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第36話

 子狸から聞き取った母狸の住処は、電車を乗り継いで半時間ほどにある低山の中だった。ハイキングコースもある緩やかな山で、麓には企業の保養所らしき建物があったりと、とてものどかな雰囲気。それは逆に言えば、何も無いということなんだけれど……


 耳を澄ませば水の流れる音が聞こえてくるが、駅から歩いて来た道には川のようなものは見当たらなかった。あまりに静か過ぎて、離れたところの音までが届いているのか。木造の小さな駅舎を出た後、ハイキングコースの案内看板に従ってなだらかな坂道を登って行く。


 莉緒が背負っているリュックにはミヤビが早起きして用意してくれたお弁当が入っている。カジュアルなファストファッションに身を包み、長い髪を後ろでまとめてキャップを被り、今日の莉緒は誰の目にも『一人でハイキングに来た風変りな女子高生』に映っているはずだ。


「すれ違う人がみんな、不審な目で見てくるんだけど……」

「年頃の娘が一人きりで山に入るのは珍しいのだろうな」

「心外。別に、一人じゃないんだけど」


 横を歩くムサシが憐れむように見上げてくる。電車に乗ることを考えて犬の姿になってもらわなかったが、こんなことならリードを持って来て犬の散歩のフリをするべきだったと悔やむ。


 妖狐の後ろをちょこちょこと短い足で走って付いてくる子狸は、首から背に風呂敷包みを乗せている。母狸への土産が入っているというそれは途中途中の休憩でも決して手から離そうとはしない。あまりに大事そうにしているから中身を尋ねてみると、土産の他には母狸を探す為の重要な手掛かりも入っているのだと話す。


「母が大事にしていたという着物帯を、私が息子である証に持って参りました。大きくなった私のことは、親とはいえ容易くは見分けられないでしょうから」


 幼かった子も独り立ちできるほどまで成長してしまえば、その姿で親子の判別は難しいと、かくりよで待つ姉からこの帯を預かって来たのだという。子狸自身、物心付いた時には傍に居なかった母の顔はほとんど覚えていない。だから、先に向こうが気付いてくれないことには親子の対面は難しいのかもしれない。


「もしかして、お母さん狸探しって結構大変なのかな?」


 依頼人である子狸本人が母の顔を覚えていないとは思ってもみなかった。でも、よく考えてみれば莉緒だって母親の顔はいまいち覚えていないし、万が一道ですれ違っても気付かないかもしれない。そもそも母がまだ生きているかどうかすら分からない。


「そうだ、生きてるとは限らないんだよね……」

「いいえ、生きてますよ」


 莉緒が自分自身の境遇を思い返して呟いた言葉を、子狸が被せるように打ち消してくる。やけに自信満々だ。


「少なくとも、ひと月前にはこの山で変わらず元気でやっているのだと、父宛に文が届いておりました」

「お父さんとは手紙のやり取りしてるの?!」

「はい。たまにですが母から一方的に届くのだそうです。子供には話せないことばかりだからと見せて貰えたことは一度もございませんが……」


 それは母狸が家を出た理由を父親は分かっているということだろうか。それを子供には教えていないというのは、何か深い事情でもありそうだ。でも、現時点では分からないことだらけだと、莉緒は深く考えるのを諦める。今回の依頼はこの山を住処にしているという母狸を探し出し、子狸と会わせてあげることだけなのだから。


「で、山の中腹とやらはそろそろだと思うのだが?」


 ムサシが九尾を広げて周囲の様子を伺い始める。化け狸の母は山の中腹にある目印をさらに奥に進んだところにある、小さな洞窟を住処にしているという話だった。けれど、目印になるようなものは一向に見当たらない。唯一見かけたのはハイキング客向けに地元の有志が立て掛けたらしき案内板のみ。


「ねえ、目印って何があるの? それっぽいものってあったっけ?」

「父から聞いたところによると、山道沿いに六地蔵が祀られているそうです。その裏の獣道を進んで行くと辿り着くとか」

「六地蔵ってことは、お地蔵さんが六体並んでるってことだよね……」


 これまで登ってきた山道で地蔵と呼べそうな石像は至る所で見かけた。はっきりと顔が分かり、花などが供えられた物もあれば、風化して地蔵なのか石碑なのかの判別がつかないものまで大小さまざま。でも、それらしきものは見た記憶がないなと莉緒は登って来た道を振り返って首を傾げる。ムサシは九尾で何かを感じ取ったのか、登山道のさらに上に視線を送ってから告げた。


「化け狸かどうかまでは分からんが、この先にあやかしの気配はある」

「きっと、かーちゃんだっ!」


 妖狐の台詞に、それまでへばり気味だったはずの子狸が勢いよく駆け出す。緩やかとはいっても坂道が続く山道。前脚でつんのめりそうになりながらも、目印を求めてどんどん進んでいく。後から追いついた莉緒が目にしたのは、横並びで立つ石の地蔵の姿。かなり古い物らしく風化していて顔立ちは朧気で、各自の手には何を持っているのかさえ判別がつきにくい。前に供えられている花は枯れて萎れ、少し色褪せてはいるが揃いの赤い前掛けを付けていた。こんな場所だからお参りする人は滅多にいないのだろう。


「この裏を進めばよいということでしょうか? もうすぐ、母に会えるんですね!」


 地蔵の後ろにある森を覗き込み、子狸がそわそわと先を行こうと急かしてくる。けれど莉緒は、何か違和感を感じて立ち止まったまま動かない。妖狐も周辺の様子を探るようにクンクンと鼻を動かしている。


「……ちょっと待って。このお地蔵様、七体もあるんだけど」


 六地蔵ならぬ、七地蔵。これは本当に目印なんだろうか。

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