少し考える素振りを見せた鬼姫だったが、ふっと薄い笑みを漏らした後に、黙って目を伏せた。本当はやりたいことがあるのに、それは言えないとでもいうかのような悲し気な横顔。カマイタチや猫又から聞いた話ではただの我が儘姫という印象を抱いていたけれど、ちょっと違うのかもしれない。ま、従者から逃亡したりと、我が儘でないとは言い切れないけれど……。
「もう少し見て回ったら、ちゃんと戻るから安心せい」
三の姫は再び前を向いて、和史達のちんどん行列がようやく移動し出したのを目で追っていた。周りにいた小さな子供達はその派手な演奏団の後ろを興奮気味に付いていったが、鬼姫はその場を動かず、ただじっと見つめているだけだ。しばらくすると、ちんどん屋の音楽が遠ざかっていき、その人だかりも完全に見えなくなっていく。
これからどうしようかと迷い、莉緒は横にいるムサシへと視線を送る。白犬の姿をした妖狐は、犬っぽく小首を傾げ返してくる。どうやら無案らしい。
もう鬼姫が逃げたりする気配はないし、一応はカマイタチの依頼もこれで完遂したことになるはずだ。莉緒がやるべきことは全て終わった。でも、このあやかし達とこのままお別れする気にはなれない。まだ鬼姫はこの現世での一番の目的を果たしてはいないのだから。
カマイタチから聞いている、三の姫のこの世での望みとは――。
「そうだ、花火! 花火が見える場所に、後で行ってみませんか?」
「なんと、火の華を拝むことができるのか……?!」
「はい。って言っても、実際に上がるのは夜だし、結構距離があるからそこまで近くでは見れないとは思うけど」
「遠くても構わぬ。そうか、火の華……姉さまがおっしゃっていた、花火とやらを目にすることが叶うのか」
家を出る前に問い合わせておいた、ホテルウエディングでの花火の打ち上げ予定は18時頃。スマホで確認しても、時間にはまだまだ余裕がある。なら、それまではこの商店街のお祭りをめいっぱい楽しんで貰おうと、莉緒は鬼姫の手を取って引いた。
「で、今は向こうで着物ショーをやってるらしいんですよ。それを見に行きましょ!」
「着物ショー……?」
今日催されているのは、子供向けの縁日だけじゃない。詩織から聞いた大人向けのイベントだってあるのだ。人化できないあやかしにはスーパーボールすくいも射的も眺めているしかできないけれど、呉服屋主催の和装ファッションショーなら、鬼姫だってきっと見るだけでも楽しめるはずだ。
両手に白犬のリードと鬼姫の手を握って、莉緒はステージのある商店街入口の児童公園へと向かう。カマイタチは急に小走りになった莉緒達の後ろを、トテトテと小さな足で追いかけてくる。さっき莉緒に怒られたことをまだ気にしているのか、とてもおとなしい。
パイプ椅子が並んだ観覧席の後ろで、莉緒は鬼姫と一緒にステージを眺めた。仮設のステージはそれほど広くは無かったし、呉服屋の店員らしき司会者のトークもたどたどしかったけれど、鬼姫は時折「ほぅ」という感嘆の声を漏らしていた。かくりよでは見かけ無い柄と装飾ばかりらしい。特にモデルの頭の髪飾りに興味を示している。犬連れだからと遠慮して会場の隅っこからだったが、着物モデルが澄まし顔で闊歩していくのを鬼姫はキラキラと目を輝かせて見ていた。
落ち着いた訪問着から、最近流行っているというレース仕立ての物まで、着物には全く縁のない莉緒も物珍しくて食い入るようにステージを眺めていた。正直言うと、さっき詩織が振袖を着ていたのを見て、羨ましくなかったと言えば嘘になる。
莉緒には浴衣ですら着せてもらった記憶がない。子供の頃に地元の夏祭りに行けば、同級生達の大半が浴衣でおめかしして、髪も可愛くアレンジして貰っていた。お祭りでも普段通りの洋服だった莉緒は、子供心に密かに劣等感を覚えていた。
「ごめんなぁ、お父さん不器用だからなぁ」
せめて髪の毛くらい編み込んで欲しいと頼んだ莉緒に、父は申し訳なさそうな困惑顔をしていた。父一人娘一人の貧乏祓い屋。自分の家が他所の家とは少し違うということに気付き始めたのは小学校に入るか入らないかの頃だ。
――お母さんの浴衣、ミヤビに頼んだら着せて貰えるかな……?
子供用の物を買って貰うことは無かったけれど、母が残して行った荷物の中には紫陽花柄の浴衣があった。今の莉緒なら着ることができるようになっているはずだ。
成人式用の振袖セットの紹介が終わると、ステージの脇から黒留袖姿のモデルが次々と現れる。華やかだけれどどこか厳かな空気が流れ始めた時、隣から深い溜め息が聞こえてきた。莉緒が振り向き見ると、さっきまで楽しそうにしていたはずの鬼姫が俯き加減になって長い睫毛を下ろしていた。
「三華様?」
莉緒が声を掛けると、三の姫は「何でもない」と首を振ってみせる。ステージ上には留袖姿のモデル達に囲まれるようにして、真っ白な着物を着た女性の姿。和装の結婚衣装――白無垢を着たモデルを見つめている鬼姫の横顔が、莉緒の目にはとても悲し気なものとして映った。
もうすぐ婚姻を控えているという三の姫。婚礼衣装に自らの今後を思い重ねてしまったのだろう。もしかすると彼女自身は、その結婚を望んではいないのだろうか。
――親が決めた政略結婚って言ってたもんね……。
かくりよのことも、あやかしのことも、まだ知らないことの方が多いけれど、かくりよでは東領と西領とで勢力争いをしているというのは式神達から何となく聞いたことがある。東領を統治する黒鬼の娘という立場もいろいろ大変なのだろうと、莉緒は心の中で三の姫のことを同情した。