男児にお化け屋敷と呼ばれた内村邸は、木造の平屋だ。母屋とは別に離れも建ち、敷地内には蔵の他にも物置小屋のようなものまであり、ひと昔前にはかなり栄えていた家だったことが分かる。
解体後にこの場所がどうなるのかまでは張り紙に書かれていなかったけれど、空き屋のまま放置せずに業者を入れるのなら、家人が別のところに新居を構えたか、或いは住人は途絶え、引き継いだ親族により土地が売りに出されるということなのか。
レッスン時間に遅れる言ってバタバタと忙しなく去って行った男の子は、この屋敷にはお化けが出ると言っていた。視えない者にとって、あやかしも幽霊もたいして変わらない。得体の知れない視えないものとして一括りにされてしまう。
妖狐の話ではこの屋敷にはまだ何らかのあやかしが住み着いたままみたいで、きっとそれが噂のお化けの正体なんだろう。
もう一度敷地内を覗こうとした莉緒だったが、退屈した白犬にリードを引いて急かされ、慌てて散歩に戻った。
それでも気になった莉緒は、夕ご飯の時に和史達へあの屋敷のことを話してみた。あやかしと関わるようになって気付いたのだが、父は祓いに関する知識だけは人一倍ある。ただ力の制御が苦手で実践では使えないのに、関係のない場面でむやみに発揮してしまうというぽんこつぶりは健在で、口煩い式神の指導をもってしても直りそうもない。その悪い例はミヤビの封印だ。猫又を蔵の漬物壺から見つけて以来、莉緒は家の中で蓋のあるものを見ると一瞬身構えてしまう癖がついてしまった。
「取り壊されるのが分かっていても出ていこうとしないのは、もしかすると土地に縛り付けられてしまっているのかもなぁ」
「気付いて貰えずにそのまま解体工事が始まったら、どうなっちゃうの?」
深刻な表情の娘からの問いに、和史が腕を組んで気まずい顔をする。
「あの辺りの家だと当然、井戸や神棚、仏壇もあるだろうし、施工前の魂抜きや清祓いで一緒に祓われてしまう可能性はあるだろう」
最近では省かれることもある解体前後の儀式だが、お化け屋敷という不名誉な噂が出回っている以上、逆に念入りに執り行われると考えていい。もしそうなった場合、中で潜んでいる人ならざるものは無事では済まないかもしれない。はたして、中にいるのは人の都合で容赦なく祓われるべき存在か、否か。
夕食後、宿題が残っていると言って自分の部屋に戻った莉緒は、窓を少し開けてその隙間から紙人形を外へ向かって一枚飛ばした。街灯の灯りを頼りに通り二つを過ぎて、ブロック塀に囲まれた空き家へと忍び込む。人の気配の全く無い内村邸はどの窓も雨戸が閉められていたが、風呂場の換気扇に紙一枚くらいなら入り込める隙間を見つけた。そこからするりと人形を送り込むと、莉緒は灯りの無い屋敷の中を目を凝らしながら探索していく。
襖で仕切られた畳敷きの和室が何部屋も続く、広い屋敷の中。折り畳まれたままの段ボール箱が縁側にいくつか積み上げられている以外、荷物らしいものは何もない。お化けと間違われたあやかしの姿を求めて、莉緒は人形代を奥の仏間へと移動させようとした。と、すぐ真横で何かが動く気配を感じ、人形の向きを操作する。
襖の向こうからこちらを覗き見ていたのは、白地に菊の花をあしらった着物の幼女。背丈から五、六歳くらいに見えるそれは、目をぱちくりと見開きながら不思議そうに首を傾げている。無邪気な子供。けれど、その目は金色の光を放っていて、明らかに人のものではない。
「え、子供のあやかし……⁉」
莉緒が思わず声を出した瞬間、形代と共有していた視界が突如遮断される。慌てて意識を集中し直しても、紙人形との交信は絶えたままで一向に戻らない。もしかして、さっきのあやかしの仕業だろうか? 帰還を指示してみても、紙人形からの応答は何もない。
自室の窓の前で茫然とする莉緒に、廊下から妖狐の落ち着いた声が聞こえたのはその少し後だった。式神は使役者の力の動きに敏感なのか、莉緒がたった一枚の紙を動かしているだけでも速攻で見つかってしまう。たまに、どちらが使役している立場なのか分からなくなる。
「まったく、自ら厄介事に首を突っ込んでいくとは、面倒なやつだな」
「だって気になるでしょう? でも、形代は取られちゃったみたい……」
部屋の戸を開けてムサシを中へ入れながら、少しおどけつつ笑って誤魔化した。莉緒がどこへ向けて飛ばしたかなんて、ムサシには全てお見通しなのだ。
「一瞬だったけど、あのお屋敷で、小さな女の子のあやかしを視たよ」
「うむ、おそらくは座敷童の類いだろうな」
「座敷童って、あの? ああ、だからあの家大きいんだ」
住み着いた家に富をもたらすという、子供の姿をしたあやかし。でも、その恩恵を受けて栄えたはずの内村家がどうして今は廃屋状態なんだろうか? 莉緒に浮き上がった疑問を、ムサシはハッと鼻で笑い飛ばした。
「座敷童の力で繁栄したのではない。繁栄しそうな家に座敷童が住み着いただけのこと。さすがにやつらも何世代にも渡っての先見までは持ち合わせていないからな」
「なるほど……」
座敷童というのは先読みができるあやかしだというのが、ムサシ的な解釈らしい。どんな家でも何百年も経てば状況は変わっていく。けれど長く住み着いた場所だからこそ、今は容易に離れられなくなっているのだろうと。