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第52話・寺荒らし

 文武両道を地でいく進学校。職員室前の掲示板には直近の定期テストの上位者一覧の横に、地区大会で優秀な成績をおさめた部活動の結果も貼り出されている。来賓用玄関のガラスケースには学校名を記したトロフィーや表彰状が飾られているが、圧倒的にこちらの方が生徒達の目につきやすい。

 外から聞こえてくる運動部の掛け声を聞きつつ、莉緒は手持ち無沙汰にそれらの掲示物を見上げていた。部活動には所属していないし、成績もそれほど良くもないから、どれもこれも自分には縁のないものばかりだ。詩織が在籍している女子バレー部は、こないだの大会ではベスト4に入ったらしい。


「ごめん、お待たせー」


 背後から声が聞こえて振り返ると、詩織が少し疲れた顔をしながら職員室から出てくる。日直だったから学級日誌を担任へと提出しに来ただけなのに、なんでそんなげんなり顔になっているやら。


「何があった?」

「部活の顧問に見つかって、ついでにってお使い頼まれてしまった……ちょっと体育教官室に寄っていい?」


 詩織の言葉に、莉緒も反射的に「うげっ」と呻いた。体育館の中にある教官室は体育科の先生達の部屋だ。他の教科に比べて厳つい教師の多い体育。着てるのはジャージなのに、スーツ姿の他の教師よりも圧倒的な威圧感があるのはなぜだろうか。その職員室とは全く違う雰囲気を放つ教官室は、生徒指導室と同じくらい入るのに緊張してしまう。


「来月の体育館の使用許可申請、だって。あ、これ昨日が締め切りになってる……」


 顧問から渡されたという用紙を眺めて、詩織が呆れ顔をしている。体育館は男女のバレー部とバスケ部とで交代で使用しているから、提出が遅くなればなるほど他の部に迷惑がかかるはずだ。何もなくても怖い教官室へ、締め切りがとっく越えている提出物を持っていくというのはある意味で試練かもしれない。顧問教諭はそれを分かっていた上で詩織に書類を押し付けたんだとしたら、相当性格が悪い。


「ま、さっき顧問から頼まれたって言えばいっか……」


 締め切りを守らなかったのは詩織じゃなくて、顧問なのだ。ビビる必要はないと気合いを入れ直して体育館へと向かう。万が一に怒られた時の言い訳を考えつつ開いたドアだったが、生憎というか教官室の中には比較的若い女性教諭が一人いただけだった。いつもいる強面の教官はみんな出払っているみたいだ。


「あの、飯島先生から頼まれたんですが――」

「ああ、ありがとう。そこのケースに入れておいてくれる?」


 『申請書』と書いたラベルが貼られたプラスチック製のケースを示した後、体育教師は何事もないかのようにデスクの上のファイルへと視線を戻していた。あまりの呆気ない対応に、詩織の後ろで様子を伺っていた莉緒まで釣られて拍子抜けした顔になる。


 体育館の試練を乗り越え、ようやく学校を出た莉緒はそのまま詩織と一緒に普段とは真逆の通りを歩いていた。学校の裏を山の方角へ向かっていくと、よく似た建売住宅が並ぶ住宅街に入る。白やグレーのモルタル壁の家が多く、莉緒の家の周りでよく見かける土壁に瓦屋根の住宅はほとんどない。自宅周辺と比べると半世紀ほど若い雰囲気の地域を抜けてさらに歩いていくと、また時代が逆行したかのような街並みへと変わる。駅前を中心にして、新しい住宅地と昔からの集落が混在している。駅から離れたこの辺りは藤倉の家の近所と雰囲気が少し似ている。――要は古い和風の家が多い。


 大きな古民家の角を曲がると、焼杉の塀に囲まれた大きな建物が見えてきた。お寺でもあるけれど、詩織の家でもある古い屋敷。手入れの行き届いた庭の背の高い松の木が塀を越えて枝を見せている。木製の門を入ると砂利がぎっしりと敷かれた庭園が広がり、左手には本堂。右手には詩織の家族が住んでいる住居。大きく二つに分かれた建物は奥に見える渡り廊下で繋がっている。


「ついでに上がってく? 多分、今は誰もいないと思うけど。お兄ちゃんは今日は大学あるって言ってたし、お母さんは病院だと思うし」

「そうなんだ……。ううん、ここで待ってる、明日提出の課題まだ出来てないし」

「分かった。じゃあ、ダッシュで取ってくるね」


 砂利を踏み鳴らし、詩織が小走りで住居の方の建物に向かっていく。詩織の兄、祐樹が以前に使っていたという古文の参考書を譲って貰えると聞いて来たけれど、この家に訪れるのはちょっと久しぶりだ。小学生の頃はこの広い庭園をめいっぱい使ってかくれんぼしたりしてよく遊んだ。


 寺院が持つ独特の空気感。高い塀と大木の多い庭の植木に囲まれているからか、門を入った瞬間から一気に静寂が襲ってくる。特にこのお寺は裏に檀家用の管理墓地があり、その後ろには森が広がっているという立地。要は集落の一番端っこに位置する。隣近所もまた同じくらい古い民家ばかりで、ご近所の騒音トラブルとは無縁な距離を保っている。

 数分も歩けば大通りに出るはずなのに、虫の声と風の音、鳥のさえずりしか聞こえてはこない。街中なのに、化け狸と出会った山の中を彷彿とさせる。

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