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第42話・古池の怪異

 日曜で少し寝坊気味だった莉緒は、裏庭から響くミヤビの賑やかな声で目を覚ます。聞こえてくる話し声により、今日は珍しくアルバイトが無い和史が、朝から裏庭の手入れをさせられているらしいというのが分かった。


「ここの池は水が入っててこそなんぼやねん。取水パイプをこんだけ詰まらせてるって、何年放ったらかしにしてたんよ……折角の景観が台無しや」

「で、でも、裏庭なんて滅多に出ることないだろ」

「何ゆうてんの! 座敷にお客さんを通した時のこと考えてみ、情緒ある庭が目に映ったらそれだけで好感度アップや」


 黒猫のあやかしの言い分はごもっとも。来客があれば通す和室は裏庭に面している。普段は締め切っている障子を開ければ、立派な紅葉が真正面に飛び込んでくるよう配置されていた。この屋敷を建てた何代か前の先祖が、客をもてなす為にと用意した裏庭。それが今は趣の欠片も感じられない、ただの庭へと成り下がっていた。草を刈り、植木の剪定をしただけ、以前よりは随分とマシにはなっているが……。

 猫又的には裏庭の中央にある池が完全に枯れて、水が入っていないままなのが我慢ならないみたいだ。


「水面に映り込む紅葉。その歳になっても良さが分からんとは、ボンは今まで何を見て生きてきたんや……」


 ハァとわざとらしいほど大きな溜め息を吐く猫又に、和史は「ははは」と乾いた笑いを返していた。ミヤビには何を言っても勝てないと端から諦めているみたいだ。

 起き抜けに家の中から莉緒が裏庭を覗いてみると、父親が干し上がった池の中にこっぽりと入り込んで、地下水を引き込む為の取水パイプの掃除をさせられているところだった。完全に詰まり切ったパイプにワイヤーブラシを使い、長年蓄積されたゴミや土を必死で掻き出している。


 庭石の上にちょこんと腰掛けて、和史の働きぶりを監視していた黒猫は、屋敷の門の前に人の気配を感じたらしく、耳をピクピクと動かしていた。しばらく後には玄関の呼び鈴を鳴らす音が家中に響き渡る。

 くるりと宙返りして、人の姿に変幻したミヤビが、いそいそと裏の勝手口から家の中へと戻り、玄関へ回って訪問者を迎えに出ていく。


「あらぁ、こんにちは。今日はどうしはったん?」


 顔見知りのご近所さんが尋ねて来たらしく、ミヤビが人当たりの良い声を出して対応しているのが聞こえてきた。


「……ちょっといい? こちらって今も、お祓いの仕事をされてるかしら?」


 おっとりと上品な老女の声には莉緒も聞き覚えがある。いつも通学時に前を通る、大きなお屋敷に住むお婆ちゃんだ。この藤倉家と同じくらい古い瓦屋根のお家で、庭の大半を家庭菜園用にして、天気の良い日には夫婦揃って畑の世話をしているのを見かけることがある。駅前にいくつか月極駐車場を持つ、この辺りでも有数の地主だ。以前は複数のアパートも経営していたらしいが、その辺りの管理が複雑なものは息子へと任せ、今は完全なご隠居生活という噂。


 しばらくの合間、玄関先でミヤビと老女とがやり取りする声が聞こえていたが、台所で遅めの朝ご飯を食べていた莉緒には詳しい内容までは聞き取れなかった。ただ、猫又の声が途中から一オクターブ高くなったのは分かったから、悪い話ではなさそうだとは思った。


 ――もしかして、お祓いの依頼っ⁉


 「どう思う⁉」と言いたげに、隣の居間で三枚重ねた座蒲団を陣取って丸くなっている妖狐を振り返る。ムサシの耳なら玄関先の会話は丸聞こえなはずだ。ついに待ちに待った本格的な祓いの仕事が舞い込んで来たのかと、期待で目をキラキラさせる莉緒だったが、白い狐は冷ややかな口調で諭してくる。


「おぬしは近々、試験があると言っていなかったか? 学業が疎かになるようでは――」

「分かってる。それに今日はお父さんもいるし、私は後で話を聞くだけにするってば」


 依頼だといいなー、と呟いている莉緒のことを、ムサシはふんっと鼻を鳴らして呆れ笑っていた。


「ほらね、先代のお爺様の時には不動産のことで何だかんだとお世話になったんだけど、息子さんに代わってからは何の噂も聞かないし。それに、商店街で働いておられるのを何度か見かけた気がしたから……良かったわぁ、今も営業されていたのねぇ」

「ええ、しばらく現場を離れていた時期もありましたが、少し前に再開させていただきまして」

「こちら以外にアテもないから、廃業されてたらどうしようかしらって夫とも話していたのよ」


 玄関を上がり、奥の座敷へ向かって廊下を歩いていく客人とミヤビの声。会話の内容からどうやら先代の時のお得意様だったみたいだ。莉緒にとって祖父にあたる先代は、孫娘と同じく人形代を使役するのが得意な人だったらしい。


 しばらく後に、裏庭の作業を途中で切り上げた和史がバタバタと客の元へ向かう足音が廊下に響き、祓いの仕事ならとムサシものっそりと立ち上がる。

 台所で自分が使った食器を洗って片付けながら、莉緒は無意識に唇を尖らせている自分に気付く。これじゃまるで、除け者にされて拗ねている子みたいだ。


 ――でも、話くらい一緒に聞いてみたかったなぁ……


 本格的な祓いの仕事。興味がないと言ったら完全に嘘になる。

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