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第29話

 外からは和史達が建物の周りを歩きながら会話する声が微かに聞こえてくる。施工会社もこの屋敷の怪異の噂は把握していたようで、その聞き取りという名目で父は時間を稼いでくれていた。ここはコミュ力の高い和史の本領発揮だ。


 莉緒は幼女の姿をしたあやかしの前にしゃがみ込むと、出来るだけ優しく話しかける。警戒心の無い瞳が莉緒のことをじっと見上げていた。ガラス玉のような透き通った目が期待に満ちた光を帯びている。莉緒達のことはただの客だと思っているみたいだ。


「別に遊びに来たわけじゃないよ、手紙を貰ったから来ただけ。形代に書いて送ってくれたでしょう?」

「うん、家の者がみんなどこかへ行っちゃったの……ずっと待ってるのに、誰も帰って来ないの。みんな、どうしちゃったんだろう? アタシ、いつもこうして一人で遊んでるだけなのに」


 言いながら、座敷童は着物の袖から三個の丸い玉状の物を取り出す。桃色の小花柄のちりめん生地で作られたお手玉。それは女児用の着物の端切れで作られたらしく、座敷童が宙へ放り上げると中の小豆がシャリシャリと音を立てる。


「一かけ、二かけて、三かけて~、四かけて、五かけて、橋をかけ~」


 小童が数え歌に合わせて玉を放って遊び始める。顔の前で大きく回るお手玉の動きを、莉緒も黙って見守っていた。懐かしい数え歌は、亡くなった祖母もよく口ずさんでいたような気がする。


「橋をかけ、橋の欄干手を腰に、はるか向こうを眺めれば」


 幼い歌声が家財の無いがらんとした広い屋敷の中に響き渡る。

 座敷童はこの古い屋敷でいつもこんな風に一人遊びをして過ごしていたんだろうか。雨戸を締め切られたまま、埃にまみれた暗い中をただ一人きりで。


 ムサシは大きな耳をピクピクと動かして、庭にいる和史と業者の話し声を拾っているようだった。莉緒は座敷童が頭に付けている髪飾りの一つが、自分が幼い頃に好きだったアニメキャラのヘアピンなのに気付いた。古風な着物には似つかわしくはないけれど、座敷童は莉緒の視線に察したのか、お手玉遊びはやめてから得意げな表情で教えてくれる。


「人がいる時は、そこの床の間がアタシの場所なの。あそこに座ってるとね、時々だけどいろんなものがもらえたの」


 隣の仏間の床の間を指さして、座敷童がさっき遊んでいたお手玉もそうやって貰ったものだと説明してくる。薄暗い中、目を凝らして見れば、床の間には所狭しと玩具や人形が並んでいた。この家に座敷童が住みついていることに気付いた家人や噂を聞いて尋ねて来た人達が、さらなる御利益を期待してお供えしていたのだろう。古い日本人形から絵本やぬいぐるみなど、先祖代々が揃えてきた幼女への貢ぎ物は埃を被りながらもそのままになっている。


 ――内村さん、あれはそのままにしていったんだ……


 住み着いている存在のことを知ってはいたが、住人にはどうすることも出来なかったのだろう。外観の割に藤倉家よりも新しいタイプのキッチンとお風呂だったから、この屋敷はこれまでに何度かリフォームを繰り返していたのが分かる。視えない何かとの長く続く共存の為に。

 けれど建物自体がもう限界で、住人は転居し、ついに建物は解体されるしかなくなった。出ていった後もすぐに取り壊さなかったのは、中にいるはずの何かが次の住処を見つけるのを待つ為の時間稼ぎだったんだろうか?


 たとえ姿が視えていなくても、この家の住人が先祖代々に渡って座敷童のことを大切にしてきたということだけは分かった。内村家はこのあやかしと共にあり、座敷童もまたこの家の住人の傍にずっといることを望んだ。それは彼女がこの土地に縛られるほどに長い時間で、結果的には屋敷が無くなることが決まっても離れることができなくなっている。


「みんなはいつ帰って来の? ねえ、どこかで迷子になってるのなら、探して頂戴。あの子が困ってるなら、早く見つけてあげないと」


 座敷童が莉緒の顔を見上げて聞いてくる。この家の住人がいなくなって、もう何年も経っているはずなのに、このあやかしはまだ内村家の人達が戻ってくるのを待っている。その疑いの無い瞳に向かって、莉緒はどう答えていいのか分からず視線を逸らす。すると代わりにムサシが、呆れた溜め息を吐きながら口を開く。


「外にいる者によれば、この屋敷は解体されて更地にした後のことはまだ決まってはおらん。ただ、おそらくは駐車場になるんだろうということだ。ここに住んでいた一族は既に別の場所に新居を構えているらしい」

「……完全に引っ越ししちゃったんだ?」

「ああ。この規模の家屋を維持していくのも大変なのだろう。今は隣町で二世帯住宅というやつを建てて娘の家族と共にいるそうだ」


 和史が業者から聞き取っていた話をまとめて口にすると、ムサシはふいっと横を向いてしまった。家人の世代が替わったことで取り残されてしまったという点では、かつての妖狐も似たようなものだ。孤独な日々を思い出して無言になるムサシに反して、座敷童はぱぁっと嬉しそうに目を輝かせる。


「そっかぁ。またみんな一緒なんだー」

「だから、ここで待っててもここにはもう誰も帰っては来ないんだよ」


 古い土地からの呪縛から解放してあげれば、座敷童はこの屋敷を離れることができる。その後にまた新しい住処を見つけようが、かくりよへ帰ろうがこのあやかしの自由だ。

 座敷童が形代に書いた『たすけて』の文字は、行方知らずとなってしまった家人を案じてのことだったんだろうか?

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