裏庭に住み着くことになった河童達は、この時期に適したキャベツやブロッコリー、サツマイモ、人参などを中心に畑作りを始めていたが、トマトや胡瓜、ナスといった主に春に植える野菜も品種を選べばまだ十分に育つと主張して、自分達の好物のスペースをちゃっかり確保していた。野菜は食べるの作るのもどちらも好きみたいだ。
予想通りに裏のお婆ちゃんからも快く土地を借りる許可を得られて、河童の兄弟は夜中の人目につかない時間帯を選んでは、いそいそと塀を乗り越えて宮下家の家庭菜園の手入れもしているようだった。
「畑の世話をするついでに玄関前の花壇を整えるっていうのが条件やからな。植えて欲しい花の苗は今度買ってきて玄関にでも置いとくって言ってはったわ」
ミヤビの指示に、河童達はコクコクと頷き返していた。もうすっかり猫又の言いなりだ。でも、二軒分の庭を耕せると河童達も毎日張り切って作業しているし、きっとこれで良かったんだろう。
宮下のお婆ちゃんは朝起きて庭の一角がキレイに耕されているのを見てもあまり驚いていないようだった。長年ずっと祓い屋の家の裏に住んでいるからか、視えてはいないはずだけれど、あやかしという存在を何となく理解してくれているのかもしれない。花壇用の苗や種と一緒に、お裾分けとして庭に生っていた蜜柑が添えられていたらしく、河童達は少し酸っぱい顔をしながらそれらを嬉しそうに食べていた。きっとその蜜柑も、来年にはもっと甘い物が収穫できるようになるのだろう。畑だけに留まらず、すでに植わっている果樹まで世話してくれているようだった。伸びっぱなしだった柿の木もしっかり剪定されて、青々とした新芽が顔を出している。
依頼人である須藤家には後日に和史が様子を伺いに行ったみたいだけれど、静枝がのんびりした口調で「頂いたお札が効いたのかしらねぇ」と言っていただけらしい。あれ以来は不審な音も聞こえてこなくなったと感謝していたが、深夜に莉緒達が忍び込んだことには丸っきり気付いていないようだ。近所からの通報も無かったみたいだし、莉緒はこっそり安堵する。
「最近、畑に草がよく生えるのよねぇ、暑くなってきたからかしら?」
会話の途中の雑談で、そう愚痴をこぼしていた静枝に、和史は「今まで世話してた河童が出てったからですよ」と本当のことを漏らしそうになるのを必死で堪えたらしい。理由をバラして「やっぱり河童を返して」と言われた場合、ミヤビからこっぴどくお叱りを受けるのは目に見えている。河童達の作る野菜に誰よりも期待しているのは猫又なのだから。
父からその話を聞いたせいもあり、その後の畑の様子が気になって、莉緒は学校帰りに屋敷の前を通った時、須藤家の門から中をそっと覗いてみる。まだ畝はきれいに整ったままだったけれど、除草が追いつかないのか野菜の苗の周りは草に覆われていて、インゲン豆はその重みで支柱が傾きかけていた。隅々まで完璧に管理されていた以前の状態が嘘みたいだ。
――うわぁ、あんなにキレイな畑だったのに……
緑の手をした河童の実力が目に見えてよく分かる光景だった。素人が片手間に作物を育てようと思ったら、普通はこんなものかもしれない。でも、畑の隅っこでお揃いの麦わら帽子を被って作業している老夫婦は、この畑の変化を大して気にしていないように見えた。互いに声を掛け合いながら生き生きと野菜の世話をしている。
「ちょっと目を離したら、すぐに草だらけになるなぁ」
「こんなに立派な野菜がなるんですもの、そりゃ草もよく伸びますよ。きっと土が良いんでしょうねぇ」
河童が森の土を混ぜ込んだという土壌は、雑草の育ちも良いらしい。二人が楽しそうなのをみて、莉緒は安心して自宅へと向かう。でも、代わりに藤倉家が河童の恩恵に預かれるようになるのは、まだもうちょっと先の話だ。耕されたばかりの庭の土には先日植えたばかりの苗が整然と並んでいる。今はただ、食い扶持のあやかしがさらに増えただけ……
「一晩で野菜がわさわさ育って収穫できるようになる、河童の里の秘伝の技とかはないん⁉」
ミヤビの無茶ぶりに、河童達は呆れ顔で首を横に振っている。いくら緑の手を持ってしても、童話に出てくる豆の木みたいなことにはならないらしい。この辺りは完全な計算違いだったらしく、ミヤビは大袈裟なくらい肩を落として項垂れていた。
当面の家計を頭に浮かべてハァと溜め息を吐いている猫又に、居間の長机でお札を書いていた和史が申し訳なさげに眉を寄せて言う。全ては家主の稼ぎが少ないせいなのだ。
「今度の会合で、うちへ回して貰えそうな依頼が無いか聞いてみるよ」
「お父さん、会合に参加するの⁉」
ダイニングテーブルに夕食用の食器を並べるのを手伝っていた莉緒が、驚いて居間の方を振り向く。唯一の式神だった猫又の消息が分からなくなってから、ずっと避けていた祓い屋の集まり。来週にあるというそれに、父は久しぶりに顔を出すつもりだと告げる。
「ほら、今はうちにもちゃんと式神がいるしね。そろそろ同業者へも、祓いの仕事が出来るってことを示していかないと」
台詞の割にはあまりにも声のトーンが自信なさげで、聞いた莉緒の方が心配になってくる。灰崎の一件もあったし、自分が同業者から好かれていないことが分かり、本当はあまり参加したくはないのだろう。でも和史なりに、今のままではダメだと覚悟を決めたようだった。さらに二体も養わなければならなくなったのだから、尚更だ。