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第18話

 三上が立ち去った後の仏間には、かつてないほどの緊迫した空気が流れていた。幼い頃に莉緒が我が儘を言った時だって、父がここまで怒っているのは見たことがなかった。信頼していた知人に対する絶望と呆れ。


「灰崎君?」


 とても静かなトーンで、和史が客人の名前を呼ぶ。逃げ場なく背後の襖に背を付けながら、目を泳がせた灰崎が顔を強張らせる。彼の企みは三上の捨て台詞でほぼバレてしまったようなもので、言い訳のしようがないのだろう。

 灰崎は結城家の血縁者を探し出し、三上にはお金を渡して連れて来た。おそらく、人ならざるもののことが視えない彼に代わって、自分が妖狐の新たな契約者になるつもりだったんだろう。祓い屋にとって、九尾の狐のような力ある式神は喉から手が出てもおかしくない存在だ。


「……貧乏祓い屋はずっと護符でも作って、落ちぶれたままでいればいいんだ。狐なんて、使いこなせないくせに」


 項垂れて畳に視線を落としながら、灰崎が絞り出すように声を漏らす。膝の上に置かれた手を強く握り締め、吐き捨てるように。思惑が外れたことへの苛立ちが隠しきれていない。


「君は私のことを、そういう風に思っていたのか。残念だけど、うちは一度結んだ縁はよっぽどのことでもない限り、そうそう手放したりはしないよ」


 どんな嫌がらせを仕掛けようが意味が無いと、和史が灰崎へ向けて言い切る。今日のことで、これまでの大半が彼の仕業だと父も気付いたみたいだ。古くからの知り合いだからこそ、和史が蛇嫌いだということを知っていてもおかしくはない。あの晩のマムシの死骸を思い出したのか、父はぶるっと小さく身体を震わせていた。


「ロクな依頼もないくせに……宝の持ち腐れなんだよ」


 畳に向かって、灰崎がブツブツと呟いている。ずっと見下していた相手に上から物を言われる屈辱は、優秀な祓い屋である彼の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。カッと顔を上げた灰崎が、ジャケットのポケットに手を入れて一枚の護符を取り出すと、後ろに従えていた己の式神へ命じる。


「サクラ、あの狐を力尽くで取り押さえろ! 手に入らないのなら、封印してやる!」


 サクラと呼ばれた着物のあやかしが、小袖から長く白い手を伸ばしてムサシへ向かって飛んでくる。妖狐の隣に座っていた莉緒は、桜色の着物がヒラヒラと舞いながら妖狐に襲いかかろうとするのを、茫然としながら見ていた。首元にしがみつこうとする白い腕を、ムサシは頭を振って軽々と振り払う。力の差は歴然で、白狐からすれば虫か何かを追い払っているようなもの。

 けれど、使役者からの命令は絶対だと、何度振り払われても小袖の手はムサシの周りを纏わり続ける。


「ええい、煩わしい!」


 前足を上げて、ムサシが桜柄の着物の胴体を払い飛ばす。長机の向こうへと跳ね退けられたあやかしのことを、灰崎は「チッ」と舌打ちして忌々しいものでも見る目を向けている。自分に従順な式神のことを心配してやる気遣いもない。

 再び起き上がり、妖狐を取り押さえようと伸びる長い腕。


「やめなさい、灰崎君」


 和史の発した制止の言葉に、莉緒は向かいにいる灰崎のことを見る。男は右手に護符を掲げながら、封印の文を唱えようとしていた。ハッと妖狐の方を振り向くと、二体の式神は互いの身体を抑え込もうともつれ合っている。自暴自棄になった灰崎は、自分の式神共々まとめて封印つもりなのだ。そのことに気付き、莉緒はボトムの後ろポケットに忍ばせていた人形代の束を投げた。


 莉緒の手を離れた紙人形達は、護符を持つ灰崎の手に張り付いて、その動きを封じる。まるで包帯がきつく巻かれたように自由の効かなくなった右手。


「くそっ、なんだよ、これ?!」


 灰崎は必死で反対の手で紙人形を剥がそうとするが、一枚剥がせばまた一枚、次々に別の紙が動きを邪魔してくる。ただの紙だから簡単に破けてしまうが、完全に引き裂かれでもしないとその動きは止まらない。もう封印どころじゃないと、半ばパニック状態で紙人形を振り払おうと灰崎がもがく。


「サクラ、さっさとこれを何とかしろ!」


 妖狐に叩き飛ばされ床に転がっていた灰崎の式神が、ヨロヨロと起き上がって灰崎の元へ飛んでいく。頭部の無いあやかしは、今どういう表情をしているのだろうかと、莉緒は密かに胸の痛みを感じた。言葉を交わすことができなくても、彼女にも意思や感情はあるはずだ。契約とは言え、彼のあやかしに対する傲慢な態度は見ていて嫌な気分になる。

 同じことを和史も感じたのだろうか、低い声で客人に向かって告げる。


「灰崎君。私は君のことを優秀な祓い屋だと思っていたけど、どうやら買い被り過ぎだったみたいだ。残念だよ……金輪際、うちとは関わらないでくれるかい」

「ふんっ、お札製造所のくせに」


 自らの式神の手を借りて形代を外し終えた灰崎が、立ち上がってから和史のことを見下ろして吐き捨てる。身体の前で腕を組んだまま、和史は哀れみを浮かべた目で年下の同業者を見上げていた。

 そして、再び灰崎が何かを取り出そうと上着のポケットに手を入れた時、ムサシが咆哮を上げる。


「この場から去れ! お前など、祓い屋の風上にも置けん」


 灰崎と式神の目前に九つの青色の炎が出現し、ゆらゆらと揺らめき始める。九尾の狐が操る、鬼火だ。それらは炎の長さを伸ばしたり縮めたりして、祓い屋達を部屋の外へと追い立てる。逃げるよう慌てて出ていく灰崎の後、桜柄の着物が追いかけて飛んで行く後ろ姿を、莉緒達はハァと長い溜め息を吐き出しながら見送った。


「いろんな嫌がらせがあったけど、全部あの灰崎って人だったのかな?」

「さあ、どうだろうねぇ。お父さん、今回のことで同業者からあまり好かれてないってことだけはよく分かったよ……」


 シュンと肩を落として寂しそうに笑う父に対して、莉緒は「祓い屋なのに祓いの仕事してなかったら当然だよね」という言葉を飲み込んで、「これから挽回していけばいいよ」と慰めた。

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