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Chap.2

Ep.19 もろもろの問題と疑問


 あまねとレイが夜の公園にてお互いに本当の性別を明かしたうえで、改めて友達としての関係を構築してから、既に数日が経過していた。


 あまねの頭の中には、手を差し出してきたレイの姿が、まだ昨日のことのように脳裏に焼きついている。けれど今日はそれよりももっと現実的な問題――姉に真実を話す、というミッションが待ち構えていた。


「で、あの背の高いイケメンの男の子のようにしか見えなかったレイくんって子が、実は鳥神とりかみ教授の一人息子さんでなくって、高校生の娘さんで本当は女の子だった……ってわけね」


 平日の大学の講義が終わってから自宅に戻り、母親の作ってくれた夕食を取ってからリビングのソファーに座っていた姉は、それぞれ葉をつけたオリーブ枝とオーク枝が交差しているような柄が入った、愛用のコーヒーカップを手に持ちつつそんなことを言う。


 ダイニングキッチンへと繋がっている、この壁際に小さなオルガンが置いてある伊原いはら家のリビングには、利愛りあの毎日の夕食後の嗜みとしての、たっぷりの砂糖が入ったエスプレッソの心地よい香りがどことなく広がっている。


 中学生のような小さな体ではあるものの正真正銘の名門私立大学の女子大生であり、利発な成人女性の姉である利愛りあは、そのかけた眼鏡の丸いレンズの向こう側にある目で、低いテーブルを挟んで向かい側のソファーに頼りなさげに足を閉じて座っている、いつも通りの男の子の姿をしている度の強い眼鏡をかけた弟をしっかりと見つめ、真剣に話を聞いていた。


 半ば信じられないような表情を見せてはいるものの、相変わらず理性的なトーンを崩さない。その予想外な事が起こっても動じない理知的な様子に、やっぱり、お姉ちゃんはどんな信じられないような事が起こっても冷静に対処できるんだな、とあまねは思っていた。


 だいたいのことのあらましを示した――とはいっても、夜の公園であまねの身に降りかかりそうになった、家族をいたずらに心配させるようなことに関しての詳細は省いたが――あまねの説明を聞いて、姉の利愛りあは納得したようであった。


 そして、あまねが女装しているときの様子にそっくりな長い黒髪を後ろに伸ばした利愛りあは、テーブルを挟んで向かい側のソファーに座っている弟に、凛とした表情になって尋ねかける。


「ってことは、そのレイくんっていう男の子のように見える女の子……レイちゃんと、女装して女の子のようにしか見えなかったまーちゃんが、改めて友達同士として付き合うようになって――まーちゃんはどう、なの?」


 そんな尋ねかけを聞いて、先ほどまで下を向いていた弟のあまねは、その肩くらいまであるボブカットヘアーの黒髪を揺らしつつ顔を上げて口を開く。


「……どう、って何が?」


「男の子と女の子の異性同士の友達として付き合うの? それとも、会ってすぐのように、お互いに同性であるかのように相手に接するの? その辺りのまーちゃんの指針を教えてくれない?」


 あまねは戸惑った。あまねにとって、レイはレイであり、同性とか異性とかそういうのは関係なく友達でいたいと思っていたためであった。


「えーっと……あんまり、そういうのは意識してないかな。ぼくが男の子で、レイくんが女の子でもお互いに仲の良い友達関係をずっと続けられたらいいなぁ、って思ってるだけで……」


 あまねが再び下を向いて照れ気味な口調でそう言うと、姉の利愛りあはぴしゃりとそれを否定した。


「駄目よ」


「な、なんで?」


「だってさ、お互いに同性同士の友達だったら例えばコミュニケーションのひとつとして相手の体を触るようなスキンシップとか、相手の性別特有のデリケートな部分に関わるような会話とか、流石にゼロじゃないけどそんなに気にしなくてもいい訳じゃない」


 あまねは姉にそう言われて、レイと初めて学園祭で会った時、いくらナンパされて困っていたとはいえ女の子のようにしか見えなかった自分に対して、あの少年のような風貌の見知らぬ相手がごく自然体に、初対面の自分の両方の肩を後ろから両手で掴んできたことを思い出した。


 あとから考えれば、あれは女の子が女の子に対してする行動だったのだから、なにも後ろめたい様子は見せず自然な流れで肩に触れてきたのは、ある意味当然といえば当然の態度だったということを、あまねはここにきて改めて自覚する。


 あまねがそんなことを思っていると、姉の利愛りあはその手に持つ二種類の植物の枝葉の文様が入ったお気に入りのコーヒーカップで、食後の甘いエスプレッソを軽く啜ってから、再び落ち着いた口調で、しかし引き締まった声で目の前の弟に告げる。


「でも今後は、最初にお互いがそう思ってた”同性同士の友達”じゃなくって“異性としての友達”になるんでしょ? だったら、節度とか距離感とか、ちゃんと異性であるっての弁えた上で意識しなきゃ。お互いに良い関係を保ちあえる友達って、そういう風にお互いに触れても良いところ、踏み込んじゃダメなところをきっちり意識して区別して気遣うもんよ?」


 そんな中学生のような小さな外見にもかかわらず、いつものように凛とした顔を見せる成人した姉の含蓄ある言葉に、あまねは今までの自分の認識の甘さにどことなく落ち込みつつも、そんな頼りになる言葉をかけてくれる存在が傍にいるという事実になんとなく安心感を覚える。


 そして、エスプレッソを飲み干してテーブルの上の小皿にカップを置いた姉がこんなことを尋ねる。


 「っていうかさ、そのレイちゃんも、まーちゃんが男の子だったって知ってから連絡とかは来たの?」


 「うん、さっき……これ」


 あまねはすぐ近くに置いてあったスマホを持ち、ロックを外し、コミュニケーションアプリであるVINEヴァインにさきほど届いたばかりのメッセージを見せる。


『今度の日曜日、女の子モードのままでバスケの練習試合、見に来てくれない?』


 そのメッセージを見て、利愛りあは不思議そうな口調で尋ねる。


「……女の子モードで、って。つまりまーちゃんに、女装をした上で試合を見に来てほしいってことよね?」


「……そうなるよね」


 あまねがそう返事をすると、利愛りあはソファーに座ったまま頬杖をついて考え込んだ。頬杖をついて考えるのは、利愛りあが何か深い思索をするときの癖であった。


 そして、しばしの間の後に利愛りあが口を開く。


「なるほどねぇ。つまり、あのレイちゃんっていうイケメンの男の子にしか見えない女の子は、男の子の格好をしている普段のまーちゃんとじゃなくって、女の子の格好をしている“あまねちゃん”のままで会いたいんだ?」


「うん……そういうことになる、かな」


 またしばらく利愛りあは、ソファーに座りつつ頬杖をついたまま何かを考えてるようなそぶりを見せ、静寂の後に口を開き、こんなことを呟く。


「……もしかして、そのレイちゃんって子、いわゆる百合乙女っていわれている属性の子で……生まれつきの肉体の性別的には女の子だけど恋愛対象としては同じ女の子が好きなんじゃないの?」


「え!?」


 あまりにも予想外な姉の言及に、あまねは目を丸くして変な声を出してしまった。


 姉の利愛りあは言葉を続ける。


「だって、いくら長身でスリムで見た目が男の子っぽいっていっても、正真正銘の女子高生の女の子ならメイクしたり着飾ったりとかしたりして、もっと長身の女の子に似合うような可愛らしいガーリーな感じの格好とかいくらでもできる訳じゃない。女の子だけど、女の子にモテるために敢えてそういう男の子っぽい格好を普段からしているって可能性も存分に考えられるわよ」


「た……たしかに。その可能性は、全然考えなかったけど……」


 あまねは、動揺していた。


 その動揺がどこから来るものかあまねはまだ知らなかったが、確かに動揺していた。


 しかし、あまねが改めて考えてみれば、あのミホシという少女がレイのことを慕っていた様子からしてそういうことであったとしても何もおかしくはないと改めて考え直した。


 それでもあまねは、あの夜の公園で優しく自分との友情を再確認してくれたレイとの関係は続けたかった。


 そう思ったあまねは自分の部屋に戻ってから、コミュニケーションアプリであるVINEヴァインにて、次の日曜日に女装してレイのバスケットボールの試合を見に行く、という内容のメッセージを送ったのであった。


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