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第45話

 父親からの話を聞いて一抹の不安を感じ、莉緒は窓の外に視線を送る。依頼人の家に置いてきた人形代は瓦屋根の真下に潜ませてきたつもりだったけれど、傘が役に立たないくらいの横雨だったら濡れて使い物にならなくなっているかもしれない。

 目を閉じて、意識を使役している紙人形へと飛ばしてみる。曇り空で月も隠れて薄暗く、市道に立てられた外灯の明かりだけが唯一の中、強い横風に古池の周りの雑草が揺れている影がうっすらと認識できる程度。湿気を含んで多少は反応が鈍くなったような気もするが、人形の操作ができない訳でもなさそうだ。


 ――何かが来るとしたら、もうちょっと遅い時間かなぁ?


 老夫婦はいつも二十一時前には就寝すると聞いている。それ以降にまた確認してみるつもりで、莉緒は形代を雨よけできそうな場所に戻した。

 ムサシは侵入者の正体には気付いているみたいだが、今回は特に出番も無さそうだと口出しもしてこず、傍観に徹するつもりのようだった。元々は怨霊やあやかし退治を中心に請け負っていた式神だったから、ようやく来た祓い屋らしい依頼に張り切ってもよさそうなのに……


 夕食後、自分の部屋で机に向かって古文の課題テキストを解いている時、莉緒は何か違和感を感じてハッと顔を上げた。それまで細く繋がっていた形代への意識が、いきなりぶつりと切断されたような感覚。椅子から立ち上がり、窓に近付いて外へ向かって使役の念を送り直してみるが、何も見えず、何も聞こえない。もしかしたら、紙人形を置いてきた須藤家の庭で何かが起こっているのかもしれない。


 ――形代からの反応が、途絶えた……⁉


 天候は変わらず、あれから何も降っていないはずで、かろうじて雨の被害を逃れた紙人形は念の為にと雨除けを兼ねて庭の灯篭の中に隠していた。でも、風に吹き飛ばされた挙句に破れてしまったのかもしれない。紙はその素材の脆さが最大の弱点だ。

 形代を通しての視界は真っ暗なままで、向こうで動いている気配もない。改めてもう一体を送り込むつもりで窓を少しだけ開けて、隙間から別の紙を飛ばす。

 風は止み、何の抵抗もなく入り込めた老夫婦の屋敷の庭は、昼に訪れた時と何ら変わらないように見えた。


 偵察のつもりで少し高い位置を飛んで庭全体を一周させると、莉緒は例の古池の辺りを慎重に探り始める。背の高い草に覆われたビオトープ。微かに耳に届くのは虫の鳴き声と、小さな水音。近付いてみると、夕方の雨で池の傍に植えられた桜の木から水滴が滴り落ちているようだった。


「……何もなさそう?」


 くるりと向きを変えて、先に飛ばしていた形代があるはずの灯篭を確かめてみる。穴の中に隠し入れていたはずの人形は、びしょ濡れになってその土台の上に落ちてシワシワになった状態で転がっていた。水を吸って完全にふやけ切ってしまった紙は、もう使い物にならないだろう。風にでも吹き飛ばされ、濡れた石台へ落ちたせいだろうか。心配するほどじゃなかったと、莉緒はホッと胸を撫で下ろした。


 と、次の瞬間、視界を共有していた新しい形代へ向かって、真横から何かが飛んで来る気配を感じる。そして、瞬きする間もなく、念が遮断されてしまった。すぐに繋ぎ直そうとしても、形代からの反応は返ってこない。最近では安定して使役できるようになっていたから、いきなり止まるなんてことは一切なかったはずだ。


「え、何っ⁉」


 自分の力が不安定だからかと何度も試みてみるが、形代との視界共有はできなくなっている。何かに邪魔をされているというよりは、飛ばしたばかりの人形が完全に力を失ってしまい、ただの紙屑になってしまったかのように。


 莉緒は慌てて廊下へ出ると、居間へ向かって移動する。明日のバイトも朝が早いと言っていた和史の部屋からはすでにイビキをかいているのが聞こえてくる。消灯して真っ暗になっていた居間の襖を開けて飛び込むと、それぞれが座蒲団を敷いた上で丸くなっていた式神達が、何事かと首を上げた。


「須藤さん家に飛ばした形代が、全然反応しなくなっちゃったんだけどっ⁉」

「昼に置いてきたやつがか?」


 欠伸を漏らしながら、ムサシがむくりと起き上がってから確認してくる。一緒に視察に出掛けたから、妖狐も人形代を残してきたことは知っている。


「あの時のは雨に濡れたみたいでダメになってたから、さっき別のを送り込んでみたんだけど。でも、それも急に反応しなくなって――」


 途中までは使役できていたのにという莉緒のことを、二体が怪訝な顔で見る。何かに邪魔をされているのであれば、相手がこちらの存在に気付いて警戒している可能性がある。そこに悪意があるかどうかまでは分からないが。


「直接確認しに行くにも、何がおるかを先に確かめてからにしいや」

「うん、もう一度飛ばしてみるね」


 居間の窓を開けて、莉緒は今度は三枚同時に人形を送り出した。もし何かに攻撃されるのであれば、標的を増やして分散させた方がいい。一枚は横庭全体が見渡せる屋根の上に待機させて、残り二枚を囮として池の周辺を巡回させる。

 さっきと変わらず、どこからともなく虫の鳴き声が聞こえる古池。灯篭の周りを飛んでいた形代の一枚が、突然その場に墜落する。と同時に、池と畑の辺りを旋回していたもう一枚も、草陰から出て来た何かの手に掴まれ、地面へと叩きつけられる。


 莉緒はその様子を、屋根近くに浮遊させていた紙人形の目を通して、しっかり監視していた。そして、自宅の居間に響くほどの驚きの声を上げた。


「えっ、二体もいるんだけどっ⁉」

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