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第13話 咆哮

「――――――――」


 イウリィは歌い、踊る。

 人魚の歌に決まった詞はない。伝えたい想いを心に浮かべると、身体がひとりでに音を紡いでいる。ネオンは喜んでくれるとはいえ、仕事のさなかに踊ることが非常識な振る舞いなのは分かっている。それなのにステップを止められないのも、人魚にとっては舞も歌の一部だからなのだろう、とイウリィは考えていた。


 お母様。お互い顔も知らないのに、いつも寄り添ってくれるお母様。私にお母様の歌が届くように、私の歌も届いているのでしょうか。


「――――――――」


 イウリィも、テラスから見られていることには気付いていた。イウリィが歌うと、ネオンは決まってテラスから見守って、人魚の行いを肯定してくれる。

 ネオンはすべて受け止めてくれる。イウリィにとってネオンと過ごす時間はかけがえのない日々で、だからこそ悔しくて仕方ない。ネオンも傷つき苦しんでいるのに、救われた立場では、隣に並び立てないことが悔しくて苦しい。


 だから、ネオンに嫁いだ竜姫がナデシコだったことは、イウリィにとって無上の喜びだった。

 ナデシコならネオンの隣に立って支えてくれるはずだと信じられる。イウリィはテラスに視線を向けて、背中合わせになっている二人を見る。


 お母様。私の心を温めてくれるお母様。私の喜びがどうか、お母様の心にも伝わりますように。お母様が封じられた暗闇を少しでも照らしてくれますように。







「女の子の格好はしないの?」


 ナデシコは背中越しに伝わってくる震えが収まると元々立っていた場所に戻り、見慣れた男装姿を見て問いかける。

 ネオンは唐突な質問にきょとんとした顔をするものの、すぐに意図を把握して首を横に振った。


「女性として生きたいとは思うけどね、私は王子だから。ここだとこの服装じゃないと落ち着かないんだ」

「……そう」


 ――いっそ、王族であることをやめてしまえれば。


 ナデシコは考えて、言葉にはしなかった。

 それはきっとネオンの人生を否定することになる。少なくとも今のネオンは王子であることを選んでいるのだから。


 返事の代わりに、ナデシコはくるりと人差し指を回転させて、色とりどりの気泡を作り出す。手遊びで作られた泡は、ゆらゆらと空気に流されて太陽の光を反射していた。


「……ナデシコ、それもう一回お願い」

「どうして?」

「いいから」


 ネオンには珍しく、少しむくれたような声だった。ナデシコは不思議に思いつつも、同じように泡を飛ばす。

 ナデシコの指先をじっと見つめていたネオンは、やがて悔しそうな声を出した。


「ダメだ、やっぱり感知できないや。魔術感知は鍛えたつもりだったんだけどなあ」

「ああ、そういうこと。ま、無理もないと思うわよ? だからサイレンスなんだもの」

「……だから、っていうのは?」


 魔術に造詣の深い者でなければ理解できない、端的すぎる説明。ナデシコはネオンの様子を見て、まったく言葉が足りなかったことに気が付くと、今度はきちんと伝わるようにと意識しながら話していく。


「普通、魔術には詠唱が伴うでしょう? ならどうしてサイレンスが詠唱なしで魔術を使えるか、知っている?」

「いいや、理屈はまったく。魔術の扱いが飛び抜けて上手だから、ってくらいにしか知らないや」

「ええ、おおむねはその理解で大丈夫。けれどね、無詠唱ってあくまで結果論なのよ」

「結果論?」


 ネオンからすれば予想外の言葉だったらしい。ナデシコは頷いて、まだ詠唱が必要だったころの感覚を記憶からたぐり寄せる。


「魔術を扱うために必要な力――エーテルはどこにでもある。空にも、土にも、海にも、体内にも。詠唱は体外のエーテルを使うときに指向性を与えるためのものだから、体内のエーテルだけで魔術を組めるなら必要ないの」

「……そういうことか。サイレンスの魔術は身体の中のエーテルだけで完結しているから、実際に魔術が使われるまで感知するのは難しい」

「正解。あたしだって、外のエーテルを使う必要があるくらい大規模なことをするなら詠唱は必要になるわ」


 生まれつきのエーテル量だったり、魔術構築の巧さだったり。

 理由はなんであれ、詠唱を必要としない魔術師がサイレンスと呼ばれるだけ。無詠唱という技術があるわけではないのだ。


 ふむふむとネオンが頷く傍らで、ナデシコはまた気泡を空に飛ばしていく。

 たまには部屋にこもらず、こうしてのんびりするのも悪くない――と思った矢先。


 大気が暴れる。

 イウリィが生み出していた波と同じような、けれど規模は比較にもならないほどの荒波があたり一帯を襲う。それは感覚を刺激するだけに留まらず、ナデシコが空に飛ばした気泡を割って、衣服や髪をはためかせるほど。


「ナデシコ、失礼」

「へ? ――っと!?」


 真っ先に動いたのはネオンだった。

 ネオンはナデシコを抱えると、テラスから庭に向かって飛び降りる。そのまま完璧に衝撃を逃がして着地、すぐさまイウリィのもとへ駆け寄る。


「……ネオンさま」

「イウリィ、今のが何か分かるかい?」


 イウリィはこくりと頷いた。不安げな瞳でネオンを見つめながらも、答える。


「呼ばれたと、感じました。海のものが同族に呼びかける咆哮だと思います」

「そうか。……街に行ってくるよ。二人とも待ってて」

「あ、ネオンさまっ――」


 イウリィは手を伸ばして引き留めようとするが、すでにネオンは走り去っていた。

 所在なさげに下ろされた手と、唇を噛みしめる表情。

 ナデシコはため息をつくと、イウリィの頭に手を置く。


「ナデシコさま……?」

「あたしも行ってくるわ。誰かさんが無茶するなら止めてやらないとね」


 イウリィはじっと、上目遣いになってナデシコを見る。

 イウリィの深い青がナデシコの薄紫を見つめて、ぺこりと頭が下げられた。


「いってらっしゃいませ。でも、ナデシコさまも無事じゃないと、いやです」

「ええ、任せといて」


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