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第40話

 洞穴の前で待っていたら、ちょこちょこと入れ替わり立ち替わりで小さな丸い頭が見え隠れしていた。順に顔を見せる子狸に優しく声を掛けていた黒毛のおかげか、子供達からは警戒の色が消えていく。けれど、一向に大人の化け狸が出てくる気配はない。


「肝心の、真ん丸のおばちゃんが出て来ないね……」


 中で閉じ籠っているのが真ん丸のおばちゃんと呼ばれる狸かは分からないが、出てきてくれないことには話が進まない。黒毛は顔を出した子狸達におばちゃんを呼んでくれるよう何度も頼んでいるが、「おばちゃん、嫌だって」と頑なに拒否されていた。


「我々を恐れているというよりは、寧ろ――」

「寧ろ、何?」


 莉緒が聞き返したのには答えず、黒毛の狸が止めるのを聞かず、妖狐は鬼火を灯し始めた。九尾の内の三尾から出てきた三つの青色の炎は、ゆらゆらと揺らめきながら大岩の横の穴へと入り込んでいく。しばらくすると、奥の方から「ぎゃっ?!」という悲鳴のような声が聞こえ、ドタドタと慌てふためく足音。再び入って来た鬼火から身体の毛を燃やしてやらんとばかりに追いかけられ、穴の奥で逃げ回っているらしい。


「これだから狐っていうのは……野蛮だから、昔から嫌いなのよっ! 危うく、ご先祖様のようにカチカチ山にされるところだったわ!」


 ぷりぷりと頬を膨らませ怒りながら出てきたのは、依頼者である黒毛よりも体格が倍ほどある雌狸。頭や背の毛色は黒で、鼻先や腹毛は焦げ茶。そして、胸の一部が丸く白い毛で覆われている。独特の毛模様から、この狸が真ん丸のおばちゃんで間違いなさそうだ。


 真ん丸のおばちゃんを後ろから追い立てるように飛んでいた鬼火は、外へ出たと同時にすーっと消滅する。それを忌々し気に見てから、雌狸は大きな溜め息を吐いた。


「……今更、私はどんな顔したらいいのよ」


 胸の白く丸い模様を驚き顔で見つめている黒毛の子狸のことをちらりと見た後、真ん丸のおばちゃんが俯く。


「おばちゃん、どうしたの?」

「火で火傷しちゃった?」


 心配して交互に顔を覗き込んでくる子狸達に「ううん、何でもないのよ……」と首を振って返している。

 三匹の子狸は三つ子らしく、大きさは同じくらいだったが二匹が茶毛で一匹は黒毛。しばらくは雌狸にまとわりついていたが、すぐに飽きたのか川辺に向かって駆け出していく。


「あ、あのっ、私はかくりよの六助です。この着物帯に見覚えはありませんか? 幼い頃に出て行った私の母の物なんです」


 化け狸は背負っていた風呂敷から、母の形見だという帯を取り出して真ん丸のおばちゃんの前で広げて見せた。胸の模様から母親だと確信したみたいだったが、雌狸はその帯へはちらっと一瞬視線を送っただけで、ふいと横に目を逸らした。


「……そんなものが無くても、自分が生んだ子くらい分かるわよ」

「じゃあ、やっぱり……」


 黒毛の母狸は諦めたようにハァと深い溜息を吐いた後、洞穴前の草むらの上に座り込んだ。もう逃げるつもりはないのだろう。器用に正座する姿は依頼に来た時の黒毛狸とよく似ている。


「後ろめたいことがあるから、訪ねて来た息子の前に出て来れなかったってところか」

「お狐様ってのはお節介なのね。化け狸には化け狸の事情があるのよ」

「なら、しっかり説明してやればいい。こやつはもう独り立ちできるまでになっている。親はなくとも子は育つとはよく言ったものだ」


 ムサシの言葉に、母狸はハッと顔を上げて黒毛の子狸のことを驚いた目で見る。


「独り立ちって……?」

「はい。無事に奉公先も決まり、大天狗の二郎坊様のところで勤めることになりました」

「まあ、二郎坊様のところへ……少し見ぬ間に、立派になって……」


 母狸の黒色の瞳が見る見る内に潤んでいく。それを誇らしげに見ている黒毛の子狸の目には母親を責め立てるような色はない。それでも、なぜ家族を置いて家を出てしまったのか、聞かずにいることはできないのだろう。意を決したように母狸へと問う。


「かーちゃんは、どうして出て行ったんですか?」


 幼かった彼にはまだ母親の存在が必要だったはずだ。兄弟が多くて寂しさを感じることは少なかったかもしれないけれど、それでも母のぬくもりは恋しかっただろう。小さい頃の莉緒だって、そうだった。

 切実な息子の問いかけ。当時は小さ過ぎて説明できなかったことも、今の彼になら分かって貰えると思ったのだろうか、母狸は言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。


「あの子達はね、私の妹の子供なの。あの三匹と、上にはもう一匹――」

「ああ、ここに来る前に出会った子かな? 茶色の毛の子で、お地蔵様に化けてた」

「そう、きっとその子よ。最近ようやく化けることができるようになって、悪戯ばかりしに行ってるわ」


 川の流れを覗き込んで、泳いでいる魚を追っている三匹の子狸達に視線をやって、母狸は優しい顔になる。けれどすぐに悲し気に声を落とした。


「妹はね、あの子達を産んですぐに身体を壊してしまって。妹が倒れたって聞いて、子供と一緒にかくりよへ連れて帰るつもりで駆け付けたんだけど、子供達には門を潜ることはできなかった」

「それは、どういう意味?」

「あの子達の父親はあやかしじゃないの。この山に住んでいた、野生の狸。かくりよの門は混血の子供達を認めてはくれなかった……」


 小柄だった妹がこの山で出会った雄狸と異種婚姻して生まれた半妖の子狸達。毛色が野生の物に近いのはそのせいだったのかと、莉緒は驚きで声が出ない。あやかしと獣との間に生まれた子供達は、無邪気に川に前脚を突っ込んで遊んでいる。


「そうこうしている内に、妹も死んでしまって。でも、ただの狸に化け狸の血を引く子供を任せられるはずもないし。かといって、あの子達を置いて帰る訳にもいかなくって……とーちゃんには手紙を書いて、こちらの状況を報告してはいたんだけど」

「とーちゃん、一度も手紙を見せてくれなかった」


 我が子を置いて、他所の子供の面倒を見ていると聞いても、幼い子供達は納得してくれないだろうと、父狸は母からの手紙を隠し続けた。それに異種婚姻という禁忌は、まだ分別のつかない子供へ簡単に話せるものでもない。どこからどう話が漏れて、自分達までかくりよを追われることにもなりかねないのだから。


「あの子達が巣立てばすぐに帰るつもりでいたんだけど……そうよね、先に生まれてるんだから六助の独り立ちの方が早いのは当たり前よね」


 寂し気に笑った後、母狸は川で遊ぶ甥っ子達を眺めていた。

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