「鳥、か」
魔物の姿にネオンが呟く。ただ敵の形を確認しただけの言葉だが、その声音にナデシコはなんとなく違和感を覚えた。
どうしてか感慨深そうな声。空を自由に駆ける相手に対して、厄介さを感じているわけではなさそうなのも気になる。
「ネオン、あなた空にいる相手と戦えるの?」
「うん。今の高度だと手の出しようがないけど、それは向こうだって同じだからね。上手いことやればどうにかなる」
答える声は推測ではなく、確信だった。ということは――とナデシコは考えて、ネオンの戦斧に目を向ける。
太陽を閉じ込めたような輝きを放つ、悪魔の翼。つまりネオンが討伐した悪魔も、空を飛んでいたのだろう。
「あなた、鳥たちに恨まれている覚えはある?」
「うん、ある。あの魔物、ほぼ確実に暁の系譜だろうから」
「なら、あなたが相手を引き受けてなかろうがあいつから来てたわけか。ネオン、準備はいい?」
「ああ、いつでも大丈夫」
ナデシコは腕を、指先までピンとまっすぐに伸ばす。狙うのは旋回する鳥。高度が高度だ。当てようとするつもりは初めからない。ただ、合図を発してこっちに来いと挑発するだけ。
あたり一帯の空気が揺らめいて木の葉がざわつく。ざわめきは一秒ごとに大きくなり、やがては暴風が渦巻いて、二人の髪と服をはためかせる。
「――それっ!」
そして、とうとう風が爆発した。
射出された爆風が空へ。一瞬、風に押されて体幹をぐらつかせた巨大な鳥は動きを停止させて。すぐさま急降下。迷うことなくナデシコとネオンがいる場所めがけてやってくる。
「あれだけの魔術も無詠唱で、か」
ネオンは小さく呟きながら戦斧を抜いて、ナデシコの前に立った。
襲い来るのは青水晶の翼をまとう鳥。ネオンはその翼を見て敵の攻撃手段を確信すると、空気の流れを合図に戦斧を振るう。
ガギン、と甲高い轟音が響き、巨大で鋭利な水晶――鳥の羽根が地面に深々と突き刺さる。ナデシコの目では捉えられない速度の攻撃をいなしたネオンはすぐさま地面を駆けて樹木を蹴り、空中に飛び上がって鳥に斬りかかった。
橙の水晶と青の水晶がぶつかる。砕けたのは鳥の翼だった。
「やあ。君がフレアの後継者かい?」
「貴様――」
言葉を発する鳥の魔物。とはいえナデシコもネオンも驚くことはなかった。
ナデシコはネオンと鳥が交戦する間に、街道沿いの森へ駆け込む。放たれた羽根の速度を見て、一人で回避するのは不可能だと判断したからだ。
「まったく、どれだけ鍛えたのかしら」
ナデシコは感嘆を通り越して、半ば呆れるような心地でネオンを見る。
ネオンと鳥の体格差は比べるのも馬鹿らしい。大人と子供など比較にもならない巨体を相手にして、ネオンは対等に渡り合っていた。いやあるいは、ネオンの方が優勢なのかもしれない。
苛立ちを見せる鳥とは対照的に、ネオンは笑っているのだから。
「……フレア様を殺したのは貴様だな、娘」
「ああ、そうだとも。このあたりの人間を襲うなら、まず私から殺すことだね」
悪魔狩りの自負に満ちた言葉。私がいる限り、この街に手は出させないという覚悟。
ネオンは紛れもない強者だ。ナデシコも今まさに目の前で、ネオンの力を目の当たりにしている。
けれど、どうしてか。ナデシコがその誇り高い挑発に対して感じたのは、冷たくて静かな孤独だった。
ネオンが狩人をしていると知った日に、ギルドで見た光景を思い出す。あんなにもたくさんの人に囲まれていたのに、ネオンの強さは大切なときに彼女を一人にしてしまう。
ナデシコの目は戦況を油断なく見据えていても、感情は少しだけ逸れていた。だから、鳥の瞳に宿った激情への気付きがほんのわずかに遅れたのも当然だったのだ。
「――いいや。私はこの街ごときに興味はない」
「……へえ?」
ネオンが目を細める。鳥は羽ばたき上空へ。ネオンが追いかけるよりも先に、初撃よりも多くの羽根を飛ばしてネオンの身体を貫こうとする。
「おっと」
「私は、貴様を殺すためにやってきた」
手数が増えてもネオンに傷はない。呆気なく見えてしまうほどに容易く切り抜け、接近。
ナデシコは戦斧の振り下ろしに合わせて援護攻撃を行い――そのさなかに、ネオンに向けられる煮えたぎるような殺意にようやく気が付いた。
「ネオン、下!」
「下? ――っ!」
戦斧と魔術が鳥の翼をまた砕く。
地面に突き刺さった羽根が一斉に爆発し、ネオンを巻き込む。
爆発で巻き上げられた土埃が晴れて、ネオンの姿が見えるようになる。
鋭利な水晶片に裂かれたというのに軽傷で済ませているのは圧巻だったが、あちこちから薄く血を流す姿は、この戦いが決して楽なものではないことをナデシコに実感させるには十分だった。
鳥はゆっくりと羽ばたきながら、怒りに染まった瞳でネオンを見据える。
「私は誇り高きハルピュイアの一翼、エダ。フレア様の無念を晴らし、貴様が奪った我らの王冠を取り戻すためにやってきた!」