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Ep.20 在るものと本質について


 レイに誘われたバスケットボールの練習試合がある11月の末日である日曜日の朝。レイの要望通り、女の子モードの装いで可愛く着飾ったあまねはリビングのクローゼット近くにある全身が映る鏡の前で一度、深く深く気持ちを落ち着けようとするかのように深呼吸をした。


 女の子らしく見えるかどうか、ではなく――あのとき、レイが差し出してくれた手に応えるために、この可愛らしく化けた自分のままで不自然さもなく、胸を張って応援に行けるかどうかを確認するように。


 艶のある黒髪が長く伸びたウィッグを装着し、そのウィッグが外れないように弾力のある赤色のヘアカチューシャを着ける。細身の体には姉と一緒に買った秋物コーデのブラウスとスカート、そして小物入れとしての肩掛けの小さなバッグ。そして度の強い眼鏡はもちろん外して、生まれつきの大きく円い瞳が目立つようコンタクトを装着し、どこからどう見ても黒髪ロングの華奢な美少女の様相になっていた。


 都庁職員の旦那と結婚して子供を産む前には、一流のコスプレイヤーとして活動していた母親直伝の女の子らしいナチュラルメイクもしっかりと施して、あの夜の公園での「あまねちゃん」に近い姿で、レイの所属する部活動でのバスケットボールの練習試合が行われているはずの、市内にある市民総合体育館へと向かうことになった。


 この家にはガレージがあるので、近所の人からは見えない格好で母親の運転する車に乗り込むことができ、そしてバスの発着場がある駅まで連れて行ってもらう。


 その駅前ロータリー広場からバスに乗って、降りる際には交通系ICの電子マネーカードを使って料金を精算して、午前10時を少しばかり過ぎたくらいの時間帯に、レイがバスケットボールの試合会場となっていると教えてくれた、すぐ近くに野球場やサッカー場、陸上グラウンドなどが隣接されている大きな建物である市内の市民総合体育館へと到着した。


 あまねは、幼馴染の男友達である大諦ひろあきの空手の試合を見に行ったことはあったが、このように女友達のために女子バスケットボールの試合を見に行く、という経験は初めてであった。


 レイがメッセージアプリで送ってきてくれた内容によると、バスケットボールの練習試合開始は午前9時過ぎから。そして、80分から90分くらいの試合時間を経て、だいたい10時半くらいにはひと試合が終わるはず、とのことであった。


 確かにバスケの試合が行われていると確認してから、その大きな建物である市民総合体育館に入っていったあまねは、二階席の観客席へと足を運ぶ。階段を上がると、屋内ランニング走路となっているのであろう回廊があり、下の方にて試合が行われているメインアリーナを見下ろすことができるようであった。


 バスケ特有のシューズがワックスをかけた床に鳴る音と、笛の音と、ボールの弾む乾いた音が響いていた。すでにいくつかの試合が同時に進行中で、コートではバスケットボールのユニフォームを着た活発な女子高生が真剣な眼差しでボールを追いかけ、試合に熱気をもって挑んでいる様子が見て取れた。


 ――レイくん、どこだろ……。


 なんとなくドキドキしながら歩いて、その今日自分をここに誘ってくれた相手を探そうとしていた美少女のような様相のあまねは、二階からのメインアリーナを望むことができる椅子が段差状に並んだ観客席の最前列近くに、どこかで見た姿を見つけた。


 茶色の髪を短いショートのツインテールにし、左右のテールヘアーの根本にはそれぞれ赤色と青色の布で織られたリボンを結び、頭には黄金色の真鍮しんちゅうのような金属でできた星形の髪飾りをつけた低身長なのにグラマラスな少女――ミホシと呼ばれた少女であった。


 ミホシと呼ばれた少女は前のめりになって手すり越しにコートを見下ろしている。その眼差しは、真剣で、鋭くて、どこか崇敬の感情さえ滲むようなものだった。


 ――あの娘がいるってことは、当然その視線の先には――


 あまねはその少女の視線の先へと目線をやる。


 そこにいたのは、背番号「50」のバスケットボール特有のユニフォームを着た一人の選手。長身で、スラリとしたシルエット。肩くらいまであるセミショートカットの明るい色の髪が跳ねるたびに汗が光る。その活き活きとしたアウトラインはエネルギッシュさに充ち溢れた様子で俊敏に走り、フェイントを入れてディフェンダーをかわし、自然な流れでスリーポイントラインの外からのシュート体勢に入る。


 シュッ


 レイがジャンプしつつ、その手から軽やかに放たれたボールが、高く、美しい弧を描く。


 パスッ 


 そのボールは、まるで最初からその軌道を描くのが予め定められていたかのように、軽やかな音を出して網を抜け、リングをノータッチで貫いた。


 レイは、まだ高校一年生の女子高生ではあったが、バスケットボールの試合における選手としてなくてはならないエースのような存在、というのはその対戦の様子から明らかであった。


「ゼロくーん!」

「ゼロさまー!」

「王子―!」


 二階席の別方向から、華麗にスリーポイントシュートを決めたレイに対して一斉に黄色い歓声が上がった。以前にハンバーガーショップで見たことのある女の子たち数名を含んだ女子集団が、手作りのうちわを掲げて、熱狂的に声援を送っている。


 ――す、すごい人気……。


 あまねはその熱量に圧倒されながらも、その女子集団が注目している試合の中心にいる人物――鳥神とりかみレイの姿を目で追いかけた。


 ピーーーー!


 バスケットボールの審判による笛が鳴って、一瞬だけ試合の進行が止まったその瞬間、コートの中にいたレイがその16歳の女子高生というには余りにも引き締まった精悍な顔をふと上げ、まるで導かれるように二階席のあまねの方を見上げる。そして一拍置いて――手を掲げつつふわりと、笑顔を浮かべ呼びかけた。


あまねちゃーん! 来てくれてありがとー!」


 その高くも低くもない、中性的な声は体育館中に響いた。


 試合中のいきなりの呼びかけに、あまねは驚いたが少しだけ頬を赤らめつつ、笑顔になって手を振り返す。


 そして、再びバスケットボールの試合進行が開始する。


 ほんの一瞬の出来事であったが、この体育館で行われている試合に対しての、二階の観客席の空気を変えるには充分すぎるイベントであった。


 ミホシと呼ばれていたあまねよりも少しだけ低身長な少女が、アーモンド形の目を向けてその黒髪ロングの美少女の存在に気付いて近寄り、着ている白いカジュアルウェアのトップスの下で膨らませたスタイルのいい大きな胸を恥ずかしげもなく大迫力で近づけつつ、血気盛んな表情になって怒りの混ざった口調で詰め寄る。


「なんでアンタがここにいんのよ!? しかも、レイさんに名前まで呼ばれちゃって!?」


「え……えーっと……今日、ここに来て欲しいってレイくんに言われて……」


 同い年くらいの女の子に顔が触れ合うくらいの距離まで接近され、同じくらいの年齢の少女のはずなのにまるで母性の象徴であるかのように大きく膨らんだ胸を、冴えない男子中学生として暮らしている日々の生活ではありえないほど近づけられていたあまねは、パッドで少女っぽく膨らませた胸の内にある心臓をドキドキと鳴らしつつ、照れながら恐々と返答する。


 次の瞬間には、どこからともなく数人の女子高生――先週のレイとのデートの最中にハンバーガーショップで会った見覚えのある女子高生や、そうでない女子高生数名――が、わらわらと集まってきた。


「さっきのゼロくんに名前呼ばれてた子? 先週、一緒にデートしてた子だよね?」

「え、このすっごいかわいくない? 後輩? 中学生?」

「ねぇねぇ! 王子とどこで知り合ったの!? 試合中に名前呼ばれるなんてうらやましー!」


 いつもの男子としての生活ではまず考えられない、女子高生に囲まれ、相次いで声をかけられる、というシチュエーションにあまねは戸惑う。


 女子高生のような十代の女子特有の、年頃の少女の発するような甘い香りに囲まれるも、興味深そうな視線を一身に向けられ、質問攻めにあっている逃げ場のないあまねの心境は複雑であった。


 あまねがなんとかなんとか、男の子であることがバレないようにしながら、レイのファンであることが明らかな女子集団の質問に答えていると、試合終了のブザーが鳴った。どうやら、レイの所属する私立来栖くるす高校の勝ちで終わった様であった。


 会場に歓声と拍手が湧き起こり、コートの上でレイがチームメイトの女子バスケットボール選手と軽くハイタッチを交わす姿が見えた。


 レイを含んだ女子バスケ部の選手や控えのメンバーがコートにて対戦相手のチーム全員とお互いに向かい合って一列に並び、試合後の礼儀としてお互いに礼を交わす。


 それから間もなく、汗を拭くためのタオルを首にかけたレイが、バスケットボールのユニフォームを着たまま、あまねやレイを応援していた女子集団のいる二階の観客席へと上がってきた。


 汗を拭ったばかりの顔で、でも疲れた様子もなく軽やかに近づいてくる。


あまねちゃん、お待たせ! ボクの勇士どうだった?」


 そんなことを爽やかな面持ちで言われ、女子集団に囲まれたあまねはそのソプラノ調の少女らしい可愛らしい声で、お淑やかな少女らしい仕草で両手を前で合わせつつ、長らく待っていた存在がようやく降り立ってきたかのような喜びに充ちた笑顔で応える。


「ハイ! レイくん、とっても格好良かったです!」


 そして当然のごとく、周囲の女子たちの間にざわめきが走る。


「ねぇねぇゼロくんゼロくん! この女の子とどういう関係?」


 先陣を切った女子が好奇心に溢れた様子でキラキラと目を輝かせつつそう尋ねると、既にあまねのすぐ傍に近づいていた美少年のようなスポーツ美少女のレイは、ゆっくりと、しかし力強くあまねの肩を片手で抱きつつ、大切な存在を扱うように丁寧に引き寄せてこんなことをさらりと宣言した。


「ああ、ここにいる皆に紹介するね。この子は今のボクにとってのステディとしての友達だよ」


 すると、女子集団は「キャー!」と、いかにも年頃の女子高生が感情に任せて発するような、興奮した黄色い叫声を相次いで上げる。


 しかし、すぐ傍にいる頭一つ分身長が高い少女であるレイに、肩を抱かれていた当の本人であるあまねはその言葉に目を丸くし、きょとんとしていた。


 ――へ? ステディ? どういう意味?


 まだ中学二年生で高校レベルの英語を学習していないあまねにとって、その耳慣れない英単語の意味はわからなかった。


 ただ、なんとなく本質的に仲の良い者同士の深い関係を表す言葉だろうな、ということは容易に想像がついた。


 先ほどから、ミホシと呼ばれた茶髪ショートツインテの少女が、少し離れた所から物凄い表情で、レイと姉妹のように密着しているあまねのことをそのアーモンド形の目を細めて睨んでいたからであった。


――ミホシさんが見てる。


 その時の、まるで天の女王様が地面を這う下僕を睨みつけるかのような視線を感じていたあまねの、戦々恐々とした心的内情を知る者は、今この場には本人の他には誰もいなかった。



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