内村家の住人が移り住んだ新居は、隣町の新興住宅地の中にあった。モルタル壁の似たような建売住宅が並んでいて、電柱や各家の表札横に表記された番地を頼りに探して回っている最中。その誠一郎の娘の家の住所はどこからともなくミヤビが突き止めてきた。普段からご近所の奥様達と頻繁に井戸端会議をしているだけあり、情報収集に関しては猫又の右に出る者はいない。
「多分、この近くのはずなんだけど……」
ミヤビから貰った住所メモを眺めつつ、電柱に表記されている通り番号を確認してから、順に家を数えながら歩く。そして、お目当ての番地を見つけると、その表札の名前を見る。郵便受けに貼られたネームプレートは『辻井』。誠一郎の娘、美紗の苗字だ。その横には『内村』とテプラで印字された文字が貼り付けられていたから、誠一郎がここに住んでいるのは間違いなさそうだ。
周辺の家と何ら変わらない白壁の住宅は、庭には内村の屋敷と同じように蜜柑と柿の木が一本ずつ植えられていて、家の前に車一台分の駐車場があった。でも今は出払っているのか何も停まっていない。後部座席に荷物カゴを乗せたママチャリが隅っこに置かれているだけだ。既に孫達は独立していて、ここには娘夫婦と誠一郎が住んでいるだけらしいから美紗の自転車だろうか。
「誠一郎の気配がする!」
門扉の前で妖狐の背から飛び降りた座敷童が、嬉しそうな声を出す。彼が家を出ていってから数年は経っているはずだけれど、家人のことはしっかり分かるみたいだ。その場でぴょんぴょんと跳ねながら、座敷童は家の中を首を伸ばして覗き込んでいる。どの窓も薄いカーテンが閉められていて中の様子は伺えないが、一階の庭に面した部屋はリビングだろうか。その辺りから微かながらもテレビの音声が漏れて聞こえていた。
住み慣れた屋敷ではないからか、座敷童は家の中へ入って良いものかと少し躊躇っている。門扉からして今までとは全く違うのだから当然で、金属製の扉に恐る恐ると手を伸ばしてはすぐに引っ込めていた。
人ん家の前で立ち止まっているのも不自然だと、妖狐と一緒に辻井邸から離れかけた莉緒は、通りの向こうから二人の女性とベビーカーがやってくるのに気付く。女性達は遠目からも顔立ちや体型がよく似ていて、一目で親子だと判った。近所のスーパーで買い物してきたところなのか、母親の手には大きめのエコバッグ。二十代後半くらいの女性が押しているベビーカーには二歳くらいの女の子が乗っていた。教育テレビで人気のキャラクターのヌイグルミを大事そうに握りしめている。
和やかにお喋りしながら歩いて来た二人は、莉緒が立っていた手前の門扉を開き、ベビーカーごと家の敷地へと入って、バッグから取り出した鍵で玄関を開ける。今まさに彼女達が入ったのは誠一郎が住んでいる家だったから、莉緒は思わず変な声が出そうになった口元を両手で咄嗟に押さえる。きっと年配の女性の方が誠一郎の娘の美紗で、若い方は孫娘。そして、ベビーカーの女の子は曾孫なんだろう。
すぐに家の中からは女の子の賑やかな声と、女性達の笑い声が聞こえ始め、それに交じって皺がれた老人の声も耳に届く。
「誠一郎が、笑ってる」
座敷童が彼を最後に見たのは、妻に先立たれて一人暮らしをしていた時だったはずだ。ずっと塞ぎ込んでばかりいた老人がここでは大きな声を出して笑っている。それがよっぽど嬉しかったのか、あんなに入るのを戸惑っていたくせに、座敷童は笑い声に誘われるように建物の方へ駆け出した。莉緒達に向かって後ろ手を振りながら門へと入っていき、玄関扉をすっと通り抜けて家の中へと消えてしまった。
「さっきの女の子って……」
「ああ、あの年頃にはよくあることだがな」
ベビーカーの中にいた小さな女の子。誠一郎の曾孫らしき幼女は、莉緒達の目の前を通る際、はっきりとこちらに視線を送ってきた。そして興味津々と手を伸ばしてきたのだ。莉緒の隣にいた、大きな白色の狐を触ろうと――
ベビーカーの後ろにいた母親達は気付いてはいなかったが、莉緒の位置からははっきりと見ることができた。確かに、あの子にはムサシのことが視えていた。妖狐の言う通り、純粋な幼子は大人には視えないものが視える時期がある。
「じゃあ、視えるのは今だけってことかな?」
「その可能性は高いが、父親の血筋がどうかは分からないから何とも言えんな」
代々の内村家の人間に視える者はいなかったみたいだけれど、美紗か孫娘の夫側のことまでは調べてみないと分からない。
ただ、今の莉緒に言えるのは、あの子が人ならざるモノのことが視えるのなら、あのあやかしも当分の間は寂しく無いだろうということだけ。ずっと一人遊びばかりだった座敷童。一生懸命に家人の世話を焼いていても、それには全く気付いて貰えないことをどう思っていたんだろうか。それでも誠一郎の元へ付いて行くと決めた座敷童に、一時だけもいいから遊び相手が出来ればいいなと願った。
家の中から聞こえてくる笑い声へ耳をそばだてながら、莉緒は妖狐と並んで辻井邸を後にした。