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第35話

 オドオドと挙動が落ち着かない子狸は横に置いていた風呂敷包みを慎重に開いて、中から紙包みを取り出す。そして、それを長机の上に置き、机上に打ち付ける勢いで頭を深々と下げた。


「奉公先から給金を前借りして工面したものでございます。ど、どうぞお納め下さい……たいした額ではありませんが、こちらでご勘弁いただけたら――」


 そして、ムサシの隣の座布団に座った莉緒の顔をちらりと見て、ブルっと大きく震えてからさらに怯えた声を出す。俯き加減で視線をズラし、目を合わせてこようとしない。


「は、祓い屋様っ、化け狸の生き血なんて何の使い道もございません……足りない分はまた改めてお支払いいたしますので、ど、どうかこの命だけはお助けを」


 妖狐に対しては饒舌におべんちゃらを述べていた狸は、莉緒が部屋に入って来た瞬間から様子が明らかにおかしくなった。あやかし界では名が知れているらしい九尾の狐よりも怖がられるなんて身に覚えもない。そもそも生き血とか命とか、物騒極まりないことを言われる筋合いはない。むっとした表情を浮かべて莉緒は狸へと吐き捨てるように言う。依頼人だからといって、失礼なことを言わせたままは許せない。


「何、その言いがかり? 別にあやかしの血なんて要らないんですけど」

「いえ、でも。現世の祓い屋というのはあやかしの血や骨、臓腑を集めているというではないですか。なんでも呪術の材料にされるとか」

「……え、祓い屋が?」

「はい。祓い屋というのは、そういう恐ろしいヒト族のことを言うのだと、かくりよの里で教えられて参りました。十分な報酬が用意できなければ、自分の身を切って供物にせよと……え、違うのですか?!」


 驚き顔で聞き返した莉緒のことを、化け狸が逆に驚いている。ムサシとミヤビもそんな話は初耳だと顔を見合わせていた。


「では、この度は尻の毛を全て抜かれるくらいの覚悟はして参ったのですが、そちらは杞憂に終わったと思っていて構わないのでしょうか?」

「尻の毛って……だから、そんなの端から要らないです」


 莉緒は首をブンブンと横に振って拒否する。そんなものを受け取っても使い道が思いつかない。誰がそんな嘘だらけの噂を流し始めたのだろう、営業妨害も甚だしい。尻の毛が無事で済むと分かって、子狸はホッと胸を撫で下ろしている。莉緒としては不本意極まりないが、化け狸はどうやら本気で言っていたらしい。


「で、そこまで身体を張るつもりだった依頼っていうのは何やの?」


 何だか大変な依頼を持ってこられたのではと、ミヤビが警戒心露わな顔をしている。物騒な依頼や割に合わない案件は請けないに越したことはない。ごくりと息を飲んで、莉緒も化け狸が依頼の内容を話すのを待つ。


「頼みというのはですね。私の生き別れた母を探していただきたいのです」

「人探し、否、狸探しってことかい?」

「はい。此度、かくりよにて新しい奉公先が決まりまして、それを母へと伝えて安心させたいのです。ああ、奉公先というのは西領の大天狗様の二番目の弟君、二郎坊様のお屋敷なのですが――」


 つらつらと得意げに新しい勤め先の説明を始める狸の姿に、莉緒達はホッと安堵の溜め息を漏らす。生き血や臓腑やなんぞ言っていた割に、至って平凡な依頼内容で安心していた。行き別れたとは言ってもほんの数年前のことらしいし、母狸の住んでいる場所の見当はついているのだという。要は狸の依頼は母の住む山への道案内というわけだ。かくりよを初めて出たという狸にはこの世の土地勘が全くない為に。


 先程受け取った紙包みの中身をそっと覗き込んで、それほど手間もかからない仕事にこれだけの報酬なら悪くはないと、ミヤビが静かにほくそ笑んでいるのが視界の片隅に入ってくる。猫又のご機嫌な声色から、おそらくは結構な金額が包まれていたのが推測できた。


「独り立ちの報告をしに母狸を訪ねるちゅうことか、素晴らしい心がけやなぁ」


 この美味しい依頼を逃してはなるものかと、ころっと態度を変えてミヤビが狸のことを露骨におだて始める。それを真に受けたのか「いえ、それほどでも」と照れながら頭を掻く子狸は、自分は化け狸兄弟の末っ子であると語る。


「母が里を出てからは上の姉達が面倒を見てくれたのですが、その姉も年内には嫁ぐことが決まりまして。ようやく私の身の振り先が定まったことと一緒に母へ伝えたいのです」

「なんと、めでたい! それは是非とも報告に行かなあきませんなぁ」


 上辺だけのミヤビの相槌に、莉緒は心の中で苦笑する。依頼内容と報酬を見比べた後の対応が極端に違い過ぎるのだ。けれど狸はその態度の変化に気付いてはいないみたいで、ミヤビから掛けられた言葉に心底嬉しそうにしていた。もしかして、あまり褒められ慣れていないのだろうか?

 そんなちぐはぐなやり取りをずっと黙って横で聞いていた妖狐が訝し気に口を開く。


「化け狸というのは一族で固まって暮らす種族だと思っていたが、なぜお主の母親は独り立ちもままならぬ子を置いて出ていったのだ?」

「言われてみたら、そうやんなぁ。ちょっとそこまでって距離でもないし」


 一匹オオカミならぬ、一匹化け狸というのはあまり聞かないと、ミヤビが莉緒に耳打ちしてくる。確かに目の前の子狸を見ていても、あまり強い種族とは思えないし、大人でも単独での生活は向いていなさそうに思える。しかも、母親がかくりよを出た時はこの狸はまだ幼かったというのだから尚更。


 ――うちのお母さんと同じだ……


 莉緒がまだ物心がつくかどうかの時に、母は家を出ていった。幼い子を残してでも行かなければならない理由とは一体……

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