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Ep.22 霊性の飢餓

 レイが第二試合へと向かってコートへと歩いていった後で、喉が渇いていたあまねはここに来るまでにバスに乗るために料金の精算用として使った、交通系IC電子マネーカードで、自動販売機のジュースを買うことにした。


 リンゴジュースのボタンを押し、ICカードのブランド名を選び、その電子マネーカードをタッチ部分に触れさせる。


 ピッ ガコン


 電子音が鳴り響き、支払いが完了してペットボトルジュースが下に落ちる音がしたと思ったら、自動販売機の前面にあるランプの点滅が移動し、なにやらピロピロと音が鳴っていた。


 ピロピロピロピロ ピピピピピ


 そのランプの点滅は回転し、当たりのマークで止まった。どうやら、オマケとして当たりが出てもう一本選べるようであった。


 ――当たっちゃった。


 ――えーっと、どれにしよっかな。


 美少女姿ではあるものの中身は男子中学生のあまねが、自動販売機のボタンの前で指を惑わせていると、どこからか伸びてきた小さな手が後ろからあまねの左の肩にかけられ、年頃の少女特有のボリューム感ある魅惑的な膨らみが背中にあたり、弾力をもってあまねにその実感をもたらす。


 むにゅり


 ――え? この感覚ってもしかして。


 中学二年生でまだ13歳のあまねにとっては、その今まさに背中に押し付けられている、年頃の男子が求めてやまない女性っぽさに充ちた柔らかな感触の記憶は、幼児の時の母親のもの以外には知らなかった。


 ピッ ガコン


 後ろからあまねの左肩を掴んだ少女――ミホシと呼ばれていた赤と青の布で織られたリボンを結った茶髪ショートツインテの少女が、その低身長な身体には似つかわしくない大きく膨らんだ巨乳を、着ているカジュアルな白いトップス越しにあまねの背中に押し付けつつ、その右手の指先をあまねの肩越しに前方に伸ばして当たりの出た自動販売機のイチゴミルクのボタンを押したのであった。


 ――ってえええ!? いきなり胸押し付けてきて何してんの!?


 そう思ったあまねは、後ろからいきなり接近してきてその大きな胸を押し付けてきた少女から、慌てて焦り顔で離れる。


 自動販売機の取り出し口から、350ミリリットルの小さなペットボトルジュースを二本、リンゴジュースとイチゴミルクを取り出したその頭に真鍮のような星形の髪飾りをつけた低身長な少女は、目の前にいて顔を赤くしていたあまねに、先ほどの行儀の良い様子を見せていたレイとは対照的に無作法にぽいっとリンゴジュースの方のペットボトルを投げる。


「ほら、こっちアンタの分」


 そんなことを言われつつ、こういう場面に慣れていなかったあまねは焦りながらも、投げられて宙を舞ったペットボトルを、落としそうになりながらもなんとか両手でキャッチする。


「うわっ! ……え、えーと……。確か、ミホシさん?」


 戸惑いながら、投げられたリンゴジュースのペットボトルを手で落とさないように確保できたあまねはどうにかこうにか、顔を赤くしながらそんな反応を返す。


 すると、ミホシと呼ばれた茶髪ショートツインテの少女は、イチゴミルクのピンク色の清涼飲料水が入ったペットボトルを片手で持ちながら、そのアーモンドのような形の良い瞳でジト目を向けながら言い放つ。


「そうよ、ワタシの名前覚えてたんだアンタ。っていうか、なーに後ずさってんのよ? そんなに驚いた?」


「え……えっと……その……ぼく、いきなり背中に女の子の胸を押しつけられるとか予想してなかったので……」


 さきほど、同い年くらいの女子の大きなおっぱいを背中に押し付けられるという、その人生において類例のない経験をしたあまねが、まるで本物の少女らしいお淑やかな仕草で両手を全面で合わせて照れつつそう言うと、ミホシはまたもやムッとした表情を見せた。


「はぁ!? 同じ女の子に胸押し付けられるとか、たかがそれくらいのことでなーに女の子同士で恥ずかしがってんのよ? それとも可愛い子ぶってんの?」


 その目の前の少女のぶっきらぼうな言葉遣いに、あまねは改めて自覚する。


 ――そうだ。いまのぼくは、女の子としてここにいるんだった。


 そんなことをあまねが思っていると、ミホシという少女が片手に蓋が閉まったままのペットボトル飲料を持ちながら、両腰に両手を当てる格好になって肘を張りつつ、前傾姿勢になって迫ってくる。


 身長153センチメートルのあまねよりほんの5センチばかり背が低い、150センチメートルを切るような低身長な少女であるミホシは、ほんの数センチメートルだけ上に顔がある恋のライバルとしか認識していないような目の前の相手に対し、猫が敵を威嚇するかのような怒り顔のまま前のめりになって啖呵を切ってくる。


「ま、そんなことはどうでもいいけど! なんでレイお姉さまがステディとしての友達ってみんなの前で宣言したのがよりにもよってアンタなのよ! ワタシはそこが気に入らないの!」


 そんな勢いよくミホシが言葉を放つも、美少女の見た目をしてはいるものの中身は男子中学生で、別に同性愛の気があるわけでもないあまねは、その視線をミホシの顔のすぐ下に、男子らしい情動によって誘導されざるをえなかった。


 ――なんか、胸の谷間、普通に見えてるんだけど。


 そのミホシの着ている白いトップスの襟元は重力の作用で隙間が開くように垂れ下がり、あまねのすぐ傍で顔を近づけて前のめりになっていたので、姉やレイのような控えめといえる身体的特徴とは大きく異なる、白く艶めかし気な曲線を魅せた大きな胸の谷間が、ありありと形がわかるくらいに接近してあまねの視界の中に納まっていたのである。


 あまねが乙女の魅力的な柔肌を間近で見て内心では男子らしく照れていると、あまねを女の子だと思っているので、そんな心中を知るはずもないミホシは再び一歩下がり、距離を取り、拳を握り締めて心底悔しそうな表情になって、飢餓の苦しみで叫ぶかのような嘆き声を体育館の冷たい廊下に響かせる。


「ワタシにいってくれれば、いつでもレイお姉さまのステディになるのに! ワタシの方がずっとずっと昔っからのお姉さまの仲の良い友達なのに! ただ生まれつきそんな名前で、運が良かっただけのポッと出のアンタなんかに!」


 ――え? 名前?


 そう思ったあまねは、目の前の少女におっかなびっくりとした態度ではあるものの、その真意を問いかけようと試みる。


「あの、名前ってどういう……」


 あまねが小声でそう尋ねかけようとしたところ、ミホシはまったく聞いてない様子で、イチゴミルクのペットボトルを落ちないように脇で挟んでメモ帳を取り出し、手持ちのペンでなにかを書いて破り取り、一枚紙を目の前に差し出して渡そうとしてきた。


「ハイ! これワタシの連絡先! どちらがお姉さまのステディにふさわしいか勝負を申し込むわ!」


「……そんな、少女漫画のノリで決闘申し込むのって普通なの?」


 何やら紙切れを差し出された、年頃の女子中高生の生態にあまり詳しくないあまねは思わず素に戻り、突っ込んでいた。


「うっさい! いいから受け取りなさい!」


 そんな怒鳴り声を目の前のショートツインテの少女にかけられて、あまねが受け取ったその紙片を見ると、乙女チックな雰囲気を漂わせるうっすらピンク色の紙に、上下にハートや羽の生えた天使、デフォルメされた犬やウサギなどの動物のマークが並んでいるような、いかにも年頃の女子中高生がファンシーショップで買うようなメモ帳のペラであることがわかる。


 ――レイくんとは違って、ミホシさんは女の子らしくすごく乙女チックなんだ。


 ――でも、女の子であるレイくんに対するあの態度って、やっぱり――


 ――このミホシさんって娘、お姉ちゃんが言ってたような女の子が好きな女の子。


 ――つまり、正真正銘の百合乙女って属性なんだろうね。


 そんなことを心の中で再認識したあまねは、そのメモ帳のペラに書いている数字の羅列――携帯電話の番号、と漢字五文字で書かれた目の前の少女の名前を確認する。


 そこには、目の前のショートツインテの少女の名前が、手書きでこう書かれていた。


『早乙女 海星』


 その、ミホシという名前がどんな漢字で書かれるかを知ったあまねは、自然と口が開いて呟く。


うみの……ほし? こう書いてミホシ?」


 すると目の前の、頭に真鍮のような黄金色をした金属でできた星形の髪飾りをつけた少女が、なんとなく自慢げな顔つきになって、脇に挟んでいたペットボトルを持ちなおした方でない側の手を、母性の象徴であるかのごとく豊かに膨らんだ自らの胸に押し当てつつ、意気揚々と言い放つ。


「そう! 海の星と書いて海星みほし! レイお姉さまによると、ラテン語だとステラ・マリスって表現されて、海を征く旅人たちを導く聖なる星の意味もあるそうよ? この純潔無垢な乙女であるワタシにぴったりな素敵な名前でしょ?」


 そんな自信満々な口ぶりに、漢字の読みに詳しいあまねは余計な突っ込みを入れる。


「……海星ヒトデと同じ?」

「ヒトデって言うなっ!!」


 あまねが海に住む五芒星の形をした棘皮動物の名称を出すと、海星は頭に血管を浮かばせて大声で叫んだ。


 そして、六日後の次の土曜日に乙女の意地をかけて勝負、ということになったのである。


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