二十枚の形代と除霊の護符を手に、莉緒は裏庭に漂う怨霊の塊を前にして躊躇する。操れるようになったと言っても、紙人形達を揃って行進させるくらいしかやったことがない。それぞれに違う動きをさせるなんてぶっつけ本番で出来るとは思えない、というか全く自信がない。
「うぅ……、私には無理だってぇ、二十枚をバラバラに操るとか……聖徳太子でさえ十人同時が限界なのに」
人の話を聞くのと形代の操作はまた別な気もするが、意識を割り振るという意味では似たようなもんだろう。弱音を吐く莉緒に、猫又ミヤビが丸い頭を傾げる。
「なんや、お嬢ちゃんはご丁寧に一枚ずつ命令してたんか?」
「え、そうじゃないの?」
「当たり前やん。それやったら何百枚も操ってた先祖はどないやねんって話になるわ。形代は使役者の目と手や。いちいち両手に向かって、どう動けって考えたりしてへんやろ?」
――ってことは、つまり……?
莉緒は半信半疑なまま、右手の二本の指に挟んで持っていた人形代を前に向かって投げてみる。指から離れた紙人形達は重なっていた順を保ちつつ、整然と並んで飛び立っていく。これまでの莉緒はその一枚一枚に向かって、「これは真っ直ぐ動く」「これはその隣で同じ動きをする」などといった細かい指示を出していた。けれど今は「ぐるりと敷地を囲む」という一点を頭に描いただけだ。そして、形代は使役者の指示を的確に再現する為に、まるで意思あるもののように飛んでいる。ただの紙なのに不思議だが、自分の手足の延長だと思えば腑に落ちる。
「扱い方、ようやく分かった気がする」
「うん、お嬢ちゃんは素質あるわ。ボンの娘にしてはなかなか。隔世遺伝ってやつなんか?」
隔世ということは、祖父か祖母に紙使いの才があったんだろうか? それとも、もう顔も覚えていない母も祓い屋の血筋だったんだろうか? 父はそう言った話を一切してくれたことがないから分からないが。
藤倉家の敷地を土壁の塀に沿って紙人形で囲い込むと、莉緒は左手に持っていた護符を頭の上に掲げる。そして、ミヤビに教わったばかりの文言を紙人形達に向かって唱えた。
「――これより藤倉の名をもって、悪しきものを祓い清める『悪霊退散』――」
莉緒の言葉に反応するよう、二十枚の紙人形から白い光が放たれる。それは敷地全体に黒い霧のように漂っている怨霊達をふわりと包み込んでいく。紅葉周辺のどす黒く重い空気が、じわじわと薄れていくのを、莉緒は呆然と眺めていた。自分の力で人ならざるものがこの世から消滅していく。何かを祓ったのは生まれて初めてだったのに、こんなに上手くいくとは思ってなかった。祓いの力とはこんなに呆気ないものだったんだろうかと放心する。
自分の中に流れる祓い屋の血が、少しばかり怖くなった。
しばらくして、莉緒が手に持つ除霊の護符も、力尽きた形代も、どちらも白い灰となってパラパラと風に吹かれてどこかへと消えていく。ふうっと深い息が無意識に漏れ出る。
「残りはまあ、その内どっかへ行くやろうけど……」
「うむ、後は私が引き受けてやろう」
完全に祓い切れた訳ではなかったようで、まだ庭の片隅に漂っているものを妖狐が踏み倒して回っている。家鳴りも消えて静かになっていることに、莉緒はホッと安堵の溜め息をもう一度漏らす。とりあえず住む場所が無くならずに済んで良かった。
と同時に、膝から急に力が抜け落ち、ぺたりと地面にしゃがみ込んでしまった。紙人形を操作する練習をしていた時にも何度かあったが、そういう時はしばらく後には平気になった。けれど、今日はちっとも起き上がることができない。
「力を使い慣れてないんやし、しゃーない」
そう言うと、黒猫がくるりと宙返りして、着物の女性へと姿を変える。そして、莉緒の前で背を向けて「ほらほら」と腕をヒラヒラさせてくる。おんぶをしてくれるつもりらしい。
腕を伸ばし肩にしがみいた莉緒のことをミヤビはひょいと軽々と背負って、そのまま家の中まで運び入れてくれた。「身体が温まったら、ぐっすり眠れるようになるやろ」と言いつつ渡されたマグカップには、蜂蜜入りのホットミルク。ほんのり甘くて優しい味に、無意識に高揚していた気分がじわじわ落ち着いていく。
しばらくして、遅れて戻ってきた妖狐が愛用の座布団の上で九尾を身体に巻き付けるようにして丸くなる。いつの間にか黒猫の姿に戻ったミヤビは前足を使って毛繕いを始めていた。二体の平和な姿を眺めている内、徐々に眠気が蘇ってくるようだった。
壁掛けの時計を見上げると、時刻は丁度二時を過ぎたところ。まさに丑三つ時になっていた。もしこの時刻までにあの木札を処理できていなかったら、このボロ屋敷はペシャンコになっていたかもしれない。と同時に、そんな危険な状況だったのに一度も起きてこない能天気な父親のことが恨めしい。
木札に書かれていた『お札製造所』という文字から、嫌がらせを仕掛けてきているのが同業の祓い屋だということが明確になった。それに和史なら裏に描かれていた梵字から相手の素性を絞り込めるかもしれない。祓い屋が使う護符には家門ごとの特徴があることが多い。真っ二つに割ってしまった木札は朝一で裏庭から回収してこよう、莉緒はそう考えながら自室へと戻った。
けれど、起床後に確認しに出た莉緒は、あの木札が裏庭から消えていることに気付き、愕然とする。昨夜の騒動に気付いた誰かが、また音も立てず侵入して証拠となるお札を持ち去ってしまったのだ。