「あら。あらあら、まぁ……」
「ただいま、イウリィ。というわけでバレちゃった」
連れだって帰ってきたネオンとナデシコの姿に、出迎えたイウリィは目を丸くする。とはいえイウリィが固まっていたのもほんの少し。ネオンの楽しげな雰囲気を見ると、ナデシコに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、ナデシコさま。この通り、私も共犯にございます」
「イウリィが謝ることないわよ。探ったのはあたしだし、隠してたのは旦那さまなんだから」
「あたっ」
ナデシコが軽く頭を小突くと、ネオンは嬉しそうに悲鳴を上げる。いかにも末っ子らしい仕草に、ナデシコは思わず口元を緩めて微笑んでいた。イウリィも微笑んで、くすくす笑う。
「では、お言葉に甘えて許していただきます。ネオンさまもナデシコさまもお疲れでしょう? ちゃんとお食事は用意してありますよぅ」
◆
とっぷりと夜が更ける。ナデシコはランプの光を頼りに買ってきたばかりの魔術書を読み進め、ときどきメモに走り書きをしていく。ナデシコは毎晩の日課に意識を没頭させて、思考の中に溺れていく。
そのさなか、控えめに部屋の扉が叩かれる。いつもなら眠気がやってくるまで途切れない集中が、離宮にやってきてから初めて遮られた。
「失礼します。ナデシコさま、今よろしいでしょうか?」
「イウリィ? ええ、いいわよ」
イウリィは部屋の中へ入ってくると、ぺこりとお辞儀をする。普段と何も変わらずにこやかなイウリィは、胸に魔物のヒレを抱えていた。
「あなた、それ――」
「ネオンさまにいつもお願いしているんです。……せっかくの機会なので、お母様の娘としての私を見ていただきたいのですが、お許しいただけますか?」
いつもと同じ、甘やかな声は真剣だった。
侍女としてではなく、半人魚という立場からの願い。ナデシコは少しだけ迷いつつも、ベッドから降りる。
「ありがとうございます。お時間はそこまで取らせないつもりですから」
「いいわよ、気にしなくて。本なんていつでも読めるんだから」
「……ふふ、お優しい方ですねぇ。ネオンさまのお嫁さまがナデシコさまで本当に良かった」
臆面もなく言われて、ナデシコは恥じらいについそっぽを向く。イウリィがその様子を見てまた楽しげにするものだから、ナデシコからすれば気恥ずかしくて仕方ない。
イウリィは優しいと言うが、ナデシコにそんな自覚はまったくない。
弱さを見下されて、竜帝の娘なのにと蔑まれて、魔術を修めても認められることはない。腹立たしい思いをしてきたから、せめてあんな奴らの同類になってたまるか、とイウリィやネオン自身を見るように努めている。ナデシコにとってはただそれだけのことなのだ。
イウリィが足を止めたのは庭の片隅を流れる水辺だった。
イウリィは地面に膝をついて、抱えていたヒレを水面に浮かべると、両手を組んで目を閉じる。月光の中で人魚の娘は静かに、真摯な祈りを捧げた。
「……水底揺籃は大海の母。海に還った命をこうして慰めるのも役目の一つだけれど、封印されているお母様にそれは果たせません。だからせめて、私が代わりを務めているんです」
「そう、やっぱり似ているのね」
ナデシコが呟けば、イウリィは首を傾げる。ナデシコは父を思い出して心にモヤを感じながらも、竜帝の役目をイウリィに教えた。
「竜帝はね、竜の頂点であり、支配者であり、統率者であり、祭儀主でもある。水底揺籃と同じように」
「悪魔と竜帝が、ですか」
「ま、悪魔なんて天導教が作った区分だもの。竜が魔物と同じものであっても、何もおかしくないでしょ?」
「……すべては天導教次第、ということですねぇ」
さらりと推測を告げるナデシコと、驚きつつも頷くイウリィ。
ナデシコはけれど、と人差し指を唇に添えた。
「どうして天導教が竜を魔物にしなかったのか、よくわからないのよね。何か思惑はあるんでしょうけれど、材料がなさすぎて考えようがないし」
「む、ならろくでもない考えがあるに決まっています! おめめが腐った教皇を据えるような組織なんですからぁ! まったく、あんな奴は墓の下に埋まっていればいいのに!」
天導教に対してよっぽど思うところがあるのか、イウリィは両の拳を握りしめて怒りを見せる。
イウリィはひとしきり、主に実の父親である教皇に怒ったあと、恥ずかしそうな照れ笑いをナデシコに向けた。
「――っと、失礼しましたぁ。この通り、私の親はお母様だけ。いつか奴の手からお母様を取り戻すのが私の目標です」
「なら、ネオンのそばにいるのはイウリィの意思なのね?」
「はい」
イウリィは迷わず、すぐさま頷いた。イウリィは胸に手を当てて、深く息をする。
「ネオンさまは私の救いです。私という異形を受け入れて、匿って、さらには天導教と対立してくださった。なら、私はこの命を使ってネオンさまに仕えると決めました。私が地上にいるのは、お母様とネオンさまが理由です」
「……そっか」
ナデシコは頷いて、イウリィの思いを肯定する。
クエリがネオンとイウリィの共依存を危惧していることは覚えている。それでも、二人の繋がりを否定したくなかったのだ。