ」


 ネオンは笑う。臆面もなく言い放たれた台詞に、ナデシコは思わず唇を噛んで頬を赤くする。

 不意打ちを食らって黙りこくるナデシコへ、ネオンはさらにたたみかけた。


「ナデシコ。私たちは政略結婚だし同性だけど、それでも夫婦だ。だから、しばらく私のことを君のそばに置いてくれないかな?」

「……好きにすればいいじゃない」


 ナデシコはぷいと目を逸らす。素っ気ない言い方だったが、頬はまだ赤かった。

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