王冠。
ナデシコは、エダが高らかに告げた言葉の意図を考える。
王冠とは何か。そんな疑問は持たなかった。なぜならナデシコはその言葉の意味を知っているから。竜帝である父が、先代から継承したという力の器にして、支配者の証である概念が王冠。竜と魔物は同質の存在であるという仮説が正しいのなら、エダが告げた王冠も、ナデシコが知るものと同じなのだろう。
だから考えるのは、ネオンがハルピュイアの王冠を奪った、というエダの言葉だ。
「ネオン! あいつが言っていることに心当たりは!?」
「……ある。後でしっかり話すよ」
そう言って、ネオンは駆け出した。瞬く間に地上を蹴って、羽根を飛ばそうとしていたエダの眼前へ詰める。
圧巻の速度は人の小ささだからこそ出せるもの。ネオンの戦斧が、エダの水晶に覆われていない胸元を斬りつけて、鮮血を溢れさせる。ネオンは返り血を浴びつつ、さらに軽やかな身のこなしでエダの眼球を蹴りつけてから着地。エダも怯まず羽根の弾丸を撃つものの、すでにネオンは着地点から離れたあとだった。
「威勢の割に大したことないんだね。その程度でフレアの仇討ちができるつもりかい?」
「……小娘が」
余裕綽々、といった調子でネオンは煽るが、エダの武器である青水晶の羽根は至るところに突き刺さっている。
エダの意思があればいつでも起爆させられる厄介な地雷。ナデシコの内心は穏やかではなかった。
爆発させられる前に魔術で排除した方がいいのは分かっている。けれど羽根はいくらでもネオンめがけて放たれるうえに、ネオンの足場を荒らすのも悪手なのは目に見えていた。
――なら、とナデシコは判断する。
外部から地形を変えるべきではない。地雷を排除できないのなら、違う形でサポートするしかない。
「『象れ。見えず、在らず、触れられず、けれど守る鎧に』」
他者への強化付与。他人の肉体に魔力を侵入させて、防衛機能を作動させず、魔術をかける。自己強化とは比較にすらならない高難易度の業も、サイレンスからすれば扱えて当然のもの。
「――完璧だ、ナデシコ!」
口の端を吊り上げて、ネオンは笑った。黒髪も狩人衣装も真っ赤にした、獰猛な笑み。
ナデシコが見てきたネオンの表情はいつも穏やかなものだった。だから闘争本能を剥き出しにしたようなその笑顔に、怯まなかったと言えば嘘になる。
けれど、それでも、ナデシコは声を張り上げた。
「ええ! さっさとやっちゃって、ネオン!」
何せ制限時間つきの戦場だ。悪魔級の魔物もあと一体いるのだから、最高戦力であるネオンが時間を取られている暇はない。
エダの羽根が撃ち出され、同時に突き刺さっていた羽根も起爆する。ネオンはまっすぐ、一切の躊躇いなしに自分めがけて飛んでくる羽根のただ中に身を躍らせて、跳躍。空中に跳ぶ。
弾丸はネオンを貫けなかった。爆発はネオンを傷つけられなかった。それどころか爆風はネオンを後押しして、戦斧の振り下ろしに勢いをつける。
エダの翼に戦斧が叩き付けられて、巨大な鳥はバランスを崩して地に落ちた。
そのさなか。エダの視線は冷静に、森の中のナデシコを見据えている。
「アゥダーリー! 森の魔術師を狙え!」
「ええ、承知」
エダは堂々と、隠すことなく宣言していた。それでも回避や防御が間に合わないほどの速度で、その「波」はナデシコへ襲いかかってきたのだ。
ナデシコが隠れていた一帯は森林で、海などあるはずもない。それなのに現れた濁流は木々をへし折り、幹や枝を巻き込んで、ナデシコ一人にぶつけられた。
「っ、ぐ――!」
「――ナデシコ!?」
ナデシコを押し流した濁流は跡形もなく消えた。水は一欠片も残らず、あたりに打ち上げられた樹木とナデシコの姿だけが「何か」が起きたことだけを物語っている。
ネオンは追撃の手を止めてナデシコの側へ。同じように、墜落したエダの側には毛皮を被る女が立っていた。
「手ひどくやられましたね、エダ。おかげで準備は万端にできましたが」
「……ああ。腹立たしいが、フレア様を殺した力は本物だ。私だけでは敵わない」
エダは冷静な声音で言って、身体を起こす。一方、ネオンは必死な声で、横たわるナデシコに呼びかけていた。
「ナデシコ! ナデシコ、無事か!?」
「ぅ、くっ……ごめん、ネオン。しくじった」
ナデシコの意識はある。けれど、ネオンが見る限りギリギリのところで意識を保っているに過ぎなかった。
竜とはいえ、無警戒のところから突然の濁流に襲われたのだ。骨や内臓へのダメージは大きい。
ネオンは躊躇いつつも、ナデシコの身体を両手で抱きかかえる。その間に、エダと新たな女――アゥダーリーは戦闘態勢を整えていた。
「……そこの、君。人間じゃないよね」
「ええ、私はアゥダーリー。セルキーのアゥダーリーと申します。それとも、あなたにはこう伝えた方がよろしいでしょうか」
アゥダーリーは毛皮をヴェールのように被り、優雅な一礼。恭しいカーテシーとともに、名乗りを告げた。
「私はかつて、水底揺籃シェスカ様に仕えていたもの。此度はシェスカ様の忘れ形見をお迎えに参りました」
「っ……!」
――呼ばれている。
ネオンは飛び出してくる前に聞いた、イウリィの言葉を思い出す。
どうして魔物がイウリィの所在を知っているのか。どうして自分とイウリィが繋がっていることを知っているのか。疑問は溢れ、腕に抱えるナデシコの状態も不安で仕方なくて――。
「……ナデシコ。少しだけ、待ってて」
「ネオン……?」
ネオンが地面に優しく降ろすと、ナデシコは朦朧とした声で呼びかけてくる。
ネオンはその声に目をつぶって、振り払って、橙水晶の戦斧を手にエダとアゥダーリーの前に立った。
「君たちには、いろいろと聞かないといけないみたいだね」
「……二対一で手負いを背負い、それでも勝てるつもりか?」
「うん、勝つよ。今すぐに」
ネオンの声は、普段の飄々としながらも自信に満ちたものではなかった。
焦燥と怒り。ネオンは震える呼吸を吐き出して、呼びかける。
「――