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第37話

 何の変哲もないお地蔵様。前もって六地蔵だということを聞いてなかったら、そういうものだと普通に通り過ぎてしまっていただろう。風雨に晒されて元の色を失った前掛けは、擦れて糸がほつれてヨレヨレになっている。けれど縫い目は細かく、丁寧に作られた物だというのは分かる。地元の誰かの手作りなのかもしれない。


 違和感なく七体が均等に並んでいる地蔵は、石の台座を含めても莉緒の膝までくらいの背丈しかない。それらは莉緒達が来た山道をやや見下ろすように配置され、麓の里から登ってくる者達を見守っているようでもあった。


「一体多いし、これじゃないんじゃないのかな……?」


 後になってから一体増やしたのだろうか? それとも、目印のお地蔵様というのはこれとは別のものを指すのだろうか? 実際のところ七地蔵というのも別に珍しくはないけれど、子狸が里で聞いてきた目印は六地蔵。風化の度合いは似たようなもので、特に後から追加された風にも見えないし、どう考えても数の合わないこれは別物と考えても良さそうだ。


 さらに先を行こうと歩き始めた莉緒と子狸だったが、妖狐だけは地蔵の前に座ったまま動こうとはしない。左から一体一体をじっと見据えて、何かを見極めようとしている。


「ムサシ?」

「どうやら、目印の地蔵とはこれで間違いはないようだな」


 立ち上がり、一番右端に並んでいる地蔵の顔に長い鼻先を近付けて、クンクンと匂いを確かめている。すると、石の小さな地蔵は大きな白狐に間近で見下ろされて、ブルブルと小刻みに震え始める。額から流れているのは冷や汗だろうか。明らかに石造りではない。


「あ、お地蔵様じゃない⁉」

「これからあやかしものの妖力が漏れ出ておる。大方、我々の捜索をかく乱するつもりだったのだろうが……」


 妖狐から圧をかけられて震えているそれは、偽物だとバレてもなお地蔵のフリをし続けていた。攻撃してくる気配は無さそうだと、莉緒もムサシの隣にしゃがみ込んで前後左右からとそれを観察する。こうやって近付いて眺めているだけなら隣と同じ石彫りの仏像にしか見えないが、手を伸ばして触れてみれば妙に生暖かい。フワフワというよりはゴワゴワとした肌触りはどう考えても石な訳がない。


「私達がお母さん狸を探してるのを、知ってるってこと?」

「でなければ、目印であるここを隠す理由はないだろう」


 莉緒達が地蔵の前で話し合っていると、遅れて戻ってきた子狸も七体目の不審な地蔵に鼻を近付ける。そして、むむっと驚きの混じった顔で言った。


「この地蔵からは川魚のとてもいい香りがします。何とも香ばしい、やはり塩焼きでしょうか」


 そういえば川の流れる音が聞こえてたなと思いつつ、地蔵に視線を戻すと、それは先程までよりもさらに大きく身体を震わせ、もう我慢の限界とばかりにその場で飛び上がった。そして、莉緒達が呆気に取られている内に、地蔵の姿のまま後ろの森へと駆け始める。


「え、あ、ちょっと……⁉」


 四足歩行で逃げていく石の地蔵。かなりシュールというかコミカルな絵面だったが、莉緒達は慌てて追いかけていく。グネグネと曲がりくねった獣道は妖狐と子狸の後ろを付いて行くのに必死で、周囲を見回している余裕もない。先を行く二体のあやかしを見失ったら、遭難は確実。獣道というのはつくづく二足歩行には向いてないなと思いながら、腰を屈めて木の枝を潜り抜ける。


 中腰のままの移動が続いた後、川のせせらぎと匂いをすぐ近くに感じる場所で、莉緒はかなり離されたはずの妖狐達にようやく追いついた。大きな岩がゴロゴロ転がっている川辺で、ムサシはその白毛に覆われた前脚で何か毛むくじゃらな茶色い物を踏み押さえている。


「先程の地蔵の正体はこやつだ」

「化け狸だったの? ムサシ、踏んじゃってるけど、殺してないよね?」


 以前、家に集まってきた怨霊を踏みつけて祓っていたことが頭をよぎる。勢いあまって倒してしまったんじゃないかと真っ先に心配したが、妖狐の脚の下で気を失っていたらしい茶毛の狸はしばらくすると目を覚まし、逃げようとバタつき始めていた。


「手加減くらいしておる。――こら、暴れるでない。ちょっと訊ねたいことがあるだけだ。取って食ったりはせん」


 ムサシが静かな口調で威圧すると、茶毛の狸は「ひっ!」と短い悲鳴を上げた後、ブルブルと震え出した。

 よく見れば同じ化け狸でも今回の依頼者とは毛色が全く違う。かくりよから出て来たばかりの子狸は黒色の毛に覆われているが、さっき地蔵に変幻していたのは茶毛で、どちらかと言えば獣の狸と毛色が近い。化け狸でも微妙に種族が違うのだろうか。


 よく見れば黒毛の狸よりも茶毛の方がやや小柄。だからだろうか、これまではどこか消極的だった依頼者である黒毛がおずおずとムサシの脚下に向かって話し掛け始める。


「この辺りにいるという私の母を探しているのですが、ご存じありませんか? 私と同じ毛色の化け狸なのですが」


 黒毛の子狸はできるだけ丁寧に優しい口調で話し掛けていたみたいだったが、それにも茶毛の狸はふいっとそっぽを向いて目を合わせようとしない。それは怯えているというよりもむしろ、小さい子供が拗ねているように見えた。


「……お前ら、おばちゃんを連れ戻しに来たんだろ? 居場所なんて教えてやるもんかっ」

「おばちゃんというのは?」

「だから、俺らのおばちゃんだよ! 真ん丸のおばちゃん!」


 言った後、はっと我に返ったのか、茶毛の子狸はフルフルと首を横に振ってから黙り込んだ。

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