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Ep.5 正義について



 自分のことを助けてくれた美少年にレイ、という名前を教えられたあまねは、少し高揚したような戸惑いの気持ちを覚えていた。


 あまねの心の中に、小学校低学年のとき、かつて自分をいじめっ子からヒーローのように助けてくれた1つ年上の唯一の友達、小さいころからずっと平均よりひとまわり体が大きく、屈強で筋肉質だった西東さいどう大諦ひろあきの勇ましく頼りがいのある姿が自然と思い起こされる。


 ――あのとき、ぼくを助けてくれた大諦ひろあきみたい。


 ――こんな格好いい男の子に助けてもらうなんて、何年ぶりだろ。


 あまねにとっては、一番大切な親友として何年も接してきたその空手の選手として全国大会に幾度となく出場している剛健ごうけんな友達の姿を、目の前の先ほど自分を助けてくれた少年に重ね、あまねはすこしばかり期待を込めた眼差しをもってその顔を見上げる。


 そして、そのゴシックロリータの丈の長いスカートを揺らしつつ、一歩だけ引いて頭を深く下げつつ、お礼の言葉を心の奥底から出すように伝える。


「あ、あの……レイくん。えっと……えっと……私のことを助けてくれて有難うございました!」


 そして、美少女の格好をしたあまねが顔を上げて上目遣いで相手を見たところ、レイはその若干だが釣り目ぎみのぱっちりした形の良い瞳を向け、不思議そうな顔でじっと見つめる。


「あれ? キミ、自分のことわたしって……さっき、ぼくって呼んでなかった?」


 そんなレイの問いかけに、駅に降り立った際の母親の言葉を思い出したあまねは、焦った顔をほんのり赤くしながら、両手を振って弁明する。


「え? えーっと……えーっと……女の子が自分のことぼくって呼ぶの……やっぱり変ですし……!」


 すると、レイはそのぱっちりした釣り目がちな瞳の下にある薄い唇の口角をほんの少しだけ上げ、両肘を立てつつ腰に両手を当て、美少年然と柔らかに微笑む。


「いや? 女の子でも自分のことをボクって呼ぶの別に普通だと思うよ? それにボクは、キミが自分に素直になってくれてる方が嬉しいけどな」


 そんなことを優しい口調で言ってくれるレイの姿に、美少女を演じていたあまねはすこし戸惑っていた。


 罪悪感を少しだけ感じつつ、あまねは伏し目がちに目の前の少年に伝える。


「それに、なんだか……申し訳ない気持ちです……こんなぼくをわざわざ助けてくれて……」


 ――ぼくは、本当は女の子じゃなくってただの貧弱な男子中学生なのに。


 そして、レイは柔和に言葉を返す。


「そんなこと気にしなくていいよ、見たところナンパされて困ってたみたいだしさ。それに、キミを助けたのはボクのためでもあったんだ。『義を見てせざるは勇なきなり』ってね。ボクの好きな言葉なんだ」


 そんな、まるで神様があまねを救ってくれるために遣わした天の使いであるかのような、正義感に充ちた言葉を聞いて、あまねの胸の奥から再び不思議な気持ちがこみ上げてくる。


 そしてあまねは、先ほど抱いた素朴な疑問に関して、若干上目遣いになりながら恥ずかしそうにレイに尋ねかける。


「あの……さっき、ぼくのために考えてくれた名前、レイを日本語に翻訳してヒカリにしたっていってましたけど……どういうことですか?」


 すると、レイは気後れせず応える。


「ああ、高校の英語の授業で習わなかった? ほら、RAYアールエーワイってスペル書いてレイって読んで、光線って意味の英単語になるって」


「ええと……わかりません。ぼく、まだ中学生なので」


 そんな、背の低く小さな体の黒髪ロング美少女の様相をしたあまねの言葉に、レイは予想外のことを聞いたような驚きの声を上げる。 


「えっ!? まさか見た目だけじゃなくてホントに中学生だったの!?」


「あ、はい。ぼくは今日はこの大学に通うお姉ちゃんと、待ち合わせしてまして……」


 そこで遍は、構内の男たちにナンパされてから一時的にすっかり忘れてた、姉との待ち合わせの約束を思い出す。


「あっ! いけない! レイくん、いま何時!?」


 そんなあまねが高い声で発した、焦り気味な尋ね声を聴いたレイは、上半身に着ている大きめなグレーのパーカーの左の袖口をまくって、皮のベルトで巻かれた腕時計に据えられた手首の内側にあるアナログ盤面を見てから、目の前のゴスロリ少女に時刻を教える。


「え? ……えっと……10時30分を少し過ぎたところかな」


「大変! ぼく、お姉ちゃんとさっきの広場でその時間に待ち合わせしてたのに! お姉ちゃん、もしかしてあの男たちに広場で無理やりナンパされてるかも!」


 あまねがそんな、叫び声にも近い悲痛な声を上げると、レイの顔が引き締まり真剣な顔つきに変わる。


「じゃあ、ボクもキミと一緒にさっきの場所にいくよ。ボクは速足で向かうから後ろからついてきて」


 そして、先ほどの円い建物の入り口が面した広場に、レイが、そして少し遅れて遍がビルの間の小路を抜け到達する。


 そこには、学園祭を楽しんでいる若いカップルが大勢いて、先ほどあまねが遭遇したようなナンパ男の姿の影形は既になかった。


 それと同時に、あまねの姉である利愛りあの姿も見受けられなかった。


 あまねが広場で、ポシェットから愛用の黄色いシリコンケースに収まったスマートフォンを取り出してロックを解除し、日本で広く普及している代表的なコミュニケーションアプリであるVINEヴァインを開いてみると、姉から何やら通知が来ているようであった。


 そしてそのメッセージボックスを開いたあまねは、姉の利愛りあからこんなメッセージが届いているのがわかった。


『ちょっと、友達が貧血で倒れちゃったから一緒に病院行かなきゃいけなくなった。待ち合わせ時間、正午に変更』


 あまねは、そのメッセージに胸を撫で下ろす。


 ――よかったー。


 そんなことを思ったあまねは、自分のうっかりで招き寄せた出来事に、律儀に付き合ってくれて近くに控えてくれているレイに振り返り、無事トラブルになりそうな事態は終息したことを伝える。


「お姉ちゃん、なんだか用事で遅れるみたいです。待ち合わせ時間、正午に変更だって送ってきてました」


 そう、あまねが近くにいる少年に伝えると、レイは表情が綻んで明るく言葉を発する。


「そっか! それならいいんだけど」


 ところがそこで、あまねは少し表情が暗くなる。


「でも、あと1時間半近く暇な時間ができちゃったな……どうしよう……」


 そんな、美少女としての憂い顔を見せてあまねが呟くと、レイが泰然たいぜんとした表情でこんなことを明るい声で提案する。


「あっ! じゃあもし嫌じゃなかったらボクと一緒に学園祭回る? ボクもこの大学の学生じゃないからそんなに詳しいって訳じゃないけど、それなりにこのキャンパスのことは知ってるから案内はできるよ!?」


「え……いいんですか?」


「いいって、いいって! キミが中学生の女の子だってわかった以上、ボクもキミのこと放っとけなくなったしさ! 良かったら12時まで二人で一緒にお祭りを楽しもうよ!」


 そんなことを、先ほど表徴ひょうちょうされたレイの正義感を感じていたあまねは自分でも気づかずに少し頬を赤らめ、嬉しそうな表情で上目遣いに見上げつつお淑やかな仕草を見せて、母親に教えられたように女の子らしい口調でレイに返す。


「はい……それでしたら……しばらくの間、ぼくとのデートをよろしくお願いします。どうかお手柔らかに、優しくエスコートしてくださいね」


「ああ、もちろん。こちらこそよろしく。でもボクはまだキミの名前知らないからさ。キミのことを、ボクは何て呼べばいいかな?」


「えっと……本名はしばらく秘密で。とりあえずはレイくんが僕のために考えてくれたヒカリ、でお願いします」


 そんなことを少女らしい控えめな声色を使って照れた顔で返す、本当は少年であるゴスロリ美少女のような外見をしたあまね


 心があると昔から言われている、小さな体の奥深くから自然と湧いてくる胸の高鳴りが、本人のどのような根源的な感情に由来するものか、自分自身にはまだわかっていなかった。



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