真ん丸のおばちゃんと言われても、莉緒達にはピンと来なかったが、個別の名を持たないあやかし達は同族間でそれぞれの愛称があるのだろう。真ん丸というのは体型のことだろうかと何となく想像していたら、何やら思い当たることがあるようで、黒毛の子狸がハッと目を輝かせた。
「母の腹毛のこの辺りが丸く白かったような記憶があります」
生き別れる前の朧気に覚えている母の姿。いつもしがみついていた胸の近くの毛色は白く丸い形をしていたと、子狸は懐かしそうに語る。彼にも唯一断言できる、母の特徴があったらしい。
「じゃあ、その真ん丸のおばちゃんっていうのが、探してるお母さん狸の可能性はありそうだね」
「そのおばちゃんがどこにいるか教えてもらえませんか? もしかすると、私の母かもしれないのですが」
あくまでも丁寧な口調の黒毛。自分よりも小さな同族に対して警戒されないよう気を遣ってやっているのだろう。けれど、茶毛の子狸は顔を背けたまま口をつぐんでいる。頑として真ん丸のおばちゃんのことを話す気はないらしい。
「なら、他の狸を探し出すしかないようだな。丁度、あちらの方から複数のあやかしの気配を感じる」
ムサシが茶毛の動きを前脚で押さえたまま、背後の大岩の辺りに視線を送る。すると、子狸が慌てたように、再び暴れ始める。子供だからか隠し事は苦手みたいだ。
「大岩の洞窟になんて、何もいないんだからっ。行っても無駄だぞ!」
「ほう、あそこには洞窟があるのか」
「……あっ」
しまったと前脚で自分の口を塞いだ茶毛のことを、妖狐がほくそ笑んで見下ろしている。完全に、子供を揶揄って遊ぶ悪い大人の構図だ。ムサシは意外と子供の扱いが上手なのかもしれない。そう言えば、座敷童のことも何だかんだ文句を言いながらも大人しく背に乗せてあげていたし。
後ろに見える大きな岩の合間にあるという洞窟が、この辺りの化け狸達の住処なのだろうか。泣きべそをかき始めた茶毛の子狸を開放した後、莉緒達はそちらへと近付いていく。茶毛はさっきとは真逆の方向へ逃げ出して、すぐに木々の間に見えなくなった。
莉緒は歩きながら、後ろを付いて歩く依頼人が緊張して顔を強張らせているのをちらりと横目で見る。
「母は、私のことを覚えてくれているでしょうか?」
他の兄弟狸達よりも母親と過ごした時間は短い。自分に母親の記憶が少ないように母狸も自分のことはとっくに忘れてしまっているんじゃないかと、黒毛が不安そうに嘆く。
「……大丈夫だよ、きっと」
どんな種族であれ子を産むのは大変なことだ。そんな大変な思いをして産んだ子のことを忘れるはずはない。そういって狸へとかけた励ましの言葉は、莉緒自身にも向けた自己暗示の意味合いもあった。
忘れるはずはないのに、ならどうして子供の元から去って行ってしまったのだろう。そこにはどんな理由が……
近付いてみると、岩でできた洞窟というよりは、洞穴の入口付近にたまたま大きな岩が転がっているという感じだった。岩の陰に隠れている分、外敵に気付かれにくいから力の弱い小動物が住処にするにはうってつけだ。
外から聞こえてくる足音や話し声ですっかり警戒されてしまったらしく、岩の中を覗いてみても見える範囲には何の姿も確認できなかった。洞穴はかなり奥深くまで続いていそうだから、ずっと深いところまで逃げ込まれてしまっているみたいだ。
「私とムサシではサイズ的に無理だね」
穴の大きさは入口でも莉緒の腰くらいの高さしかなく、奥へ行くほど低くなっている。入ったら最後、つっかえてしまって戻ってこれる自信はない。
「ということはつまり、私が……」
かくりよ育ちの化け狸。そこまで裕福な家庭ではないが、こんな野性味溢れる住居にお邪魔した経験はないと、顔を引きつらせている。灯りは鬼火を灯してやろうという妖狐の提案に、お願いしますと礼は言うもののなかなか入ろうとしない。
確かに中で何と遭遇するか分からないのだから躊躇っても当然だ。無理強いもどうかと考えていると、莉緒がハッと思いつく。
「あ、念の為にって紙人形を持って来てた!」
リュックのサイドポケットに入れていた紙形代を一枚取り出して、莉緒はムサシが放った青色の鬼火を追い掛けるように洞窟の中へと飛ばした。中で緩やかに右へ左へと曲がりくねった後、すぐに柔らかな葉っぱが敷き詰められた少し広い空間に入る。穴の様子から自然にできたものというよりは、元々は何か別の野生動物が掘った巣穴のようで、家主がいなくなった後を化け狸達が住みつくようになったみたいだ。鬼火の灯りを頼りに形代越しに確認すると、隅っこで一匹の大人の狸が三匹のかなり小さな子狸を守るように抱き抱えていた。
「お母さん狸っぽいのがいるけど、かなり警戒されちゃってるね」
「鬼火と形代で外へと追い立てることもできるだろうが……」
「や、野蛮なことは止めて下さいっ!」
莉緒とムサシの会話に、化け狸が慌てて止めに入る。外から人間と妖狐の気配を感じていれば、中に籠りたくなる気持ちは十分分かると、至極失礼なことを言っている。放っておいたら乱暴なことをされそうだと焦ったらしく、子狸が莉緒達よりも一歩前に出る。
「わ、私が入口から話し掛けて、出て来て貰えるよう説得してみます」
中にいるのが同族だと分かったからか、穏便に進める方法を提案してくる。