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第19話・迷子の鬼姫

「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」


 玄関先よりか細い声が聞こえてきたのは、夕ご飯の後にミヤビから護符の扱いについての講義を受けている最中だった。祓いのことに関して消極的な和史は、娘が人形代を操ることでさえあまり良い顔をしない。祓いの仕事を手伝えるように除霊のやり方を教えて欲しいと言っても「莉緒にはまだ早い。せめて高校を卒業してからにしなさい」と先延ばしにされてしまうだけだ。


 ――うちには今、そんな悠長なこと言ってる余裕はないのに……。


 式神が二体もいるのに、いまだに祓いの依頼が来る気配はない。灰崎という人から言われた通り、まさに宝の持ち腐れ状態を保ち続けていた。昔の伝手を辿ってミヤビがいろいろと営業をかけてくれているようだが、なにぶん代替わりしてからの実績は無いに等しく、祓い屋としての信用はゼロ。同業者から仕事を回して貰える気配は皆無だ。だから完全に新規狙いとなれば、試しにSNSを使って宣伝でもしてみた方がいいのかと頭を悩ませていたところだった。


「はーい、すぐに参ります」


 玄関へ向けて声を張り上げてから、ミヤビが来客の対応へと立つ。しばらくの間、遠くに聞こえてくる会話はほぼ猫又のものだけで、客らしき女性の控えめな声は途切れ途切れしか届いて来ない。


「まあ、かくりよの東領から出て来はったんですか?! それは遠いところから――ええ、そうですか、それは大変なことで。うちでお力になれると良いんやけど」


 「ささ、どうぞお上がりになって下さい」とミヤビが廊下を伝って奥の和室へと案内していく足音が聞こえてくる。襖を閉める音と共に、パタパタと走り戻って来た猫又は、顔面をこれでもかとニヤケさせ、興奮気味に莉緒とムサシに向かってドヤってくる。


「来たで来たでー、依頼人や依頼人! ほらほら、何をぼーっとしてるん、さっさと向こう行って話を聞かな!」

「え、依頼って祓いの?! で、でも、お父さんはバイト中だし……」

「そんなん、ボンが留守やったら、お嬢ちゃんが代わりに聞くしかないやろ。うちもお茶淹れたらすぐ顔出すし」


 座布団の上で丸まって寝ていた妖狐も、ミヤビに背中をはたかれて渋々起き上がる。祓いの仕事なら猫又よりは自分の方が適しているという自覚があるのだろうか、莉緒を先導するように居間を出て行く。


「いや、私が行ったところで……」


 言いながらも、父親が不在なら自分が対応するしかないのだろうと、莉緒は諦めて和室の襖へ手を伸ばす。そして、「失礼します」と一声掛けてから開き、思わずパチパチと瞬きを繰り返した。


 仏間の隣にある和室。壁際の床の間に飾られた掛け軸は先祖の誰かの書らしいが、あまりに達筆過ぎて何て書いてあるかは判別不能。畳の上に置かれた一枚板の長机はミヤビの丹念な磨きのおかげで光沢を放っている。その前に敷かれた座布団の上に、小柄な客人がちょこんと座っていた。


 頭の上の小さな耳に、黒く丸い瞳。黒色の毛に覆われた顔面に、茶毛の胴。なのに腹毛は真っ白で、ふさふさの太い尻尾は後ろへと真っ直ぐに伸ばされている。一番特徴的なのは、両前足から伸びる鎌のように長い爪だろうか。座り姿を見る限り、座布団を持て余してはいたが、ミヤビの黒猫姿よりはやや大きいかもしれない。


「えっと……?」


 まさか客が人外だったとは思いもよらず、来訪者の姿に戸惑いを隠せない莉緒に、それは丁寧に頭を下げてきた。意外にも所作の一つ一つに上品さが漂っている。そして、か細い声で自己紹介を始めた。


「お初にお目にかかります。私は東領をご統治される黒鬼様にお仕えしております、カマイタチでございます」

「カマイタチ……」

「はい。特に真名は持ち合わせておりませんので、そのまま種族名でお呼びいただいて構いません」


 唖然と襖の前で突っ立ったままの莉緒のことを、湯呑を乗せた盆を運んで来たミヤビがとりあえず座るようにと背を押してくる。言われるままカマイタチの向かいの座布団に腰を下ろした莉緒の両隣へ、式神達も当たり前のように座っていた。

 状況がいまいち把握できていない莉緒に代わって、ミヤビが客へと話を促す。


「で、ご依頼っていうのは?」

「こちらの世を訪れた後に行方が分からなくなってしまった、三の姫様を探していただきたいのです」

「三の姫様というのは確か、黒鬼様のところの三番目の娘さんのことやったかいな?」

「はい。三の姫様――私達は三華様とお呼びしているのですが。三華様は此度の門が開くタイミングでこちらの世へ出られ、しばらくは私達と共に観光を楽しんでおられたのですが……」

「目を離した隙に逃げられたんやったっけ? なんてお転婆な姫さんや」

「ええ、でも、三華様のお気持ちも分からなくはないのです」


 カマイタチは横に置いていた風呂敷からハンカチらしき布を取り出すと、目元を拭った。


「かくりよでは自由がほとんど無い、とても可哀想なお方なのです。だからと言って、私達も三華様を置いて戻る訳にもいかないのです」

「まあ、そりゃそうやろうなぁ。三の姫様っていったら、近々婚礼を控えてはるって噂やし」


 「そうなんです」と大きく頷き返すカマイタチ。親が決めた政略結婚で、せめて婚姻前の気晴らしにとこちらの世へ出て来た後、従者の隙をついて逃亡してしまったのだという。なかなか行動派なお姫様だ。横で話を聞きながら鬼姫のことを密かに感心しつつ、莉緒はハッと正気に戻って呟いた。


「これって祓い屋の仕事じゃないよね……?」

「何言ってんの、今は依頼を選り好みしてる場合じゃないで!」


 即座にミヤビの叱責が飛んで来た。

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