この世界を知らない私でも、何となくこれが異常事態を知らせる音だという事くらいは分かる。思わずマルクスさんを見ると、先程まで穏やかだった彼の表情は、驚きに満ちていた。
「これは、魔物の襲撃の際に鳴らされる鐘の音です! 今まで王都への襲撃は無かったのに……!」
「襲撃?!」
ここは王都。王都と言われるからには、暮らしている人も多いと思われる。そんなところで魔物が暴れたら……!
居ても立っても居られなくなった私は駆け出した。私はハルちゃんと約束したのだ。賢者としてこの世界を救う、と。それに、外にはクリスちゃんを支えていた侍女ちゃんがいるはず。マルクス様に「別行動」と言われた彼女は、教会前の広場の掃除を引き受けていたのを覚えている。
後ろから慌てたマルクス様の声が聞こえた。
「どちらへ行かれるのですか?!」
「広場に行きます!」
振り返りもせず、私はひたすら今来た道を戻る。彼には申し訳ないけれど、説明している時間が勿体無いから。後ろで「私も着いていきます!」という声が聞こえたけれど、私はそれに返事をする事なく突き進む。
その時、ふともしかしたら神様であるハルちゃんは、どんな魔物が現れたのか分かるかもしれないと頭に思い浮かんだが、すぐにハルちゃんから返答が来た。
『ごめんね、今はハルちゃんの目を通して世界を見ているから、その助言はできないんだ』
眷属の者と言葉を交わすためには日本でいう守護霊のような形をとるらしく、視界が眷属の者と共有されるのだとか。視点を切り替える事もできるけれど、切り替わるのに時間がかかってしまうのだという。
『意外と融通がきかないから大変なんだよね……』
ハルちゃんのため息が聞こえた。神様も大変だなぁ、と思いながら私は走り続けた。
しばらくして教会の外へ出た私は、広場に躍り出た。
教会前の広場には数人残っていただけだ。白い服を着ているので、教会関係者だと分かる。後々聞いたのだけれど、彼らは外にいる人たちと付近の住民を教会に誘導する仕事を請け負っていた。私が駆けつけた時には、既に誘導を終えたところだったらしい。
そして私を認識した彼らが、ある一方向を指差す。つられて私がその方へ向くと、何かが空を飛んでいるのが目に入った。
「空飛ぶ魔物か……!」
後ろから追いついてきたマルクス様。その声には絶望が滲んでいるような気がする。確かに空を飛ぶ生き物って、捉えるのが厄介よね……
あれは恐竜のプテラノドンにそっくり……いえ、それ以上に……息子が一時期ハマっていた、モンスターを捕まえて戦わせるゲームに登場するモンスターと似ているわね。そのモンスターの名前は知らないけど。
捕まえる事ができそうだけれど……あ、捕まえるにはボールがないわねぇ。無理だわ。
「あれは……! アルバードと名付けられている魔物です……!」
マルクス様も流石である。魔物がこちらに注目しないように小声で私に話しかけてくれたお陰で、情報を得る事ができたのだから。
ふと目の端に先程まで外にいた教会の人たちが礼拝堂へと入っていくのが見えた。この広場にいるのは、私とマルクス様だけとなる。
今だに……えっと、ベルバードだったかしら? ……は空を優雅に舞っている。このまま静かに立ち去ってくれれば、良いのだけれど……と固唾を呑んで見守っていたのだが、急に後ろで何かが倒れる音が響き渡った。
振り返ると、そこにいたのは小さな女の子。そして転んで痛かったのだろう、女の子は目に涙を溜めて大声で泣き出した。
焦ったのは私たちだ。その子へと視線を送った一瞬で……バルバードはこちらの存在に気づいてしまった……! バルバードは急降下し、口を大きく広げて女の子に狙いを定める。
「危ない!」
その言葉を言ったのは誰だったか……私かもしれないし、マルクス様だったかもしれない。
女の子の顔に恐怖の表情が現れて、私は咄嗟に手を伸ばすが女の子との距離は果てしなく遠かった。一方でバルバードと女の子の距離は、ほんの僅かである。女の子を助けたくて私は思い切り体と手を伸ばした時、視界に入ってきたのはマルクス様だ。
彼は両手で女の子を抱き抱えた後、体を捻り受け身の姿勢をとって地面を転がった。私はマルクス様が女の子を保護した事に安堵する。そして一瞬の後、先程女の子がいた場所にバルバードが到達した。
バルバードは狙った獲物が捕まえられなかったからだろう、金切り声を上げた。なんとなく怒っているような気がする。そして、今まさに立ちあがろうとしていたマルクス様へ鋭い視線を送ったように見えた。
受け身を取ったマルクス様は女の子と共に教会へと向かう。それを追おうとバルバードは、走る二人へと向けたが……そこは私が許さない。
「バルバード! こっちよ! お前の相手は私よ!」
私は賢者! ハルちゃんが認めた賢者なの。ここで私は二人を助けるのよ!
私の声で、
マルクス様は私の声を聞いて目を見開いていたが、私に頭を軽く下げて女の子と共に無事教会へ入っていった。私は胸を撫で下ろしながら、バルバードへ視線を送る。
バルバードは動かない私に痺れを切らしたのか、空へと飛び上がる。上下に大きく羽ばたかせ、まるでこちらを威圧しているようだ。
睨み合いが続くが、しばらくしてバルバードは急降下してこちらへと向かっていくる。口を大きく開けているので、今度は私をターゲットにしたのだろう。
私は賢者! 魔法使いよ!
そう思って魔法を使おうと手を伸ばしたが、ここでやっと私は最大の過ちに気づく。
――魔法ってどうやって使うのかしら?