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第16話

 犯人不明の嫌がらせが続く中、内職仕事の注文が途絶えた和史は駅前商店街での単発アルバイトの日を増やしたようだった。人手の要る週末が中心で莉緒と顔を合わせる時間は減っていたものの、「花屋の隣の空き店舗、あそこに今度新しくパン屋さんが出来るらしくてね。開店前の機材搬入なんかで男手が居るっていうから、二日ほど手伝うことになったよ」と相変わらずのコミュ力を発揮して知り合いを増やし、何だか楽しそうにしていた。


 あの怨霊騒ぎ以降、屋敷の周辺を妖狐が定期的に見回ってくれるようになったおかげか、敷地内に何かが侵入したり変なモノを投げ込まれたりということは未然に防げている。たまに何かがうろついていても、九尾の狐が青い目を光らせていては並みのあやかしでは近付くこともままならない。天気の良い日には庭先で昼寝したりしているムサシの姿は、まさに最強の番犬――否、番狐だ。


 諦めた者も出てきたのか、同業者からの嫌がらせが落ち着いたと思われた頃。例のごとくミヤビからお遣いを頼まれた物を抱えて莉緒が学校から帰宅した時、居間に設置している固定電話の受話器を片手に父が深刻な顔で固まっていた。通話はちょうど終わったみたいだけれど、電話を置くという動作も忘れて突っ立ったままでいる。


 ――また、お札の注文を断られたのかな……?


 顔色の悪さから言えば、以前よりもさらに良くはない。こう立て続けに取引が切られては商売にもならない。かと言って、代わりに祓いの仕事が来る気配もなく、家計を支えているのはアルバイト収入だけという状態が続いていた。だから、楽天的な和史もそろそろ危機感を覚え始めたのかもしれない。しかも今は、食い扶持も二倍に増えてしまっているのだから。

 莉緒がそんなことを考えていたら、ようやく受話器を元に戻した父親が困惑した表情で頭の後ろを掻きながら告げた。


「今、ムサシの――妖狐の以前の使役者の、親戚だっていう人から電話があった。うちの式神を返してくれって……」


 そう言って、台所の床に設置された水皿でぴちゃぴちゃと音を立てて水を飲んでいる白狐の方へ視線を送る。ムサシもこちらの話をちゃんと聞いているのか、耳だけをピクピクと動かしていた。


「明日の昼過ぎにうちに来るつもりらしい。親戚付き合いを絶っていたせいで、曾お爺さんが亡くなったことを最近知ったんだそうだ」

「え、でも……視える人がいなくなったから、ムサシはあの状態だったんでしょう?」


 認知して貰えなくなり食べる物も与えられず、餓死寸前だったムサシ。飼い犬や飼い猫で言うところの飼育放棄の状態で、契約に縛られたままだから隠り世へ帰ることも出来ず、かと言って居場所も無く、ただ外を彷徨っていた。そのことを知っているからこそ、莉緒は心の中に何かモヤモヤするものを感じるのだ。


「親戚で他に視える人がいたんだったら、式神のことを生前に頼んでおくとか出来なかったのかな……」

「まあ、いろいろあるんだろう。一応、今の契約者はお父さんだって伝えてあるけど、莉緒も一緒に話を聞くつもりでいてくれ」


 本当の契約者は莉緒だ。式神との契約解消が必要な時に備え、明日は家にいるようにと言い聞かせてくる。「分かった」と頷きながらも、莉緒は不安が露わな表情で父と妖狐の顔を交互に見回した。すると、水を飲み終えて居間へと戻って来たムサシが、定位置の座布団の上に座ってから、訝し気に言う。


「いいや、あの一族にはもう視える者などは居らぬはずだ。以前の主の血縁者は全て訪ねて回ったが、誰一人として私の姿を認識できていなかった」

「もう何年も連絡してなかったって言ってたから、親戚の枠から外されてただけじゃないのか?」

「まさか、その程度のことで見落とすことはない。全ての血の繋がりを辿って確認して回ったのだからな」


 先祖代々から続いていた式神契約。国内外問わず、血縁者に使役の力を持つ者は誰もいないとムサシが言い切る。


「じゃあ、明日来る人って? 曾孫っていうのは嘘?」

「さあ、よくは分からんな」


 「曾孫なら全員と対面したはずだがな」と首を傾げてみせるムサシ。


 不信感が募る藤倉家の門をその客人が潜り抜けたのは、昼を大幅に過ぎた午後三時だった。昼過ぎという大雑把な約束時間に縛られたせいで、おちおち買い物にも出られやしないというミヤビの文句で耳にタコが出来る寸前だ。


 玄関の呼び鈴が鳴らされ、出迎えに出たミヤビが客を奥の仏間へ通したのを確認してから、莉緒は父の後ろを付いて襖の向こうへ顔を出す。不安を察してくれているのか、妖狐は莉緒の隣に寄り添って歩き、仏壇の前に座った父との間を陣取り、自分はもうこの家の正式な式神であると誇示するような態度を示していた。


 長机を挟んで向かい合った客達を見て、莉緒は「あ」と短い声を上げた。客人は二人の男性。どちらも三十代後半といったところだったが、向かって左に座っている男の顔に莉緒は見覚えがあった。以前、門の前でスーツ姿でうろついていた不審者だ。今日もあの時と似た黒色のスーツを着ているからすぐに分かった。否、それだけじゃない。彼の後ろに従えている一体のあやかし。おそらく彼の式神だろうそれは、あの晩に木札を裏庭の紅葉に括り付けていった着物のあやかし。頭部はなく、淡い桜色の着物の袖から手だけが飛び出した、小袖の手。あの晩は侵入者の顔がはっきり見えないと思っていたが、元から顔の存在しないあやかしだったから当然だ。


 でも、驚いていたのは和史も同じだった。莉緒が不審者だと思っていた男は父の顔見知りだったらしい。


「灰崎君、今日はどうして君が?」

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